映画『OBLIVION オブリビオン』レビュー “我々がだれかを愛するとき、その一体なにを愛しているのだろうか?”

ストーリー舞台は2077年、地球。60年前にエイリアン“スカブ”の襲撃を受けた地球は激戦の末に戦いには勝利するものの、地球が負ったダメージは致命的で生存者は他の惑星へと移住していた。ジャック・ハーパー(トム・クルーズ)は彼のパートナー、ヴィクトリアと生活しつつ地球に残りエイリアンの生き残りの監視のためパトロールを続けている。 Oblivion starring Tom Cruise ジャックとヴィクトリアは任務の特殊性のためある時期より以前の記憶を削除されている。それにも関わらずジャックは不思議な夢を繰り返し見ることになる。自分がエイリアン襲撃以前の世界のニューヨーク、そのエンパイアビルの屋上の展望台で美しい一人の女性と微笑みあっている夢。そんな夢の断片がジャックの頭から離れない。そんなある日、地上でパトロールをしていたジャックの上空を一隻のシャトルが墜落していく。大破したシャトルの破片が飛び散るなか数名の乗組員と思われる人間が入ったカプセルを発見する。が、そのときジャックとともに地球をパトロールしていた無人パトロールマシンが突如生存者たちの入ったカプセルを攻撃していく。ジャックは自らの身を盾にして唯一残されたカプセルをパトロールマシンの攻撃から守ることに成功する。そしてそのカプセルのなかには一人の女性が入っていた。息をのむ。それはこれまで幾度となく夢に見てきたあの美しい女性だった。 13021401_Oblivion_01 ヴィクトリアの元にその女性の眠るカプセルを持ち帰り、彼女は目覚める。目覚めた彼女はジャックの顔を見るや呟く、「ジャッ・・」。彼女はジュリアと名乗った。しかし彼女の口数は少ない。やがてジャックの口から彼女が60年もの眠りから覚めた事実を告げられると彼女は再度自分たちの墜落現場に戻り墜落前後の会話がおさめられているボイスレコーダーを回収するようにジャックに頼む。ヴィクトリアの眠る隙にジャックはジュリアとともに墜落現場に戻り、ボイスレコーダーを回収する。 imagesが、その時二人は何者かの襲撃を受け、地下の人工的な施設に連れて行かれる。ジャックらを襲撃したのは“スカブ”ではなく人間たちで、そこはマルコム・ビーチ(モーガン・フリーマン)と名乗る男をリーダーとするレジスタンスの活動拠点であった。そこでジャックは自分の存在理由そのものを揺るがし破壊してしまうような事実を告げられる。 images-5 感想10代の前半の溢れ出しそうな想像力の受け皿がSF小説だった私にはこの手の映画を視るときの興奮は未だに当時のままだ。そしてこの映画、とにかくSF映画としての見た目がとてもいい。メカの描き方もすごくカッコいいし、それらによる空中戦もスターウォーズっぽくていい。操作パネルの細部までもかなり緻密に描き込んでいる。ディストピア的地球の描き方もよくできていた。前作『トロン;レガシー』でビジュアル最高、ストーリー最低、という一般的な評価がくだされてしまったジョセフ・コシンスキー監督にとっては、ビジュアルの美しさは継続しながらもストーリーの展開や奥行きは前作より確実に向上しており面目躍如と言ってもいい。もちろん物語の主要な部分はどれも過去のSF作品の使い回しという印象は消えない。『マトリックス』、『2001年宇宙の旅』、『猿の惑星』、『ソラリス』などなど。でもSF小説で育った私からするとSF的なストーリーテリングの幅というものが実はそんなに広くないことを知っているし、30年前のSF世界に現実が部分的にせよ追い抜いている現代において、安易に観客を驚かそうとするだけの“ツッコミ待ち”SF映画の多さに嫌気がさしてしまっている。その点『オブリビオン』もオチの部分では「お前のやはりそうだったのか」と思わせるような安易さはあるのだが、それでも私には一貫してこの映画を興味深くみることができた。正直に言うとかなり好きな映画である。その理由はこの映画の途中、何となく映画の結末が読めはじめ普通なら物語に飽きを感じはじめる頃から、急に、表題に書いた非SF的問いをこの映画が我々に投げかけはじめるのだ。

「我々がだれかを愛するとき、その一体なにを愛しているのだろうか?」そしてこの映画のタイトルを思い出す。Oblivion – 忘却(されること)、記憶の彼方(に追いやられること)。

※注意※ ここよりネタバレが含まれます。繰り返します。ネタバレ、注意。

 

 地球にはエイリアンなどおらず、戦いに勝ったと思われていた人類は実は“スカブ”により殲滅の危機に瀕しており、ジャック自身が実はその“スカブ”により生み出されたクローン人間であり、人類殲滅を目的に生み出されたのだという。やがて自分と同じ顔をした別のクローンのジャック・ハーパーに遭遇することでジャックはその事実を受け入れざるおえなくなる。そしてオリジナルのジャックとは空軍出身の宇宙飛行士で、ジュリアもまた同じく宇宙飛行士であり彼の妻であった。目の前にいる女性は自分の妻である。正しくは自分のオリジナルの妻であり、クローンである現実のジャックにとってジュリアとの繫がりとは微かに残っていた記憶の断片でしかなく、実体としての抱きしめ合ったという経験はない。それでもジュリアはそのクローンのジャックに魅かれ、クローンのジャックもオリジナルを愛したジュリアに魅かれる。彼らを繋げるのはDNAが僅かに隠し持っていた記憶だけ。しかもそれは“スカブ”により書き換えられている危険性が充満する世界での記憶だ。
 ジャックはマルコム率いるレジスタンスに加わることを決意しジュリアとともに彼らの隠れ家に向かう。そこには一体の無傷のパトロールマシンがありレジスタンスはそれをジャックの管理下に置くことで人類の反撃を開始しようと企てていた。が、“スカブ”側はジャックのDNAを探査することでレジスタンスの隠れ家を発見し攻撃をしかける。レジスタンスの必死の反撃で3体の敵側パトロールマシンを撃破するもリーダーのマルコムは致命傷を負ってしまう。
 ここでジュリアはジャックにある提案をする。自分を人質として彼らの本拠地に連れて行き、そこで核爆弾を起動させ奴らの司令塔もろとも爆破しようというものだった。ジャックはそれに同意。ジュリアを再び眠らせる。自分のオリジナルが愛し、そのクローンの自分も愛した彼女を守るため、ジャックは計画の一部を変更して宇宙に向かう。クローンな自分を終わらせるために。 そして映画の最後、この映画の奥底に流れ続けていた問いかけにある結末が提示される。その結末そのものには賛否があるだろうし、プロットの展開の正当性を詰めていけば色々とボロもでそうである。それに加えこれはトム・クルーズの映画であるということ。なぜジャック=トムがクローンとして量産されることになったのか説明されるシーンでは思わず苦笑してしまった。というわけで細部までこだわる映画ファンは色々と文句が言いたくなることだろう。でもそれらはあくまでこの映画のSF的側面のこと。この映画を見終わった時私はすぐにでもあのSF小説の古典『夏への扉』をもう一度読み返したくなった。SF作品の評価の指標とはその科学的根拠やプロットの正当性、張り巡らされた伏線の回収にあると思われがちだが、私の評価作法はぜんぜん違う。そこは我々の住む世界とは違う理(ことわり)の世界ではあるがそれでも人は必死に生き続けていること、そんな当たり前のことをしっかりと描いているか否か。科学的根拠やプロット云々はその後にくる問題である。 images-6最後、ジャックとジュリアは再会する。彼らが愛したものは実体としてのお互いではなく、例え書き換えられた可能性があるにしても、お互いが共有している何ものにも代え難い記憶だった。
これから大作映画盛りだくさんの季節。個人的にはアイアンマンよりこんなSF映画の方が好きだな。アイアンマンも好きだけど。
oblivion-movie-directed by Joseph Kosinski

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