ヴィゴ・モーテンセン主演『はじまりへの旅』のレビューです。人里離れた森のなかで資本主義と決別した暮らしを送る風変わりの一家の旅路を描くロードムービー。理想は破れてこそ美しく、失敗してこそ現実を一歩乗り越えられる。
『はじまりへの旅/キャプテン・ファンタスティック(原題)』
全米公開2016年7月8日/日本公開2017年4月1日/ドラマ/118分
監督:マット・ロス
脚本:マット・ロス
出演:ヴィゴ・モーテンセン、ジョージ・マッケイ、キャスリン・ハーン、スティーヴ・ザーン、フランク・ランジェラ
レビュー
それが右方向であり左方向であれ、極端に先鋭化した思想の背後には、現実社会への落胆や失望が色濃く滲み出る。ポール・セローの原作小説をハリソン・フォードとリバー・フェニックス共演で86年に映画化した『モスキート・コースト』は、自分の才能を評価しない社会に背を向けたハリソン・フォード演じる発明家が家族を連れて中米に逃れ「理想世界」を作り出そうとする作品だった。
資本主義の堕落を忌み嫌い、ジャングルのなか、自分の知恵だけで生きていこうとする主人公とその家族。しかし主人公の理想とはあまりに強い自我を所以とするため、やがてその理想の生活は決定的な自己矛盾によって家族の関係もろとも崩壊していく。
60年代には確実に存在した理想が敗北し、かつて理想に燃えていた有能な若者たちが嫌悪していたはずの資本主義を実践し、社会を管理する側へと転向していく姿が鮮明になった80年代。『モスキート・コースト』で描かれる男の理想はどこまで行っても物悲しい。
そしてヴィゴ・モーテンセン主演『はじまりへの旅』は、2010年代に制作された『モスキート・コースト』と言える。主演のヴィゴ・モーテンセンは資本主義を嫌悪する男で、妻とともに理想の生活を手に入れようと、森の奥深くでオーガニックな生活をはじめる。やがて6人の子供にも恵まれ、彼らは学校に行かずに父親が設定したルールのなかで伸び伸びと生きている。汚染されていない食事と森の中でのワイルドな生活から、子供達は心身ともに特出した能力を持っている。自然のなかを生き抜く体力を持ち、父が課した特異な勉強法によって6カ国語を操り、幼くしてトロツキズムの弱点を看破し、マオイズムの理想に共感する。そして彼らが敬愛するのは反ベトナム戦争の思想的リーダーであり「世界の良心」とも呼ばれるノーム・チョムスキー。クリスマスではなくチョムスキーの生誕祭(12/7)が彼らにとって12月の最重要イベントだった。
そこはまさに理想の暮らしだった。ヴィゴ・モーテンセン演じる父親は決して強権的独裁者ではない。年端のいかない子供の自律性を尊重し、「嘘はつかない」というルールを厳格に実践する。そして子供の意見にも予断なく耳を傾ける。彼らが捨てた現実社会では、人々は「カバ」のようにブクブクと太り、自分たちがシステムの奴隷になっているという事実さえも理解できないほどの愚鈍化している。一方でヴィゴ・モーテンセン演じる主人公が作り上げた奇妙な家族生活とは、優れた知識と洗練された教養と秀でた肉体によって「自由と民主主義」が実践される理想の世界だった。
しかしある日、精神の病から下界の病院に入院していた主人公の妻で、その子供らにとっての母親が自殺してしまう。
そして一家は呼ばれてもいない葬儀に出席するため、そして仏教徒だった母の最後の願いを叶えるために、オンボロバスに乗って遠く離れた母の実家ニューメキシコまで旅に出る。
その旅路で彼らは理想通りにはならない現実の価値を知ることになる。
理想主義の敗北が意味する理想
本作は欠点の少ない完成された映画というよりも、印象深いシーンを数多く有する映画と言える。
『はじまりへの旅』というポジティヴな邦題や、ウェス・アンダーソン作品を彷彿とさせる独特のルックスから「ちょっと不思議なロードムービー」として宣伝されるだろうが、その正体とは実験的理想生活の夢と挫折であり、「心温まる」結末の裏側には苦くて辛い敗北がはっきりと描かれることになる。
本作の主人公家族は子供も含めて知的レベルが異常に高いため、劇中で引用されるのはグレン・グールドからドストエフスキーまで多岐に渡る。そして本作の不思議さというのは子供らしくない彼らのアンバランスな知性にあるのだが、結局のところ、劇中で描かれる閉じた知的部分のほとんどは『グッド・ウィル・ハンティング』で描かれる「天才の知識」同様に「行き場のない知識」として回収されていく。まだ幼い子供がアメリカ合衆国憲法の権利章典を暗唱するだけでなくその意義まですらすらと述べる姿は「不思議で面白い」シーンであり理想主義の達成である反面、映画を最後まで見通すことでその達成は一時的なものであることが判明し、最終的には閉じた理想主義の手痛い敗北を示唆する前兆としての物悲しいシーンへと変容することになる。
歴史が証明する事実として理想主義は必ず敗北する。なぜなら現実的に歴史上どの世界でも、理想はまだ達成されていないから。例え一時的に理想が達成されたとしても、その理想が許容したはずの現実主義者たちとの戦いに必ず敗北することになる。ワイマールの限界がヒトラーを生み、オバマの挫折がトランプを生んだように、現実主義を騙る為政者たちによって理想主義後の世界はその反動で大きく変化することになる。いうなれば歴史とは理想と現実の間を行き来する振り子の永久運動のようなものなのだろう。
しかし理想主義の敗北は決して理想主義が無価値だということを証明するものでもない。この無意味とも思えるような歴史の反芻によって、理想的世界に少しずつ近づいていると考えることもできる。
理想主義の敗北を自覚することで現実を一歩乗り越えることができるという、敗北を含んだ理想主義こそが本作の本当のテーマだった。
理想の敗北後にある現実
本作のストーリーは旧約聖書で言うところの「楽園からの追放」だ。
母親が死に彼女の意思に反してキリスト教に則った葬式が執り行われると知った家族が、遺言に忠実に彼女を仏式に火葬し、その遺灰を便所に流すことを決意することになる。そのためには住み慣れた楽園から離れなければならない。しかし楽園の外には様々な誘惑で溢れていて、住み慣れた楽園とは全く違うルールで支配されている。そしてそれら楽園になかった事象すべては「悪」として教わり育っている子供たち。
しかし彼らの理想世界はひとつの家族という単位でしかなく、どこかの段階で理想の外側の世界を知る必要があった。そのきっかけは恋かもしれないし、好奇心かもしれないが、いつか必ず理想世界が敵対視する世界を体験しなければならなかった。そして彼らは成長することで、自分たちを特別な存在と自認する所以となっている高い知性や教養とは、自分たちが暮らす理想の世界に属するのではなく、忌み嫌う外の世界あから生み出されたものだという自己矛盾に気がつくことになる。
6カ国語を話し文学から哲学まで幅広い知識を持っていながらも「自分は何も知らない」と気がつくのは当然の結末だった。そしてその当たり前に最後まで気がつけないのは、理想の世界の生みの親でもあり、家族のなかで唯一外の世界を知る父親だった。
物語の経緯は冒頭で言及した 『モスキート・コースト』と同じだ。しかしハリソン・フォード演じたプライドの高い発明家と違い、ヴィゴ・モーテンセン演じるヒッピー崩れの父親は理想主義が謳う原理原則に忠実な男だった。人権を尊び、年齢や性別で判断せず、社会全体のスムーズな運営のために作られた中身のない通念というものを信じない。それゆえに、彼が柱だった理想社会は危うくもあった。子供の意見にも理路整然と向き合う彼だからこそ、まだ年端のいかない子供たちを説き伏せることができても、彼らが成長することで膨れ上がる好奇心や、外の世界への知識欲を否定することができない。自分の不条理で不合理な親としての言動を子供から指摘された時、父親という権力で押さえつけることができない。いい父親だからこそ、その理想は限界を迎えてしまう。
そうやって徐々に明らかになっていく理想世界の崩壊。本作はこの崩壊の過程をひらすら描いていく。
子供に「嘘とついてはいけない」と教える大人が平気で嘘をつくことは確かに欺瞞である。一方でその欺瞞とは社会生活を営む以上は必要な欺瞞とも言える。グレン・グールドを愛聴するこましゃくれた子供たちが、最終的にガンズアンドローゼズの曲を選ぶように、人間は理想と現実の両方を抱え込んでいる。理想だけが正しいわけでもなく、現実だけを生きていけるわけでもない。問題はその常に衝突を繰り返す両者の共存にある。
理想も正論も夢も希望も、現実という垂直にそびえる高い壁の前では役に立たない。理想があっても雨は止まないし、夢があっても傷は治らない。そして現実という壁はあまりに理不尽で無慈悲だ。巨大な社会のルールを前にしては理想など無意味に等しい。その意味でも世の中には二種類の人間しかいないと言える。
壁を見上げるだけで一生を終える人々と、一度はその壁に挑むも跳ね返されてしまった人々。
『はじまりへの旅』は理想の苦くて辛い敗北の記録だった。それでも理想を掲げて敗北したからこそ受け入れられた現実というのは、それを一度も疑うことなく受け入れているだけの人にとっての現実とはどこか違って見えた。
『はじまりへの旅』:
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