ジェニファー・ローレンス&クリス・プラット共演『パッセンジャー』のレビューです。20XX年、乗客5000人を眠らせたまま当たらな居住地を求めて宇宙を旅立った宇宙船。しかしエンジニアのジムと作家のオーロラだけが予定よりも90年早く目覚めてしまう。極限状態に置かれた男女の愛と運命を描いたSF映画。
『パッセンジャー』
日本公開2017年3月24日/SF/116分
監督:モルテン・ティルドゥム
脚本:ジョン・スパイツ
出演:ジェニファー・ローレンス、クリス・プラット、マイケル・シーン、ローレンス・フィッシュバーン、アンディ・ガルシア
『パッセンジャー』レビュー:クリス・プラットならストーカーでも構わない?
映画『パッセンジャー』では、あらすじ以上のことは描かれず、見所の多くもすでに予告編に登場しているため困った作品なのだが、それ以上に本作は問題だらけだった。
まず本作の経緯について。
『パッセンジャー』ではジェニファー・ローレンス&クリス・プラットという人気者同士の共演が話題だが、もともと本作はジョン・スパイツが執筆した脚本が2007年に注目を浴びることを契機に、その後何度も手直しを加えることで完成に至る。SF恋愛という「ニッチ」なジャンルであるに関わらず、優れた脚本を選出する「ブラック・リスト」にも名を連ね、早くから期待される企画だった。
当初は低予算映画としてキアヌ・リーブス主演で映画化が企画されるも、ソニーが映画化権を取得し、監督に『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』モルテン・ティルドゥムの起用が決定すると、劇中のほとんどが宇宙船内の二人芝居という設定ながら制作費は1億ドル超える大作規模に膨れ上がった。もちろんその多くが主演二人の出演料。一部ではジェニファー・ローレンスは2000万ドルの出演料に加えて利益の3割を受け取る契約を結んだとも伝えられるが、期待されたほどの興収は得られていない。
つまり興行的には「期待はずれ」と言える結果なのだが、それは興収面だけでなく、内容でも同じことだった。
あらすじで1時間!
オープニング、見事なデザインの宇宙船がゆっくりと進んでいる。
乗客5000人を乗せた豪華宇宙船アヴァロンは、新たなる居住地を目指して地球を旅立ち、目的地の惑星に到着するまでの120年の間、乗客たちとクルーは冬眠装置で眠り続けていた。しかし小惑星との衝突をきっかけに、エンジニアのジムは予定よりも90年も早く、一人だけ目覚めてしまう。
絶望と孤独の中、もう一度眠りにつく方法を探すジムだが、それは不可能だった。唯一の話し相手はバーテン・ロボのアーサーだけ。徐々にそんな生活に病んでくジムは、ポッドに眠る美しい女性に目を奪われる。
彼女の名前はオーロラ。野心的な作家で、宇宙空間を旅した経験を執筆しようと宇宙船に乗っていた。
そして魔が差したジムは、、、、、
宇宙船のトラブルによって出会ってしまった二人だが、二人の関係以上に宇宙船のトラブルは進行。二人は、自分の命だけでなく、まだ眠り続ける乗客も救うため、生き残るための方法を模索する。
という内容なのだが、実に物語の8割ほどは、このあらすじのままだった。そして映画のヴィジュアル面での見所もほとんど予告編に登場している。特に前半の退屈と既視感はかなりのもので、これを終盤に盛り返すのは大変だろうなと思っていると、そのまま終わっていくタイプの作品で、期待のオリジナル脚本と特A級俳優を持ってしてここまで凡庸な作品に仕上がるとはなかなか驚く。
断っておくと本作は全くダメな映画というわけでもない。
ジェニファー・ローレンスの「プレイブック」いじりや、政治活動に専念するため俳優引退が囁かれるマイケル・シーンのアンドロイド演技、ラストに思わず吹き出しそうになるカメオ、そして激おこのジェニファー・ローレンスがクリス・プラットをマウント状態から踏みつけにするシーンなど見所は要所に配置されている。
そして主人公の一人エンジニアのジムをクリス・プラットが演じたのは正解だった。ちゃらくて間抜けなところがある一方で自省的で繊細なキャラクター造形は、これまで彼が演じてきた役柄と共通する部分が多く、「躁鬱」のように一転する物語のテンションとうまくリンクしていた。
しかしよくよく考えてみれば、クリス・プラットが主人公役に「はまった」という事実は、逆に本作の致命的欠陥を浮き出させる結果にもなった。
宇宙版ストックホルム症候群
銀行強盗の被害者が、なぜか加害者であるはずの強盗犯に恋してしまう実例から、誘拐事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、逆に犯人に対して過度の同情を抱くことを「ストックホルム症候群」という。強制的に閉じられた非日常空間の中で加害者と時間を共有しつつ、通常ではない心理状態で犯行の理由や原因を聞くことで、犯人を凶行へと向かわせた社会への怒りや絶望に同情してしまうのだ。
被害者が加害者に肩入れするという状況は冷静にみれば異常な事態と言えるが、これはそんな異常な状況を生き抜くために被害者側が無意識にとった生存本能の現れでもある。本当は同情などすべきではないが、そうすることで生き延びられるなら人間は、銀行強盗にも、誘拐監禁犯にも、そして「人殺し」にも、恋愛感情を持つことができる。
しかしそれは本物なのだろうか? 疑似恋愛ではないのか?
映画『パッセンジャー』の致命的な問題点とは、両者の関係がこの「ストックホルム症候群」によって成り立っていると推測できることだ。劇中、ジムの所業を知ったオーロラは彼を「殺人者」と呼び捨てる。
つまり彼女は、自分にとってジムは「加害者」であることを認識しており、彼が作り出した理不尽な状況から逃げ出したいと願っているが、それが現実的に不可能だからこそ、生存本能として唯一の男に恋をしている。
だとすれば、その本質とはSF映画でも恋愛映画でもなく、ホラー映画といった方が正しいだろう。でももちろん『パッセンジャー』はホラーではない。
だからこそジム役はクリス・プラットが適役だった。
もし仮に当初の予定通り、低予算で、主演はキアヌ・リーブス、相手役はエミリー・ブラントという配役で本作が映画化されていたら、ジムのオーロラへの一方的な想いは、もっとわかりやすい形で「異常」なものとして映っただろう。能面みたいに無表情なキアヌ・リーブスが宇宙船内で勝手に片思いした結果、エミリー・ブラントを覚醒させるとなれば、どう考えても殺し合いになる。しかも本作にはローレンス・フィッシュバーンも出演しているため、今度は宇宙空間で「救世主」論争が勃発し、『イベント・ホライズン』みたいな展開になってから、実はエミリー・ブラント演じるオーロラはタイムリープできる最強女戦士であることが判明したり、、、、、なんてことにもなりかねない。
しかしそんな「異常」なジムもクリス・プラットが演じれば、彼のストーカー紛いの行動も許せてしまう。それがなぜかを問えば悲しくなるだけだろうが、穿った見方をすれば、「スターロード」を演じ、恐竜とも心が通うようなキャラクターでもなければ、本作は「SF恋愛」という大前提を維持できなくなってしまうのかもしれない。
とは言っても、悪気なんて概念は知らないとばかりの彼の無邪気さが、どれだけナイスガイ風に見えようが、ノリで宇宙を救うスターロードのそれとは違ってかなり危うい。彼の犯した罪がオーロラにとって「運命」や「愛」といった言葉に変換されるのは、あくまで彼女の生存本能でしかない。そしてそれを可能にしているのは、極限状況下でのオーロラの女性としての物理的な「弱さ」でしかない。もしオーロラがジムよりも大柄でパワフルな女性だったら、全く違う物語になっただろう。しかしジムは、自分よりも強い女性を伴侶としては選ばない。美しく有能で、しかも自分より力が弱い女性を選ぶ。
実はこの手の男性目線での「ストックホルム症候群」と愛との錯覚というのは、しばしば映画でも問題視されてきた。例えばアニメ版『美女と野獣』で、あんなに美しいお姫様が醜い野獣に恋するのは「ストックホルム症候群」的な設定が原因だと指摘されているが、2017年にはそういった問題点を修正した実写リメイクが期待されている。
というわけで『パッセンジャー』では極限状態の恋愛が描かれているそうだ。でもその極限とは映画『スピード』みたいに続編になれば他の男に乗り換え可能なものではなく、自分を「殺した」相手と一生一緒にいなくてはいけない、まさに地獄のような極限だ。
その極限状態の理由はなんであれ、生きるために強要される「運命」や「愛」なんてものがあるとするのなら、そんなもんは全部デタラメでしかない。
地獄の中でも幸せを探しましょう、なんて説教は映画でされたくない。
『パッセンジャー』:
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ヒロインが「事実」を知ってからは、ずっと主人公に対して怒りを見せてたでしょう。
終盤に「危機」が訪れるまで、再び心を開くことはなかった。
なんか頓珍漢な記事だね。
相手に怒りを覚えつつも、どうしようもできない状況が二人を引き寄せたとする設定が「ストックホルム症候群的」という指摘です。「ストックホルム症候群」を経験した被害者が「怒り」も「危機」も経験することなく勝手に相手に好意を抱くなんてことはありえないですよ。問題はそんな不条理で恣意的な設定に「運命の愛」なんてものを持ち出すのは危険だということです。