ポイ捨て記述を巡り、村上春樹氏 町名変更の意向【うつろな人間】

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先日、『【コラム】〈村上春樹〉小説に「屈辱」と町議らが抗議【フィクション受難時代】』としてお伝えした、小説内でのポイ捨て記述を巡る抗議に対して、村上春樹氏はあっけなく屈した。

 「僕は北海道という土地が好きで、これまでに何度も訪れています。小説の舞台としても何度か使わせていただきましたし、サロマ湖ウルトラ・マラソンも走りました。ですから僕としてはあくまで親近感をもって今回の小説を書いたつもりなのですが、その結果として、そこに住んでおられる人々を不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです。中頓別町という名前の響きが昔から好きで、今回小説の中で使わせていただいたのですが、これ以上のご迷惑をかけないよう、単行本にする時には別の名前に変えたいと思っています」

この声明を読んだ時は言葉がでなかった。

『親近感をもって書いた対象が結果的に不快な思いをした場合、作家は進んで推敲に応じる』という最悪の前例を、日本で最も有名な小説家が作ってしまった。あまりにも近視的な対応だ。

彼の小説にはこれまでも実際の地域や地名が舞台として使用されている。同様の抗議が起こった場合、どう対処するのだろうか。

個人的にはこの件をもって村上春樹氏への興味の一切を失ってしまった。

『海辺のカフカ』のなかで村上氏は、相手の置かれた立場を想像しようともせずに己の考えだけを強要する2人組の女性について、性同一性障害を抱えたゲイの登場人物にこう語らせた。

「更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空虚な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。」

とても素晴らしい文章だと思う。引用といい、文章のリズムといい、比喩といい、申し分のない文章だ。

この騒動において、一体誰が〈うつろな人間たち〉に相当するのか、もはや重要ではない。重要なことはこのような文章を書いた人間が、物語の価値や可能性について全く無感覚だったという事実だ。

村上氏は知っているのだろうか。〈うつろな人間〉を書いたT・S・エリオットは書物に関してこう言っている。

 It is certain that book is not harmless merely because no one is consciously offended by it.

誰も傷つける意図がないからといって、それが誰も傷つけない本だということにはならない。

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参照記事:産經新聞

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