スカーレット・ヨハンソン主演、『記憶の棘』のジョナサン・グレイザー監督による『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』のレビューです。あらすじの印象ではかなり危なっかしいものでしたが、その実、かなりぶっ飛んだ傑作でした。『ドライブ』以来となる衝撃のカルト映画です。日本公開は2014年10月4日。
・ストーリー
スコットランドで夜な夜なドライブを繰り返すひとりの女性(スカーレット・ヨハンソン)。魅力的な外見には不釣り合いな味気のないバンに乗りながら、夜の街で独り身の男を捜しては、道に迷った振りをし話しかけることを繰り返す。そして男を車に乗せて走り出し、セックスを匂わせながら自宅へと連れて帰る。
彼女が何者なのかわからない。ただ彼女にはバイクを運転する男の仲間がいる。
彼女の色気に釣られ自宅に着いてきた男たちを待っていたのは、暗い池のような“ぬかるみ”だった。そこに無意識に取り込まれた男たちは、皮膚一枚を残して全て抜き取られてしまう。
ある日、女は皮膚病で顔が崩れている男を車に乗せる。孤独な生活を送っていたその男は、突如現れた美しい女に戸惑いなつつ、夢だと疑いながらも彼女の家に招き入れられる。そこに待っていたのは、暗い“ぬかるみ”。しかし何を思ったのか彼女はその皮膚病の男を“ぬかるみ”から連れ戻し、外へ逃がす。彼女は気付かぬうちに、少しずつ人間性に目覚めはじめていた。だが、結局皮膚病の男はバイクに乗った男に殺され連れ去られてしまう。
そこから彼女は自宅から離れ、人間の優しさや凶暴さに出会いながら、スコットランドを彷徨う。
・レビュー
2時間弱の本編に物語らしいものはない。説明もなければ、主人公による語りもない。あるのはただただ美しい映像世界。スコットランドの“くすみ”と湿気が映像をずっと支配している。映画の冒頭からもうすでに普通の映画ではないことは明白だ。
簡単なあらすじを読むに、男漁りをする女エイリアン(スカーレット・ヨハンソン)が人間の感情を抱きはじめるというものであり、しかもヨハンソンがかなり大胆なヌードになっていることを知れば、『スピーシーズ』のような映画を連想しがちだが、監督の名前を聞いてそんな想いもすぐに引っ込む。
ジョナサン・グレイザー。元々はミュージック・ビデオの分野から登場し、やがて映画を撮るようになった。その経歴や足跡はデイヴィッド・フィンチャーにかなり近い。ミュージック・ビデオ特有の派手さや分かりやすさが持ち味ではなく、フィックスの絵の完成度を映画に持ち込むタイプ。2004年のジョナサン・グレイザーの監督作でニコール・キッドマン主演の『記憶の棘』も賛否両論だったが、それはこの手の映像作家には珍しいことではない。あの『セブン』だって公開当初は当惑と拒否が多かった。
舞台となるスコットランドの雰囲気が映像の至る所から伝わって来る。くすんで湿った空気感や、何をしゃべっているのか上手く聞き取れない訛りの強い英語。青空は滅多に見ることは出来ず、小雨が常に降り注ぎ、小道には水たまり。足下が汚れることを誰も気にしない。そして美しいエイリアン。
物語も説明もない映画というのは、突き詰めればサイレント時代の映画と似通って来る。物語の辻褄や空白の全てが観客の想像力に委ねられる。ただボーと見ているだけは向こうから何も語りかけてこない。しかし目の前の何も語らない映像を注意深く見ていると、その映像が何かを語りたがっていることは分かる。自身に満ちあふれた男、痩せてこけた男、自己犠牲できる男、顔の崩れた男、優しい男、暴力的な男。彼らの行動の隅々に何かが宿っているようにも思える。そして美しいエイリアン。
とにかくこれは劇場で見なければならない映画だと思う。全体的に暗いトーンの映像、モンタージュの連続、謎の光体。3D映画とは全く違ったベクトルで劇場鑑賞を念頭に置いた映像作品となっている。この作品を小さい画面で見せられても、その緊張感を維持できないのではないだろうか。訳の分からない映像の連続に早送りをしてしまいかねない。
スカーレット・ヨハンソンの体当たり演技もスゴいが、それ以前にこんな訳のわからない映画はそうそうない。それでも全然飽きさせないのだ。正直に言って、この映画をどう理解したのか自分でもわからないが、とにかくスゴい映画を見たということだけは間違いない。当惑度と新鮮度では本年度トップの出来映えの映画だ。是非観てもらいたい。
[ad#ad-pc]
▼輸入版『Under the Skin』ブルーレイ▼
コメント