【映画】『寄生獣』レビュー ※ネタバレページあり

第27回東京国際映画祭のクロージングを務めた山崎貴監督作『寄生獣』のレビューです。人気原作漫画の映画化ということで期待と不安の両方を感じつつも、二部作の前半部としては申し分ない出来映え。本作だけで完結しないということで作品としての評価は難しいですが、少なくとも近年の邦画大作映画のなかでは特出した完成度でした。公開は2014年11月29日。そして完結編は2015年4月25日です。

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■ストーリー、前半■ ※ネタバレなし

ある夜、母子家庭に育つ高校生、泉新一(染谷将太)の就寝中、不思議な軟体生物が彼の右手から体内に侵入しようと試みる。異変に気がついた新一は、とっさに右手にイヤホンのコードを巻き付け、生物の体内への侵入を阻もうとする。しかしそんな姿を母親(余貴美子)に見られるも、訳の分からないことを口走る新一が寝ぼけているだけだと思われる。そして新一のまた右手に異変がない事に気がつき、その夜はそのまま眠りにつく。

しかし翌日、新一は自分の右手が自分の意思を無視して、同級生の村野里美(橋本愛)の胸を触っていることに気がつき動揺を隠せない。そして新一は自分の右手が別の意思を持った謎の寄生生物によって乗っ取られた事に気がつく。その寄生生物は片言の言葉をしゃべるようになり、新一が寝ている間にパソコンから大量の情報を取得。すぐさま高度な知能と言語能力を獲得する。そして「ミギー」と名乗るその生物は、実は新一の脳に寄生し彼の体を乗っ取る予定であったが、右手に押さえ込まれ、そのまま右手に定着してしまったという。

新一と一心同体となり、宿主である新一なしには生きていけなくなったミギーは、彼との共存を模索するようになる。そして新一とミギーの奇妙な共存生活がはじまった。

そんななか、日本では犯人不明の猟奇殺人が多発していた。そして町を歩いていた新一はミギーから、この付近に仲間がいることを告げられる。閉店中の中華食堂のなかでは、頭が巨大な捕食器官となっている怪物が人間を食べている最中だった。完全に脳に寄生し人間の体を奪っていた寄生生物は、脳に定着せずに人間の意識と共存するミギーを見て驚くも、ミギーに対し自分の右腕に乗り移るように進言し、新一を殺そうとする。逡巡の末に、移動できるか確信を持てなかったミギーは仲間である寄生生物の首を切り落とす。結果として新一を救う事になった。

ある日、校内集会中にミギーは新一に、近くに別の寄生生物がいることを告げる。そして新任教師として挨拶にたった教師、田宮良子(深津絵里)は完全に人間の体を奪いながらも、人間生活に馴染みながら生活していた不思議な存在だった。そして新一は田宮に誘われるまま、彼女の仲間として高校生の島田(東出昌大)と警官のAのふたりを仲間として紹介される。彼らがパラサイトとして同種同士でネットワークを形成し、人間社会に寄生しようとしていた。そして人間の捕食行為を邪魔しないようにクギをさされる。そして田宮は人間を知る実験として子供を宿していることも告げる。

しかしある夜、帰宅中だった新一は、強烈な殺意を持ったAに待ち伏せされている事をミギーから告げられる。そして自宅近くの魚市場で闘いとなった新一=ミギー対Aの壮絶な闘いは、生身の新一が戦闘に参加することでAに致命傷を負わせることに成功する。

そして徐々に人間社会を浸食していく謎のパラサイトは、新一が最も大切とする存在にまで近づきつつあった。新一は右手に寄生したミギーとの不思議な友情関係のなか、大切な存在のために、避けられない闘いへと突き進んでいく。

■レビュー■

傑作漫画として有名な『寄生獣』の実写化映画は、監督が日本を代表するヒットメーカーでありながら『ALWAYS』、『SPACE BATTLESHIP ヤマト』、『永遠のゼロ』など批評的にはパッとしない山崎貴ということで、期待と不安で言えばやはり不安の方が大きいというのが一般的ではないだろうか。特に近年の漫画原作の実写化大作映画は『るろうに剣心』の成功を除けば、ほぼ壊滅状態。「原作レイプ」という過激な表現が多用さえることからも、ファンの怒りや絶望は原作漫画が偉大であればあるほどに強くなってしまう。

本作は二部構成の前半部に相当し、物語は本作では完結しないため、ここで評価を下すのは適切ではないかもしれないが、クライマックスへの助走として本作は、控えめに見ても、想像以上の完成度であった。正直に言えばここまで面白いとは想像していなかった。第一部作として、ただ人物解説や状況説明に終始するのではなく、しっかりと映画としての見せ場を要所要所に配置しており、VFXの完成度も非常に高い。そして重要なこととして残虐描写からも逃げていない。人は頭から食われるし、切断された高校生の屍の群れも描かれている。

人間の内なる凶暴性を描くことは原作のテーマとも直結しており、そこから逃げていないことからも分かるように、本作は驚くほどに原作に忠実だった。もちろん物語内でおきる事件の背景が原作とは違うところはあるが、「生物としての人間とは?」という哲学的な原作のテーマを最大限尊重したうえでの改変となっているので、原作を読んでいたとしてもそれに違和感は覚えない。特に主人公の育ちを母子家庭に設定したことで、人間性の象徴として原作でも重要なファクターとなっている母と子の関係性がより際立つことになり、この設定は完結編にも活かされるだろう。

そして予告編からも分かるようにミギーをはじめとする寄生生物たちを描くVFXの完成度も非常に高い。もちろんハリウッドのそれと比較すればたどたどしさは否めないが、同じく原作漫画の実写化映画『ガンツ』などで見られたような絶望的な格差はもうない。マンガの想像力に、日本の映画製作の創造力が追いついたという意味では、本作は画期的だとも言える。ただし物語の前半部となる本作ではVFXを駆使したアクションシーンは少なく、完結編で再現されるであろうクライマックスの大アクション合戦でどこまでリアルなVFX表現が出来るのか疑問が残るが、それ以上に期待感を感じさせてくれたのも事実。

繰り返しになるが、本作はあくまで大きな物語の序盤部分でしかなく、主な目的とは、物語全体のテーマの提示と、完結編では複雑に入り乱れることになる登場人物の相関関係を描くことにある。そのふたつの目的はほぼ完璧に達成している。特殊な世界観をぶち壊しにするようなヘタクソな役者はひとりも出ていないし、演出もそつなくこなしている。そして我々が信じる「人間と生物の違い」について繰り返し描きながらも、やがてはその境界が曖昧になっていく過程も上手く表現している。原作漫画のテーマ性の複雑さは『デビルマン』と比較されるほどに高く評価されている本作だが、他方が映画史に残る駄作となったことを考えれば、本作の出来映えはほとんど奇跡じゃないのかとさえ思った。

邦画がハリウッドを超えるなどと言えば悪い冗談にしか聞こえなかったのだが、「もしかすると、もしかするんじゃないのか」とという期待感を本作は感じさせてくれた。もちろん本当の評価は2015年4月25日に公開される完結編を見てからである。しかしこの次作への期待感はレジェンダリー版『ゴジラ』やマーベル作品などに感じるものと大差ない。

少なくともこんな感慨をここ数年の邦画大作に感じたことは、個人的には、ない。そんな映画だった。

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※次のページにストーリー後半のネタバレあり※

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