BEAGLE the movie

映画ジャーナル<ビーグル・ザ・ムービー>

ジョン・ラセターが語る『クール・ジャパン』その弐。【トイ・ストーリー、そして宮崎駿】

2014年10月24日に東京国際映画祭の特別プログラムとして『ジョン・ラセターが語るクール・ジャパン』と題された講演が行われました。『トイ・ストーリー』や『アナと雪の女王』など様々な大ヒットアニメに関わってきたジョン・ラセターが、日本文化への想い、そして宮崎駿からの影響などを60分に渡って語った内容の第二部となります。

DSC 4283

・その弐、『トイ・ストーリー』が出来るまで、そして宮崎駿との友情について。

ーーーー『トイ・ストーリー』に与えた日本文化の影響ーーーー

ジョン・ラセター:サンフランシスコにあるルーカス・フィルムのILMに移った僕は、1985年にコンピューター・アニメーションに関する会議に出席中に運命の女性と出会ったんだ。それが妻のナンシーだね。一目惚れで、食事に誘うと彼女のOKしてくれて、そして友達も含めて僕ご自慢の玩具コレクションで埋め尽くされたビクトリア調の自宅にお招きしたんだ。そこで彼女に僕の大好きな『ルパン3世 カリオストロの城』をVHSで見せてみたんだ。それで彼女がどういう反応するのか見てみたかったんだ。すると彼女もこの映画を大好きになってくれたんだ。それで彼女が僕にとって掛け替えのない存在であることが分かったんだ。それもこれも宮崎駿さんのおかげだね。これこそが僕が受けた宮崎駿からの影響の証明だね。仕事だけではなく僕の人生そのものにまで影響を与えてくれているよ。

そして1987年11月、僕は初めて日本を訪れることになる。ピクサーはすでに設立しており、ちょうど二作目となる『ルクソーJr』を完成させたばかりの頃、日本でコンピューター・グラフィックに関する講演をすることになったんだ。ピクサーの処女作『アンドレとウォーリーB.の冒険』などについても話したんだけど、その時初めて東京に来て、すぐに恋してしまったんだ。今回の講演のために当時の写真を掘り返していたんだけど、この町の夜の明かりや、その雰囲気など、観るもの全てに心を奪われたんだ。何だって買える自動販売機!ウィスキーだって!僕は狂ったのかと思ったよ。それに新幹線にももちろん乗りました。君たち(日本人)はどれだけ幸運な存在か理解しているかい?こんなものはカリフォルニアのどこを探してもないんだよ。とにかくファンタスティックだよ。

そして当時、僕は次回作としてブリキの玩具が登場する映画を作りたかったんだ。ねじまき式のトミーの玩具を持っていたんだけど、そのなかに魂が宿っているようで大好きで安いものを片っ端から買い求めていたんだ。そして考えたのが、もしこの玩具たちが生きていたなら、ということだった。そして色々と調べていると一冊の本に出会ったんだ。その著者は北原さん(北原照久氏、ブリキのおもちゃ博物館館長)という日本のブリキ玩具のコレクターで、僕はその本を読んで、すぐにブリキの玩具に心を奪われたんだ。この動きをアニメーションで再現したいと思ったんだ。そして北原さんが館長を務める横浜の博物館に行ったんだ。ここでは素晴らしい時間と、無数の写真を撮りました。そのひとつひとつに深いインスパイアーを受けました。動き方、デザイン、展示の仕方、その全てが素晴らしく、レトロな雰囲気もあり、僕の創作意欲を刺激したんだ。そして北原さんとその博物館から強く影響される形で1988年ピクサーは『ティン・トイ』という短編アニメーションを制作するんだ。これはアカデミー賞短編アニメーションを受賞し、そしてもちろん『トイ・ストーリー』の雛形にもなっているんだ。3Dアニメとしては初のアカデミー賞受賞作にもなったね。ということでこの『ティン・トイ』は日本からの影響を考えるにとても重要な作品と言えるね。

NewImage

ーーーーそして、宮崎駿との最初の出会いーーーー

この時の日本滞在時、僕は素晴らしい出会いを果たしているんだ。この滞在の主催者から「一番好きな日本のアニメは?」と聞かれたので、もちろん『ルパン3世 カリオストロの城』と答えたんだ。僕だけじゃなく、妻にとってもそうだよ。すると「宮崎さんが好きなんだね」と聞かれたから「もちろん!」と即答したよ。すると彼に今スタジオジブリにいるから会いにいこうと提案されたんで、電車に乗ってスタジオジブリまで行ったんだ。そして1987年11月11日、僕はあの宮崎駿と対面するんだ。その時、彼は『となりのトトロ』の製作中で、この時から、僕と宮崎さんとの友情が始まるんだ。そしてこれは僕にとってとても重要なものだよ。

そして彼は僕にスタジオを案内してくれて、一枚の絵を見せてくれた。それが「ネコバス」の絵だった。バスで、猫だって!そして彼は宮崎アニメの特徴的な微笑みで、僕の「猫がバスですか!」という驚きを聞いていたんだ。もちろんその笑みはネコバスと全く一緒だね。数年後に完成品を見て、宮崎さんが心血を注いで映画作りしていることが伝わった。そして宮崎作品そのものが宮崎駿になっている。そのことからも映画作りを学んだんだ。その日、彼はポスターにサインしてくれて、これは僕のオフィスに今でも飾って置いてあるんだ。そしてこの東京滞在中にレーザー・ディスクで二本の宮崎アニメを買った。それが『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』です。アメリカに持ち帰り、5人の息子とともに何度も見ることになり、おかげで5人の息子もみんな宮崎アニメの大ファンなんだ。そして『天空の城ラピュタ』も僕のお気に入りとなるんだ。

やがて僕はアメリカで『トイ・ストーリー』の製作に取り組むことになる。僕がその時願ったのは、新しい技術を使いながらも、全ての世代に感動を届けられるような映画を作ることだった。そして自分がこれまで愛した様々なものを詰め込みたかった。

そして二度目の日本旅行の機会が訪れる。『トイ・ストーリー』の宣伝で、その時再びスタジオジブリに行ったんだ。そこで宮崎駿さんと再会したんだけど、ご存知の通り彼はCGアニメはあまり好きじゃないんだけど『トイ・ストーリー』は気に入ってくれたんだ。彼は僕の人生に既に強く影響していたけど、その時彼は『もののけ姫』の製作中だったんだ。そこでオリジナルの絵をたくさん見たんだけど、もうずっと興奮状態だったよ。僕は宮崎さんの仕事を見る機会に恵まれたんだ。僕はその頃『トイ・ストーリー』に4年もかかり切りになっていて心身とも疲れ切っていた。僕らはグループで作品と格闘するわけだけど、彼の場合は、映画そのものが彼自身でもあるんだ。

とにかく僕にとってスタジオジブリに行くことはいつも驚きと感動に満ちているんだ。

そしてジブリが『千と千尋の神隠し』を製作した時に、何か手伝いたいと思った。そしてアメリカでの公開に際し、宣伝や字幕製作でお手伝いさせてもらったんだ。特に字幕製作に関しては宮崎さん独特の世界観を英語にしても壊さないように注意しながら行ったんだ。特に難しかったのが風呂屋で仕事に関する言葉で、ぴったるくるような英語はなかったんだ。だから宮崎さんに、仕事の内容とリンクするかたちで登場人物の名前を英語風に変えてもいいか、尋ねたんだ。すると宮崎さんは「ジョン、アメリカ人が僕の作品をちゃんと理解するには日本語を学ぶ必要があるね」と返してきたんだ。そりゃそうだけど、宮崎さん、、、。すると続きがあって「ジョン、君のすることが正しいことだと僕は信頼しているよ」と書かれていたんだ。そして僕らは仕事にかかったんだ。

そしてピクサーでは『千と千尋の神隠し』を全力で応援し、ご存知の通り、アカデミー賞長編アニメ賞を受賞している。これは本当に素晴らしいことだよ。僕自身とても誇りに思っているよ。

ーーーーその弐、終わりーーーー

関連記事:ジョン・ラセターが語る『クール・ジャパン』その一。【青春時代、そして宮崎駿との出会い】

関連記事:ジョン・ラセターが語る『クールジャパン』その参。【トトロへの愛、そして日本文化からの影響】

[ad#ad-pc]

コメント

*
*
* (公開されません)

Return Top