映画『ザ・ロード・ウィズイン(原題)/The Road Within』レビュー

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『ザ・ロード・ウィズイン/The Road Within』

全米公開2015年4月17日/日本公開未定/アメリカ/100分/青春ロードムービー

監督:グレン・ウェルズ

脚本:グレン・ウェルズ

出演:ロバート・シーハン、ゾーイ・クラヴィッツ、デーヴ・パテール、ロバート・パトリック他

あらすじ(ネタバレなし)

ヴィンセント(ロバート・シーハン)は神経性疾患のひとつで意図せずに汚い言葉を突発的に叫んでしまうトゥレット障害を患っている。そして唯一の理解者だった母親を亡くしたことから、別居していた父親に施設に預けられてしまう。

そこには異常なまでの潔癖性を持つアレックス(デーヴ・パテール)と拒食症のマリー(ゾーイ・クラヴィッツ)などが一緒に生活していた。

しかしある日、ヴィンセントが施設で問題を起こしてしまったことから、その流れでマリーとヴィンセントは施設の管理者の車を盗み、死んだ母親の遺灰を海に流すために海へ向かう。そしてアレックスも半ば誘拐のような形で旅に便乗。

バラバラだった3人はそれぞれの病と向き合いながら、海へと車を走らせる。

レビュー

青春を謳歌できなかったすべてのひとたちへ:

『シャドウハンター』のロバート・シーハン、『マッドマックス/怒りのデスロード』や『ドローン・ウォー』のゾーイ・クラヴィッツ、『スラムドッグ$ミリオネア』のデーヴ・パテールの3人が心の病を抱えながら、盗んだ車で海を目指す旅を描いた青春ロードムービー。これまで何度も似たような映画を観てきた気がするが、それでも心深く揺さぶられてしまうのは一体どういうことなのだろう。

母親が死んだことで厄介払いのように父親から施設に預けられた主人公ヴィンセント。彼は神経障害を患っており、社会生活を営むのが困難だった。半ば強制的に施設に入れられ、そこでヴィンセントのルームメイトとなるのがイギリス出身で他人に触れることができないアレックス。クラシック音楽を愛する、極度の綺麗好き。そして一見すると精神疾患とは無縁そうなマリーも重い拒食症を患っていた。そんな3人がひょんなことから車を盗み、ヴィンセントの亡き母の遺灰を海に流すための旅にでる。

本作の主人公が患っている神経障害とはトゥレット障害と呼ばれ、意図していないにも関わらずその場に不相応な言動を取ってしまったり、突発的な動作を抑えることができない、広くチックと呼ばれる神経性心疾患の一種である。オープニングでは母親の葬式の最中、主人公ヴィンセントが涙を流しながらも牧師に向かって「このロリコン野郎」と中指を立てたりする症状などが描かれている。本作はコメディでもあるため、こういった病気の症状を意図的に笑いの文脈に盛り込んでいる。おそらくは本作を観て不快感を覚える方がいればこういった精神病のコミカルな描き方が原因だろうが、そのコミカルの背景には彼らの葛藤や苦しみも含まれていることも描かれている。

本作はその内容からもタイトルからもジャック・ケルアックの『路上/On The Road』を意識しているし、逃亡の末に海に至るというのは『大人は判ってくれない』にも通じる。また二人の青年とひとりの女性が微妙な関係に揺れるという設定は『冒険者たち』を思わせる。このような束縛からの脱出という「オザキ」的設定は青春映画では繰り返されており、最近ではジョン・グリーン原作の『ペーパー・タウン』なんてまさにそのままだった。このように本作はオリジナル性云々によって語られる種類の映画ではないし、どちらかと言えば古臭いとさえ思えるシチュエーション・コメディのようですらある。

それでも感動してしまったのだから困ってしまう。

言いようのない感動を覚えた作品を観終わったときには、もし自分がこの映画のなかに登場したのなら誰になるだろうか、という疑問を常に持つ。もちろんは大抵は序盤の爆発に巻き込まれてあっさり死んだ奴だったり、美女のシャワーを覗き見中にテキサスの狂人にチェーンソーでバラバラにされたりする三文役者が関の山。しかし本作に限って言えば登場する3人の若者以外にも、主人公の父親だったり施設の管理者の女性だったり、ぞれぞれ登場人物の一部に自分自身の姿を見たような感覚を覚えた。

その理由とは本作に登場するするほとんどの人物から青春を諦めた悲しみが漂ってくるためだ。

男ふたりと女ひとりという人物設定にあって、それぞれの距離感を定めているのが彼らがそれぞれに抱える病気の症状になっている。トゥレット障害のヴィンセントは円滑なコミュニケーションは取れないし、拒食症のマリーはその病気に至った過去を話そうともしない。また物語上でトリックスターのような役回りを演じる潔癖性のアレックスは物理的に人と直に触れ合うことができない。そんな彼の目の前で一気に親密になっていくヴィンセントとマリー。それでもふたりをただ見つめるだけしかできないアレックスの悲しみは、彼の口からは一切語られないために余計に染み入る。普段は誰かに触れられただけで大騒ぎするアレックスだが、本心では普通の男女がするようにキスだってしたいし、セックスも当然やりたい。でもアレックスは病気のためにできない。この悲しみは、病気云々ではなく、なかなか他人事のようには割り切れない。

それ以外にもヴィンセントの悲しい童貞喪失(たぶん)や、何も持っていなくてもとにかく逃げ出そうとするマリーの計れない絶望など、青春を謳歌できない男女の行き場のない悲しみが痛いほどに描かれていた。そしてその点こそが本作に惹かれた最大の理由だろう。青春を謳歌できなかった人間にとってスクリーンで苦しむ彼らに自分の青春を重ねてしまうことは無理ない話だ。

実は本作の評価は芳しくない。というかかなり悪い。いくつかのレビューを回ってみたが、状況設定の強引さや、物語を3人の逃避行に限定せずにそれを追うヴィンセントの父親と施設の管理者のプロットが余計だとか、批判ポイントとしては納得の指摘もある。一方では劇中にマルボロが丸写しになるのにイチャモンつけているレビューとかは一体何を考えているのか。そんなところはどうでもいいだろう。きっとこういう連中は、自分の青春が最高のものだったと信じている連中なのだろうし、そんな「自称」満ち足りた青春を送った奴らに本作が理解できないと言われても反論しようとも思わない。

不謹慎とコミカルと深刻さを同時に演じて見せたロバート・シーハンの演技もさることながら、アレックスを演じたデーヴ・パテールの表情には出さない悲しみ、そして拒食症に苦しみながらも弱みを決して見せようとしないゾーイ・クラヴィッツの演技は特に素晴らしい。『マッドマックス/怒りのデスロード』の時と比べるとガリガリにやせた体ながらもちゃんとおっぱいを見せてくれる。

確かにヴィンセントの父親と施設の管理者のプロットは余計だったし、描くにしてももう少し丁寧な人物設定をしてもらいたかった。規模が小さい映画ではこういった欠点が作品の評価に直結することはわかるが、それでもこの3人の旅を観ながら、そこに自分の姿を見いだすことができるのなら、それもちょっとした誤差程度の欠点でしかなくなるだろう。

本作を観て自分でもよくわからないほどに感動してしまった理由は、きっと自分の中に既にあったのだろう。そういう意味では本作はあなたの青春を測るリトマス紙になり得るかもしれない。もし何も感じなければ、きっとあなたは満ち足りた青春を送ったのだろう。よかったですね。でもそもそもそんな人間に青春映画を評価する資質があるのか疑問だ。本作は青春に悔いのない連中は相手にしていない。悔いが残るからこその悲しみや諦めのなかに本当の青春の価値を見出そうとしているのだ。

そして映画のラストも安易なハッピーエンドにならずよかった。病は簡単には治らないという現実を描きつつも、同時に悲しみから抜け出るために必要な存在も描かれている。

青春とは常に類型的なものだ。しかし類型的であることが金太郎飴を意味することもない。3人の若者の葛藤と旅を通じて本作は、青春を謳歌できなかったすべてのひとたちに、それはまだ決して終わっていないことを語りかけているのだろうか。

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ということで『ザ・ロード・ウィズイン/The Road Within』のレビューでした。最近はお父さんのレニーを引き合いに出さずとも個性的なキャリアを築きつつあるゾーイ・クラヴィッツの演技は必見です。個人的には『ペーパータウン』よりも面白く、ここ最近の青春映画のなかで一番好きかもしれません。何度でも観たくなる映画でした。確かに映画としては余計なプロットも目立ち、おかげで本筋が駆け足になってしまうのは明らかな欠点ですが、それでも高評価は揺るぎません。『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』も日本公開されたので、本作にも期待したいです。おすすめです。以上。

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ザ・ロード・ウィズイン(原題)/The Road Within
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