アニメ映画『アノマリサ』レビュー(ネタバレあり)

『マルコヴィッチの穴』『エターナル・サンシャイン』の奇才脚本家チャーリー・カウフマンが監督・脚本を手がけた、大人向けのストップモーションアニメ『アノマリサ』のレビューです。誰の声でも同じに聞こえてしまうほどに人生に退屈する男が出会った「別の声」を持つリサと出会う。アカデミー賞長編アニメ賞にノミネートされた異色のR指定アニメ。2106年6月3日にBlu-ray&DVDが発売。

Anomalisa poster

『アノマリサ / Anomarisa』

全米公開2015年12月30日/日本DVD発売201年6月3日/アニメ/90分

監督:デューク・ジョンソン、チャーリー・カウフマン

脚本:チャーリー・カウフマン

声の出演:デビッド・シューリス、ジェニファー・ジェイソン・リー、トム・ヌーナン

レビュー

「鬼才」と評される映画人は、キューブリックやパゾリーニを筆頭に、ヘルツォーク、タランティーノ、クローネンバーグ、ラース・フォン・トリアー、リンチ、ハネケ、ニコラス・ウィンディング・レフン、黒沢清、三池崇史など、世界中にゴロゴロと存在しているが、これが「奇才」となると数はグッと減って、そのほとんどが「鬼才」と重複してしまうのだが、「鬼才」ではなくて「奇才」がぴったりな映画人となれば、まず思い浮かぶのはチャーリー・カウフマンではないか。

映画デビューとなった『マルコヴィッチの穴』から本作までどれもが「難解」というより「奇怪」で、「哲学的」というよりは「病的」な、奇想天外なストーリーを描き続けている、そんな奇才チャーリー・カウフマンが『脳内ニューヨーク』に続いて監督と脚本を兼任した映画『アノマリサ』は、奇才が撮った奇作という意味でこれまで以上に奇怪さが純粋培養された作品になっていた。

物語ははじまりから奇怪だ。

真っ暗なスクリーンにひとつの声が浮かび、さらに複数の会話が折り重なっていく。街中や喫茶店などで聞こえてくる「雑音」と変わらないのだが、やがて気がつくのは、それらの声たちが皆、同じ声色だという気持ち悪さ。カメラは飛行機のなかを映し、はしゃぐ子供の声も、それをたしなめる親の声も、他の乗客たちの声もすべては同じ「男」の声に聞こえる。そう聞こえているのは中年の男マイケルで、カスタマー・サービスに関する啓発本で有名な彼はシンシナティでの講演のためにイギリスからアメリカに向かっていた。

空港からホテルに移動しても、マイケルにはすべての人の声が同じに聞こえる。どうやらマイケルにとってこの現象は今にはじまった訳ではないようだった。すべての人の声が同じに聞こえることにうんざりしていても、驚くことはない。

マイケルは今の人生すべてに退屈している男だった。それでも人生の楽しみを諦めた訳ではなく、過去に関係のあった女性に電話をかけてホテルで会う約束をする。しかし結局、彼女も他と同じような声の持ち主でしかなかった。挙句には彼女は怒って帰ってしまう有様。うんざりしたマイケルは街中を歩きセックスショップを冷やかし、そこで見つけた日本の芸者を思わせる機械式人形を、息子へのプレゼントとして買う。

その帰りに部屋でシャワーを浴びていると不意に他とは違う声が聞こえてきた。これまでの退屈な声とは違って、感情豊かな女性の声を久しぶりに聞いたことで興奮したマイケルはその声の持ち主を探す。やっと見つけた声の持ち主はリサといい、何とマイケルの本に感銘を受けて彼の講演を聞きにきた、いわばマイケルのファンだった。

こうしてマイケルは退屈な世界に希望を見つけたのだった、、、、、

ANOMALISA 008R

というストーリーが、人形を使ったストップモーションアニメで描かれる。言い忘れていたが本作は、ミニチュアのセットに人形を一コマ一コマを動かして作るストップモーションアニメで作られていて、チャーリー・カウフマン以外にもうひとりデューク・ジョンソンというストップモーションアニメを担当した監督がいる。

本作に折り重なっている奇怪さの最初で最大のレイヤーとは「なぜストップモーションアニメなのか?」というもので、物語が進みにつれてその疑問符は大きくなっていく。一般的にアニメーションの有利性とは、実写以上に非現実的な世界を描けるということだろう。しかしその非現実性とは主に写実面での限界を意味し、人の声が同じに聞こえるという非現実性はアニメーションの優位性とは重ならない。別に実写映画でいいのだ。実際に登場人物の混乱を描くため、人の声が重なるという表現法は実写でよく使われる。

にもかかわらず本作は「なぜか」人形劇スタイルのアニメーションとして、実写やアニメに関わらず映画内では秘匿され続けている「描く必要のない日常」までも長々と描くことになる。男が小便する姿、個人的なモノローグ、シャワー内で悪態を吐く姿、美しない男女の生々しいセックスなど、「描くまでもない」出来事が延々と続いていく。

カウフマン本人がインタビューのなかで「これが実写映画だったら一週間ほどで撮れただろう」と語るとおり、物語は奇怪であってもストップモーションアニメで描かれる対象としてはあまりに日常的だ。しかし実際には本作には途方もない労力が費やされている。実写でなら一週間で撮れるはずなのに、ストップモーションアニメのおかげで完成まで二年以上もかかっている。

ストップモーションアニメとは一般的なアニメーション以上に、作り手の苦労が透けて見えるものだ。ライカのアニメーションでも同様の感覚を覚えるが、何気ないシーンでも途方もない労力が消費されていることを暗に感じることで観客は製作の裏側へと無意識にアクセスしてしまう。この感覚は作品の評価に直結する。作品がつまらなければその労力の無駄使いが目立つ結果になり、逆に面白ければその労力への賞賛も同時に行われる。つまりストップモーションアニメでは観客と製作現場との距離がずっと近くなる。

その効果はもちろん本作に作用しており、「退屈な」シーンの連続も、そこに消費された途方もない労力が透かし見えることで、「退屈」であればあるほどに「なぜ?」という疑問が生まれ、その答えをスクリーンに探そうとしてしまうことになる。「なぜ男の小便姿を描くために数週間もかけなければならないのか?」「クソみたいな会話シーンのためにどれほどの苦労があったのだろう?」こういった疑問の数々は、映画の後半のストーリー展開によって映画内部へと引き込まれていくことになる。

この映画の表層は退屈である。だからといってこの映画そのものが退屈だということにはならない。しかしこの映画には確実に「退屈さ」が含まれてもいる。ではその退屈の正体とは何なのだろう?

この映画で描かれる世界が退屈なのか? この映画の登場人物が退屈なのか? この映画の主人公が退屈なのか? この映画のすべてが退屈なのか? それともこの映画を見ている自分だけが退屈な存在なのか?

Anomalisa 5

<ここから『アノマリサ』のネタバレが含まれますので注意してください>

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世界が退屈なせいで周りの人の声が同じに聞こえてしまう男マイケルの前に現れた「違う」声を持つ女性リサ。

マイケルは彼女こそが運命の人だと確信し、出会いから数時間後には彼女とホテルの部屋でセックスする。何といってのリサはマイケルのファンなのだ。セックスするのも難しいことじゃない。

しかしその夜、マイケルは不思議な悪夢にうなされる。夢の世界ではすべての人がマイケルとリサを離れさせようと画策していた。悪夢から目覚めたマイケルはリサを失わないために、家で待つ妻や息子(彼らも同じ声)を捨ててでもリサと一緒になる決心を固め、翌朝彼女にプロポーズする。

冴えない独身女性のリサにとって驚くような申し出だった。戸惑いながらもマイケルのプロポーズを受け入れる。朝食は賑やかになり、リサは思わずフォークで食べ物を口に運びながらもマイケルに話しかける。それほどまでに興奮していたのだろうが、マイケルはそのリサの行動を注意する。みっともない、と言うのだ。素直に謝るリサだが、どうやらそれは彼女の癖のようでまた同じことをしてしまう。するとどうだろう、これまでは聞こえてきたリサだけの声色が、やがてその他大勢の声と重なって聞こえてきた。

そしてとうとうリサの声もマイケルにとって特別ではなくなってしまう。

映画のラスト、マイケルに聞こえる唯一の「違う」声とはセックスショップで買った日本人形が歌う機械の声だけだった。

最初は「運命」や「唯一」という綺麗な言葉で語られるロマンチックな物語かとも思われたが、徐々にその厚化粧は落ちていき、作品の生の姿が見えてくる。

マイケルの耳にだけ周りの人間の声が同じに聞こえる理由とは、彼が周りの人間を同じ声の持ち主としか認識しなかったせいなのだ。特別な声をもつ自分と、それ以外の声をもつ周りの人間とは分かり合えないという傲慢な態度がマイケルの行動の節々から発せられる。マイケルにとって自分と世界とは完全に断絶された関係だったのだが、「自分自身を知れば分かるようになる。己を知るつもりがないのなら、貧しいままだ」というキリストが語った世界認識のとおり、マイケルは「貧しい人間」でしかない。

ちょっと哲学を混じらせれば「独我論をこじらせた」中年男性こそがマイケルであって、いつまでも「世界とは私個人の観念に過ぎない」という思い込みだけで世界を認識していて、彼が感じている孤独や疎外感とは、彼自身の排他性によってもたらされていることが描かれている。

つまり本作で描かれるのは、世界に退屈した男の姿ではなく、世界を退屈にした男の姿だったのだ。

そこから翻れば本作がストップモーションアニメで撮られた理由も理解できる。この映画がどれほど退屈でもストップモーションアニメで作られたことで観客は自然と物語の裏側を想像しその退屈さにも価値を見出したように、すべての人間もまた途方もない労力の果てに存在するのだ。

その事実を主人公のマイケルは知らない。だから最後まで彼は孤独で、愛せるのは不思議な日本語を繰り返すだけの人形だけなのだ。

『アノマリサ』:

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