【映画】アンジェリーナ・ジョリー主演『マレフィセント』レビュー ※ネタバレあり

ディズニー製作、アンジェリーナ・ジョリー主演の『マレフィセント』のレビューです。ディズニーの古典『眠れる森の美女』の再解釈に挑んだ本作は、結果、アンジェリーナ・ジョリーの個人的な映画になるという非常に不思議な作品となりました。評価が分かれることになると思いますが、『アナと雪の女王』にも通じるディズニーの新しい方針が窺える内容になっています。日本公開は2014年7月5日。

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・ストーリー(ネタバレなし)

人間の暮らす王国と接する平和な妖精たちの国に暮らしていた若いマレフィセントは、大きな翼と二本の角を持った心優しい妖精だった。空を自由に飛び回り、木々の治療しては平和の暮らしを謳歌していた。そんな彼女のことを他の妖精や生き物も大好きだった。

ある日、マレフィセントは森に迷い込んだ人間の少年ステファンと出会い初めての恋をする。そして年齢を重ねた二人は、人間と妖精という違いのなか、真実の愛を誓う口づけをかわす。

しかし将来は王になるという野望をもつステファノとマレフィセントはやがて疎遠になり、ある日、欲望に目がくらんだ人間の王は妖精の王国を侵略するために兵を仕向ける。少女からひとりの女性と成長していたマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)は平和な妖精の国を守るために先頭になって人間たちと闘い、そして彼らを打ち負かす。

マレフィセントに破れた人間の王は病のなかで、彼女を仕留めた者を新たな王に指名すると発表し、欲望に目がくらんだステファノは、真実の愛を疑っていないマレフィセントに近づき、彼女に眠り薬を飲ませ殺そうとするもそれは出来ずに、代わりに妖精たちの弱点である鉄の鎖を使って彼女の大きく美しい翼を切断してしまう。

眠りから目覚めたマレフィセントは裏切られたことを知り、絶望と憎悪に打ち震える。そしてこれまで平和だった妖精の王国を暗黒の王国へと変貌させ、人間に殺されかけていたカラスを自分の配下に従える。

そして自分の翼と引き換えに王になったステファノに子供が出来たことを知ったマレフィセントは、誕生の祝いの席に登場し、赤ん坊に「16歳の誕生日に針で指を刺してしまった後、永遠の眠りにつく」という呪いをかける。そしてその呪いを解く唯一の方法は「真実の愛の口づけ」だけだとした。

オーロラと名付けられたプリンセスはやがて心優しく成長し、憎悪に身を焦がしたマレフィセントの心も徐々に動き始める。

・感想

この映画を見終わったとき、この映画の内容ではなく、この映画が文字通りアンジェリーナ・ジョリーの映画になっていることに感動してしまった。ディズニーの悪役として有名なマレフィセントを、自身の個人的な関係のためだけに演じ切ったアンジーのスゴさ。繰り返すがこの映画の内容に感動したのではない。手塚治虫が「どろろ」を書いた理由というのが「ゲゲゲの鬼太郎」に熱中している息子を振り向かせるためだったことと同じように、この映画はアンジェリーナ・ジョリーがブラピとの結婚前に迎えた養子たちにためだけに作った映画としか思えないのだ。自分の養子のために200億円弱もの映画を作ってしまうアンジーの愛に感動したのだ。

まずこの映画を最近のディズニーの動向に合わせて読み解くと、大ヒットアニメ『アナと雪の女王』でも描かれたように、王子(=男性)によってのみ幸福がもたらされるという受動的なプリンセス像から脱却しようと言う意図がはっきりと感じられる。従来のディズニーの原則である「口づけによる目覚め」という設定を維持するために、愛という領域を男女のそれからより大きく抽象的なものへと転換することで乗り切ろうとした。どうやらディズニーは本気でフェミニズム的視点を映画内に取り込もうとしているようだ。しかし如何せん『アナと雪の女王』が空前の大ヒットを飛ばした後では、本作の一般的メッセージが二番煎じであることは否めない。後半のオチの一つは丸っ切り『アナと雪の女王』をトレースしてしまっている。

つまり映画として見れば物語上の新鮮さは何もない。『眠れる森の美女』の新解釈として期待された本作だが、のっけから従来のマレフィセント像とは一線を画している訳で、観客は全く新しい物語として受け取らざるを得ない。そして新しい物語として提示された作品が、先行するアニメ映画と瓜二つなわけでは、やはり一般的な映画としては評価のしようがない。映像の迫力や様々なクリーチャー、空を舞うアンジェリーナ・ジョリーが天使のイメージそのまま過ぎるといった見所(笑い所?)はあるものの、物語を肯定的に転換できるほどの要素でもない。

それでもこの映画に“感動”できるのは物語とは無関係の外側との関連、つまりメタ的な深い愛がそこに見えるからである。ご存知の通り、主演のアンジェリーナ・ジョリーはハリウッドを代表する篤志家として知られており、ブラッド・ピットとの間に実子を儲けるまでに、カンボジアやベトナム、エチオピアから養子を受け入れている。そして現在彼らも多感な時期を迎えている。肌の色の違う育ての両親は世界で最も有名なカップルという特殊な状況のなか彼らの心情は推し測ることさえできないほど微妙なものだろう。そのなかでアンジェリーナ・ジョリーは女優としての最後の映画として臨んだ本作を、養子たちへの熱烈な愛情表現として締めくくったのだ。

この映画の内容が、アンジェリーナ・ジョリーの養子への愛とどのように関連してくるのか実際に映画を観れば理解していただけると思う。血の繋がっていない“親と子”であっても、そこに真実の愛は存在することをアンジェリーナ・ジョリーは語りかける。執拗なまで繰り返すがこの映画の内容に感動したのではなく、この映画に登場する1人の女優の生き様に感動したのだ。

→次ページにネタバレのストーリー解説を行います←

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1 個のコメント

  • こんにちは。
    最近私もこの映画を観たので私なりの感想を述べたいと思います。

    なんと言うか、もはや再解釈とは思えないまったく別の物語になってしまっているな、と思いました。これぞ『マレフィセント』だ、と。正直オーロラは出演時間短すぎるし(演じた子がかわいそう)、ここの記事にあった「アンジーの映画」という位置づけにはとても頷けます。
    あと、納得がいかないのはオーロラが目覚めるシーン。どっからどう見ても『アナと雪の女王』のラストとまるっきり一緒。アナ雪はまだオリジナルだからいいかな、と思いますが、これの場合どう考えてもオリジナルの『眠れる森の美女』のラストの冒涜。無視してますからね。

    この映画は見ても無駄だったな、と思いました。

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