『ラストタンゴ・イン・パリ』ベルナルド・ベルトルッチ監督は問題のバター・シーンについてマリア・シュナイダーに完全に黙っていた訳ではなかった?
注意:本文で使用される「レイプ」という表現は刑法における「強姦罪」に相当する語句として使用しています。
強姦:暴行又は脅迫を用いるなど、一定の要件のもとで女性の性器に男性が性器を挿入する行為
2016年12月4日(日)に本サイトにアップしたルナルド・ベルトルッチ監督が女優マリア・シュナイダーに事前の合意なしでのセックスシーン、つまり本当のレイプを撮影したという問題について新しい情報が付け加えられました。
まず事の経緯を説明します。
現地時間2016年12月3日、現地の報道でアカデミー賞監督でイタリアの巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が1972年に制作した『ラストタンゴ・イン・パリ』のなかに登場するアナル・セックスのシーンについて、監督自身が女優マリア・シュナイダーと事前合意を結ばないなかで行われたレイプであったことを認めるとされた動画か拡散しました。
ジェシカ・チャステインやクリス・エヴァンズといったハリウッドの著名俳優らによって記事は拡散され、本サイトでも伝えた次第です。
映画のなかで「本番」があったというレベルではなく、レイプという犯罪行為が行われ、しかもマリア・シュナイダーはこの作品以後、精神的に苦しめられ2011年にすでに他界していることもあり、ベルナルド・ベルトルッチ監督への批判を強くさせる要因となっています。
しかし今回のベルナルド・ベルトルッチ監督の告白にはいくつか不明瞭な点が見られます。まずこのビデオはオランダのTV番組「College Tour」でのインタビューとして2013年に撮影されたもので、観客の前で撮られたインタビューであり以前から存在していたにも関わらず、2016年の今になって拡散されたということ。
こういった不明な点について検証した記事がThe Warpに掲載されましたので紹介します。
事の発端は2013年のインタビュービデオという形でYouTubeにアップされた動画がYahooのヘッドラインで「『ラストタンゴ・イン・パリ』監督、論争を呼んだバター・シーンは本当のレイプだったと認める」と紹介されたことで、これが世界中に拡散されます。
一方で10年ほど前、生前のマリア・シュナイダーがインタビューで語ったこととして、彼女はそれを監督とマーロン・ブランドによる「軽度のレイプ」と表現するも、実際の行為は撮影中には一切行われなかったと明言。また件のシーンについてはオリジナル脚本にはなかった追加シーンだったと語っているという。
つまり彼女は明確に本番行為を否定しており、報道されたようなアナル・レイプは実際には行われていなかった可能性もあります。
実際にビデオ上でベルナルド・ベルトルッチ監督がレイプを認めたとする箇所では「見方によっては、彼女(マリア・シュナイダー)にひどいことをしてしまったのだろう。なぜなら彼女には事前に何も伝えていなかったから。私は女優としてではなく、女の子としての反応を撮りたかった。彼女の屈辱をね。そのせいで彼女(マリア・シュナイダー)やマーロン・ブランドに私は嫌われることになった。なぜなら彼女にバターに関する詳細を伝えていなかったから。そのことで罪悪感を感じた」と語っており、ビデオの編集上それが実際のレイプに言及していると解釈できますが、文言では彼女に何をどこまで伝えなかったのかという詳細は不明です。
そしてもっとも重要な核心部分としてマリア・シュナイダーは、本当にバターシーンの存在を撮影直前、もしくは撮影中まで知らなかったのかという疑問に関しては彼女自身が2007年のインタビューでこう語っているとしています。
「あのシーンはオリジナル脚本にはなかったの。マーロン・ブランドが思いついたのよ。撮影の直前になってその存在ついて知らされ、私は当然怒ったわ。こんな脚本は誰にも強制されるものではないからエージェントなり弁護士なりに連絡すべきだったけど、そこまで頭が回らなかったの。マーロンが私に「マリア、心配ないよ、これは映画なんだ」と言ったのを覚えている。でも撮影中、例えマーロンが本当にそうしたわけではないにせよ、涙がとめどなく溢れたわ。陵辱されたと感じた。私はマーロンとベルトルッチから軽度のレイプを受けたの。撮影後、マーロンは慰めも謝罪もよこさなかった。幸運にもワンテイクで終わったわ」
彼女の言葉の全てが真実であるとするのなら、確かに「レイプ」という表現は剣呑なのかもしれません。しかしマリア・シュナイダーもマーロン・ブランドも死んだ今となっては彼女の発言を含めて正確に検証することは困難です。
しかし周りの状況から確度を持って言えることとしては、やはり『ラストタンゴ・イン・パリ』のバターシーンは著しい人権侵害の上で成立していたということです。仮にこのシーンの存在が事前に伝えられており、実際にはアナル・レイプは行われていなかったとしても、19歳の女性に対して「これはただの映画だよ」と言ってそれに類する行為を強要したという事実は変わりません。
一方で、今回の突如拡散されたビデオの編集方法や意図には注意も必要だと思います。
ベルナルド・ベルトルッチ監督本人による詳しい声明が待たれます。
追記:この内容を補足する記事がThe Slateに掲載されました。補足分を以下に要約します
今回問題になっているビデオは2013年段階から存在するも英語系メディアによって大々的に報じられることはなくほとんど埋もれている状態だった。
それに是正すべく、スペインのNPO「El Mundo de Alycia」が11月25日に開かれる「女性に対する暴力撤廃の国際デー」に合わせて、この動画を編集しYouTubeにアップ。その動画が今回のタイミングで英語系メディアに知られることになり拡散される。
つまり事の発端は女性の権利を守る団体が、メディアから黙殺されていた事実を再度問題提起したということです。
The Staleには「El Mundo de Alycia」が問題提起に至った想いが記されています。
インタビューは数年前に行われていながら、報道機関やソーシャル・メディアによって取り上げられる事はほとんどありませんでした。言及されたのは幾つかの「エロティック映画」専門メディアのみでした。こういった悪質な行為が公にならず非難の対象にならない状況を放置することは許されないものと我々は考えます。これは女性への性暴力という明確な事例でさえも深刻に扱われないことの表れです。
追記(2016年12月6日):現地イタリア月曜日にベルナルド・ベルトルッチ監督による声明が発表され、報道の誤りを指摘しています。
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レイプに軽度や重度はない。凌辱されたと感じたならそれは起きてはいけない行為だったし、やるべきではない行為だった。
撮影直前に話があったとしても、そこで拒否できる人はどれだけいる?父親の推薦だ。相手は父の友人だ。19歳の、未成年の女性が、監督から提案されて断れるか?動揺の内に「映画だから」と着々と準備が進められていく現場を前にして、行動が起こせるか?
答えはノーだ。
断る時には、「断った後の、自身の保障」が必要なのだ。ここで断ったら映画界で干されるのでは、父の顔を潰してしまうのでは。何らかの危害が及ぶのではないか。そんな不安と、純粋な恐怖と嫌悪の中、カメラの前に肩を押された彼女の心はどれほど傷ついていただろうか。
どんな高尚な芸術でも、人権や命を害するものは芸術とはいえない。
私は生涯、マーロン・ブランドの映画は見ない。