映画『追憶の森』レビュー(ネタバレあり)

マシュー・マコノヒーと渡辺謙が共演するミステリー映画『追憶の森』のレビューです。ガス・ヴァン・サント監督が富士の樹海を舞台に、死を決意した二人の男の絶望の旅を描く。共演はナオミ・ワッツ。

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『追憶の森/The Sea of Trees』

日本公開2016年4月29日/ミステリー/110分

監督:ガス・ヴァン・サント

脚本:クリス・スパーリング

出演:マシュー・マコノヒー、渡辺謙、ナオミ・ワッツ

レビュー

ある理由で死を決意したアーサーはアメリカから飛行機に乗って、富士の裾野に広がる自殺の名所、青木ヶ原樹海を訪れる。オーバードース用の薬と、それを飲むための水、そして一つの郵便物、これらだけが持ち物だ。アーサーは樹海の奥に入り、自殺を試みようとしたところで、別の男と出会う。ナカムラタクミと名乗る日本人は英語が話せ、しかも手首にはいくつかのためらい傷がある。彼もまた自殺しようとしていたのが、気が変わったのか、今では生きるために樹海の外に出たがっている。

死にたい男と、死にたくない男が深い森の奥で出会う。そして樹海の森でふたりは旅に出る。この森から出る旅、つまり生きるための旅。しかし森は深く、容赦ない。迷路のような森に迷い込んだ二人の格闘と並行して描かれるアーサーの絶望。彼はなぜアメリカからここまでやってきたのか? なぜ死ぬことを決意したのか? そしてなぜふたりは出会ったのか? 様々な謎がやがて一本の糸で繋がることになる。

『追憶の森』はミステリー映画ということになっている。しかし実際はロマンチックな映画でもある。自殺の名所と言われる富士の樹海を舞台にして、劇中には首吊りやミイラ化した遺体も登場する。そしてほとんどの時間がマシュー・マコノヒーと渡辺謙のふたり旅で費やされ、回想シーンに登場するナオミ・ワッツもアル中で攻撃的な女性として描かれる。間違ってもオシャレなシーンを期待するような映画ではないのだが、それでもロマンチックな映画なのだ。

監督のガス・ヴァン・サントの手にかかれば何だってロマンチックに早変わりする。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』ではエリートではない天才青年の葛藤を、『小説家を見つけたら』では黒人少年と伝説的作家との友情を、ほとんど隠そうともしない監督自身の性的嗜好に重ね合わせるようにして、ロマンチックに描いてきた。本作もその系譜に位置する。

しかし『追憶の森』はガス・ヴァン・サント監督作でマシュー・マコノヒーという注目俳優を起用しておきながら、フランスやイタリア、そして日本など数カ国で劇場公開されただけで全米公開の予定はない。興行的には、そして批評的にも話題になるような作品でもない。はっきりと言ってしまえばその程度の映画であるのだが、だからと言って箸にも棒にも触れないような映画というわけでもない。前半は非常に退屈で、強い眠気を催す。細部も甘い。そして劇中に起きることすべてが非現実的なまでに突拍子がない。しかし物語の非現実感には理由があり、その理由こそが本作のミステリーでもあり、サプライズとなっている。さすがに巨匠と呼ばれるガス・ヴァン・サントが撮っただけあって、サプライズに向かう展開力には説得力がある。

しかし本作の主題として描かれる死生観には強い違和感を覚えた。キーワードは不思議の国ジャパン。

死んだ人間が霊魂として現生に現れる映画に慣れている日本人にとって、死をロマンチックに描いても別にどうってことはない。そんなもんには慣れている。しかしそういった日本的もしくは東洋的な死生観を、西洋にはない特別な価値観として持ち上げるようなことがあれば、それは薄っぺらいオリエンタリズムでしかない。

そして本作はまさに薄っぺらいオリエンタリズムに彩られただけの、ロマンチックな映画だった。

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<ここから『追憶の森』のネタバレが含まれます>

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物語は樹海で出会った二人の脱出行と、なぜマシュー・マコノヒー演じるアーサーが死を決意したのかという理由が描かれる回想パートが交互に語られる。表向きはアーサーが死を決意した絶望の理由が作品の主題なのだが、実際はラストに用意されているサプライズによって物語のトーンが一気に変わる。つまり陰鬱なそれからロマンチックな作品になるのだ。

アーサーにはジョーンという妻がいた。結婚生活は問題だらけで喧嘩ばかりだったが、ジョーンに脳腫瘍が見つかってから二人はこれまでにないほどに親密になる。しかしジョーンは死んでしまった。脳腫瘍ではなく、交通事故のせいで、目の前にあった二人の幸せな未来は奪われた。そしてアーサーは死に場所を求めた富士の樹海にやってくる。

一方でアーサーが樹海で出会った渡辺謙演じる男は不思議な存在だった。半狂乱になったかと思えば意味深な台詞を残したり、アーサーの迷惑になっているかと思えば結果的には彼を生きさせる役割も担っている。

物語の核心をあっさり教えると、じつは渡辺謙演じる男には実体はなく、(おそらくは)アーサーの死んだ妻の霊魂が彼を助けるために現れたものだった。渡辺謙が劇中で発する意味深な台詞のすべては、アーサーの妻の死と関連してラストのサプライズへとロマンチックに繋がっている。そして最後、アーサーは生きることを決意する。

よく知らないのだが『いま会いに行きます』とか『鉄道員<ぽっぽや>』 はそういう映画なのだろうし、ハリウッドにも『天国から来たチャンピオン』や『ゴースト』、そして劇中でも言及される『天国への階段』といった「よみがえり」系映画はある。好き嫌いはあるだろうし、感動的なのもわかるが、「死」という誰もが感情的になってしまう要素に頼りきるために、感動の予定調和をぶち破るような作品にはならない。そしてインディペンデント映画の世界で注目され続ける映画作家と今話題の演技派俳優によって撮られた「よみがえり」系映画が『追憶の森』なのだ。画面大写しにマシュー・マコノヒーが泣きわめくことが感動的というのならそれまでだが、間違ってもそれ以上の魅力はない。

多くの人が吸い寄せられるようにして青木ヶ原樹海で自殺することから、その場所に神秘的な意味を求めた結果として生まれたのが本作の脚本なのだろうが、青木ヶ原樹海が自殺のメッカとなったのは「青木ヶ原が自殺の名所」という噂に様々な尾ひれが付いて世間に広がったことが一因と言われており、その意味では本作も無責任な噂話に「釣られた」だけの作品とも言える。加えて、樹海内でコンパスが使えなくなるという描写もデタラメで、まさに「青木ヶ原が自殺の名所」というオカルトをあっさりと信じ込む程度の低さを披露している。

西洋人から見て「ハラキリ」や「カミカゼ」に代表される死に直結する日本人の行動が理解できずに、その結果として過剰な意味を求めることは珍しくない。もちろん異文化からの冷静な解析によって明かされる行動原理もあるのだろうが、往々にしてそれは西洋にない性質を身勝手な憧れとして異文化に背負わせるだけの、西洋の傲慢な態度の表れでしかない。

『追憶の森』はただロマンティックに死を描くだけでなく、西洋文化では救済されない罪悪感の癒しを、理解を超えた「日本」的文化に無理やり担わせた危うい作品でもある。しかもひらすら底が浅い。無神論者の科学者が樹海内では溶岩が影響してコンパスが使えないというオカルトを無批判に信じていることや、そのオカルトをもとにして作られた樹海が「世界で最高の死に場所」というガセネタを映画の中心に設定する軽薄さ。

世界的な巨匠がオスカー俳優を伴って、日本を舞台に、日本を代表する俳優を準主役にして撮ったロマンティックな東洋的スピリチャル映画。本作の表面をなぞれば、日本人にとって心地のよい映画かもしれない。またマシュー・マコノヒーと渡辺謙の関係性から映画作家ガス・ヴァン・サントのセクシャリティを読み取ることもいいだろう。

しかし本作から無意識に垂れ流される文化観の危うさも感じ取らなければならないはずだ。

『追憶の森』:

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197292公式サイト:tsuiokunomori.jp/

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追憶の森
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