50年代SF映画傑作選⑨『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956)レビュー

CGとデジタル全盛の今だからこそ押さえておきたいクラシックSF映画を勝手に紹介する50年代SF映画傑作選。今回は1956年公開『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』のご紹介です。ジャック・フィニィの原作『盗まれた街』の映画化作品で、その後何度もリメイクされた古典SFの名作。ある日突然未知の生物に町が乗っ取られていく静かな恐怖を、巧みな演出で引き出した快作。監督は『ダーティハリー』のドン・シーゲル。

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『ボディ・スナッチャー/恐怖の街(Invasion of the Body Snatchers)』

1956年公開/アメリカ映画

監督:ドン・シーゲル

脚本:ダニエル・メインウェアリング

原作:ジャック・フィニィ『盗まれた街』

出演:ケヴィン・マッカーシー、ダナ・ウィンター、ラリー・ゲイツ、サム・ペキンパーなど

ストーリー

ある日、病院にマイルズという医師が運び込まれた。錯乱状態あったマイルズは対応した医師に向けて、自身が体験した奇妙で恐ろしい出来事を語り始める。

マイルズは地元で医者をしており、学会から帰ってきたばかり。しかし数週間の不在の後、何か違っていた。町で出会った何人かの人々が、自分のたちの肉親の異変を訴えていた。これまでと変わり無いように見えて、何かが違うと訴えるのだった。

ある夜、マイルズは友人ジャックから呼び出される。ジャックの家にはあったのは正体不明の死体であり、それはまるでジャック本人のようだった。本人がそこにいながら身体構造そっくりの体がそこにあったのだ。そして深夜、ジャックの家にあった死体が動き出した。

町を襲う不思議な現象に気がついたマイルズは恋人のベッキーの元へ車を走らせる。彼女の家に忍び込んだマイルズはそこでベッキーそっくりの体を発見するのだった。本物のベッキーを救い出したマイルズは精神科医のカウフマンを連れ立って、ジャックの家に残されているはずの体を見に行くも、なぜかそれは消えていた。そしてベッキーの体も消えていた。カウフマンはマイルズやジャックの証言を信じずに、それを集団ヒステリーと断ずる。

誰も信じられない状況の中マイルズたちはこの町が未知なる存在に奪われようとしていることを突き止める。

 

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レビュー

これまで何度もリメイクされ特に78年のフィリップ・カウフマン監督による『SF/ボディ・スナッチャー』が有名だが、それもこれも56年の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』の成功があってこそだろう。本作は異星人侵略の恐怖を描きながらも、ヴィジュアルによる恐怖感の演出はほとんどなく、主人公への感情移入が進むことによって感じる、じわりじわりとしみ込む内的な恐怖感の演出が絶品である。

自分以外の人間が外は同じでも中身が全く変わってしまっていく。そしてその乗っ取りが人間にとって欠かすことのできない睡眠中に無意識に行われるという恐怖。自分が変わってしまったと認識することもできない恐怖。これまで友人だったはずの人々が意思なき集団として迫ってくる恐怖。

この異星人侵略をモチーフとした魔女狩りとも言える設定は、1950年代前半のアメリカを覆っていた「マッカーシズム/赤狩り」への批判となっている。また別の見方では、「さや」人間に取って代わられ個性や感情をなくした住民たちを共産主義に傾倒していった人々と解釈することもできるかもしれない。実際、当時のアメリカでは共産主義者たちを機械のような意思なき思想奴隷と考える風潮があった。個人的には本作は単純な「マッカーシズム批判」の作品ではなく、共産主義者という当時のイメージも含めた、意思なき集団の危険性を描いているように見える。共産主義者を執拗に迫害する人々も、思想の奴隷となっている点では彼らが批判するイメージとしての共産主義者と何ら変わりない。本当の恐ろしい敵とは個別の思想でも個人でもなく、扇動者のいいなりのままに凶暴化する集団の性質なのだろう。もちろん脚本家のダニエル・メインウェアリングは赤狩りが吹き荒れた当時に共産主義者として迫害された経験があり、その怒りを盛り込んでいることは間違いない。またウィキペディアなどでは本作の脚本にサム・ペキンパーが参加していると書かれているが、出演はしているものの脚本執筆には関わっておらず、脚本の手直しを手伝っただけだという。

本作は低予算で撮られた作品だけに大掛かりなシーンはないものの、ひとつひとつのシーンそれぞれが素晴らしく、ドン・シーゲルによる演出が冴え渡っている。特に「さや」から生まれようとしている自分自身を殺そうとするするシーンは何度見てもゾクゾクする。そしてエンディングも憎いほどに洗練されている。人間の中身が異星人に乗っ取られるという作品では53年の『イット・ケイム・フロム・アウター・スペース』と同様であるが、本作ではそこから設定を一歩踏み込み、乗っ取られた人間たちによって世界が奪われるという恐怖を主題としており、異星人と地球人の境界はずっと曖昧だ。この点は低予算で撮られたことがうまい具合に作用している。

日常の緩やかな変化のなかでじわりと進行してくる恐怖はSF映画としてもホラー映画としても絶品である。そしてその恐怖は激しい差別意識がネットを媒介してじわりと進行している現代社会にも通底している。眠りのなかで感情を忘れ、暴力を扇動する無意識の集団に自分も知らぬ間に取り込まれていないか、そういった自問にもなってくれる傑作だ。

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ということで1956年公開『ボディ・スナッチャー/恐怖の街(Invasion of the Body Snatchers)』のレビューでした。本作を見たことがなくてもストーリーは広く知られた作品ですが、今でも十分にその素晴らしさを感じることができます。本編は錯乱した男の回想録という形ながらもエピローグ部分で彼の言い分が正しかったと証明されるエンディングも素晴らしい。前半はSF的要素は感じないも、後半からは徐々に恐怖感が浸透してきます。そしてとうとう愛するものまでも、、、という展開もドン・シーゲルのニヒリズムです。本作は広く様々な見方で論評されていますが、それも秀作の証でしょう。50年代SF映画のなかでは本作も欠かせない一作です。

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