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映画『王の運命 -歴史を変えた八日間-』レビュー

朝鮮王朝最大のスキャンダルのひとつとされる1762年の“米びつ事件(壬午士禍)”の真相を、ソン・ガンホ と、『ベテラン』のユ・アインの共演で紐解く『王の運命 -歴史を変えた八日間-』のレビューです。2015年の韓国映画を代表する作品で、2016年アカデミー賞外国語映画賞韓国代表作品にも選ばれた、骨太な歴史ドラマ。歴史を揺るがす謎の八日間に隠された真実とはー

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『王の運命 -歴史を変えた八日間-』

日本公開2016年6月4日/歴史ドラマ/125分

監督:イ・ジュニク

脚本:チョ・チョリョン、イ・ソンウォン、オ・スンヒョン

出演:ソン・ガンホ、ユ・アイン、ムン・グニョン、チョン・へジン、キム・へスク、ソ・ジソブ、ほか

レビュー

冒頭、一人の男が呪術的な音楽に煽られるようにして刀を手にし、雨の夜道を部下を引き連れて足早に駆けていく。男の思いつめた表情と殺気から、だれかを殺そうとしていることがわかる。そして男の計画を察知した親族たちは「王を守るため」と口にして、何とか男を思いとどまらせようとする。しかし男は目的地に辿り着いてしまう。それは朝鮮第21代国王、英祖(ヨンジョ)の邸宅であり、刀を抜いた男の目前には、ろうそくの火に照らし出された英祖(ヨンジョ)の影があった。

しかしその男が手の持った刀は振り下ろされることはなかった。実の父であり王を殺そうとした決意は、実行されることはなかった。

朝鮮第21代国王の英祖の決定によって、その実子で王子でもある世子(セジャ)は王宮の庭に置かれた「米びつ」に入れられ外から釘を打たれたまま放置され、8日後に世子が餓死のため死亡したことが確認された。王権争いのために肉親を出し抜き合うことが珍しくない世界にあっても、正当な跡継ぎである王子を、その実の父親である国王が、「米びつ」に閉じ込めて餓死させるという出来事は他に例がないほどに残酷で、センセーショナルであり、そして衝撃的な朝鮮王朝の「歴史的事実」だった。

本作『王の運命 -歴史を変えた八日間-』はそのタイトルの通り、王子が米びつのなかに閉じ込められて餓死するまでの8日間を丹念に描いた歴史ドラマであるが、実際には、父子そして家族という血で結ばれた因縁をめぐる葛藤の物語となっている。しかも隣国から眺めていて呆然としてしまうほどに高品質で、骨太な映画だった。

これは決して簡単な映画ではない。王子が米びつに閉じ込められた8日間を軸にして、その結果と原因を描くシーンが何度も往復し、描かれる時間軸も複数あって、そもそもこの事件の顛末すら知らない日本人にとって物語の序盤は戸惑うこともあった。単純に現在(結果)と過去(原因)を双方向的に並列して描くのではなく、まず最初に事件の結果を提示したのちに、その経緯を複雑な時間軸を通して描ききっている。脚本そのものも非常に込み入っているのだが、その複雑な構成から受ける困惑や疑問といったすべてが、次のシーンへの関心に変わっていくからスクリーンへの集中が阻害されることはない。

それもこれも王である英祖を演じたソン・ガンホの演技力の賜物だろう。すぐには掴めない時間軸も、英祖の寄る年波の変化を通して、表情や声色で演じ分けているため、前のシーンとの違いを観客は自然と理解できる。しかもその時間軸の演じ分けそのものが、父と子の関係性の変遷とも重なっている。本編で描かれる3代にわたる56年間という長い歴史が2時間という枠の中からはみ出すことなく収まっているのは彼の演技力のおかげでもある。

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王の殺害を企てた罰として米びつに死ぬまで閉じ込められた世子。実の父で偉大な王でもある英祖にとって待望の世継ぎだった世子は幼少から厳しい帝王学を叩きこまれ、何事においても勉学を優先することを求められる。しかし成長するに従い世子は読書や勉強よりも絵を描くことや武道といった芸事に関心を抱くようになり、徐々に王である英祖との関係も冷ややかになっていく。

父の愛を願い待っても冷たい態度であしらわれる世子。一方で王としての重い責任に忠実な英祖も父である前に王であることを優先し、世子の本心をただの堕落としてしか受け取らない。両者の溝は月日の経過とともに広がっていき、かつては確実に存在した愛や労りや尊敬といった感情のすべてが、憎しみへと変わってしまう。

その結果として、「歴史を変えた八日間」というスキャンダルが歴史の一ページに加えられることになる。

多くの人が知る「歴史的事実」を、正確な歴史考証のもとで、現代的な問題にもリンクさせる。言葉にすると簡単でもこの目的を達成することができる歴史映画は稀と言えるかもしれない。多くの人が知る「歴史的事実」ほど映像化した場合、新説か珍説か区別がつかないような変化が加えられる場合があるし、現代の社会問題とリンクさせようとした結果、歴史が現代のプロパガンダとなってしまうケースも少なくない。しかし本作はそのいずれの悪癖にも陥ることなく、一本の映画として、「歴史的事実」を見事に描きつつ、現代社会にも通じる人間の「性(さが)」や「業(ごう)」も見出している。

現代の韓国社会が抱える深刻な自殺問題。人生を決定付けるほどに重要視されるお受験。儒教的な価値観に縛られる家族関係。そういった諸問題を、本作では表面的にはまるで「民族的なアイデンティティ」の一部であるかのように描きつつも、物語の経過とととも余計な憑き物が落ちていき、やがて物語の空気に広い普遍性が含まれるようになる一連の流れは感動的なほどに見事だった。

父であり王でもある英祖からの冷たい仕打ちに耐えかね、とうとう精神のバランスを乱してしまった世子は、王との謁見を前に部下から用意された着物を次々と脱ぎ捨ていく。このシーンは印象的だった。部下から用意される着物を次々と破り捨てて、新しい服を持って来させるように命じ、ついにもう替えの服がなくなってしまった時、世子はついに自分を完全に失ってしまう。王子という立場が、着せ替えられる衣服のようにたとえ脱ぎ捨てることが出来たとしても、親と子という関係はどこまでいっても捨て去ることはできない。様々な装飾を脱ぎ捨てた後に現れる悲劇の本質とは、出自や立場や思想や時代に影響されない、言わば「人間の条件」なのだ。

本作のイ・ジュニク監督は、込み入った物語構造とテーマをわかりやすく伝えるにあたり、小林正樹監督作で仲代達矢主演の傑作『切腹』(1962)からインスピレーションを受けたという。それは「結果」と「原因」を並列に描くことでサスペンスを持続させるという構造的な理由だけでなく、民族的なアイデンティティの真の姿を、歴史的な悲劇を通して描こうとする映画作家としての姿勢そのものにも影響しているようだった。『切腹』では武士道という日本人自慢の民族的コードを妄想的な美辞麗句で飾り立てる風潮に真っ向から反対するようにして、小林は人間としての純な感情の尊さを描いた。武士道は美しい。しかしうわべだけを取り繕った武士道は、醜い。

小林が日本人の武士道を看破したように、イ・ジュニクは韓国人の儒教精神の尊さと残酷さを『王の運命 -歴史を変えた八日間-』を通して描いた。両者の最大の違いとは、小林が60年代の日本を覆っていた過去を忘れようとする空気に反抗するように皮肉な憂いで『切腹』の幕を閉じた一方で、イ・ジュニクは儒教的な父子観が悲劇を生んだとしても、それを乗り越えることができるのもまた父子の関係であるという姿勢を強く打ち出しているところだろう。エンディングでは思わず熱くなってしまう。

韓国映画のクオリティをことさら持ち上げるのも癪だが、塚本晋也監督の『野火』が出資金が集まらなかったためインディペンデンス映画となったことと比較して、本作は韓国では批評的も歓迎され、観客動員数も600万人を突破するなど興行的にも成功したことを思うと、暗澹たる気分になる。

高濃度の問題意識さえも最終的には深い共感へと変わっていく感動とは間違いなく優れた映画鑑賞の醍醐味のひとつ。複雑な物語構成も俳優たちの演技力によって混乱なく交通整理され、カメラワーク、音楽、映像の色彩、どれをとっても一級品だった。

『王の運命 -歴史を変えた八日間-』:

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王の運命 -歴史を変えた八日間-
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