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ドキュメンタリー『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』レビュー

Silkroad

現代最高のチェリストと称されるヨーヨー・マの音楽的ルーツに迫ったドキュメンタリー『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』のレビューです。ヨーヨー・マと世界中の音楽仲間とのセッションやインタビューを通して稀代のチェリストの長い旅路に迫る。

『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』

日本公開2017年3月4日/ドキュメンタリー/95分

監督:モーガン・ネビル

出演:ヨーヨー・マ、ジョン・ウィリアムズ、ウー・マン、ケイハン・カルホール、梅崎康二郎

レビュー

世界的チェリストのヨーヨー・マが2000年にはじめた音楽プロジェクト「シルクロード・アンサンブル」の活動に迫った『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』は音楽ドキュメンタリーでありながらも、文化の「違い」を根拠に他者を攻撃する現代の風潮を背景に、その「違い」に着目する芸術家たちが集まり、今、芸術家はどこへ向かうべきなのかという困難な問いに正面から向き合った作品でもあった。簡単に言えば、ヨーヨー・マを先生とした比較文化論の贅沢な講義のようですらある。

映画ではヨーヨー・マの音楽家としての挑戦を通して、「シルクロード・アンサンブル」に参加した各国の伝統音楽家たちの境遇を取り上げていく。そしてメンバーにはイラン人、中国人、シリア人と政治的な「革命」や紛争によって故郷を離れた音楽家たちも加わり、彼らがそれぞれの過去を語ることで、「シルクロード・アンサンブル」の方向性が徐々に浮かび上がってくる。

イランの伝統楽器ケマンチェの音楽家はイラン革命時に故郷を失い、亡命先のアメリカで自らのアイデンティティとその音楽文化の行く末意を憂いている。そして中国人の琵琶奏者は文化革命を逃れアメリカに渡り成功するが、やはり故郷の伝統音楽が途絶えようとする現状を見過ごせない。さらにシリア人の音楽家はもっと切迫していた。今、こうして音楽を練習する最中にも紛争は激化し、音楽どころか文化の担い手である人民たちの生命が脅かされている。

こうしてヨーヨー・マの「新しいものは、文化が交差する場所で生まれる」という考えのもとで生まれた「シルクロード・アンサンブル」は、9.11を経験し、世界全体が「文化の交差する場所」を危険視していくことで、彼らの活動は自動的に文化を守る静かな戦いへと変貌していく。

伝統を守るための進化

本作に登場する音楽家の多くは「故郷」を失っている。

前述した国々の音楽家だけでなく、フランス生まれの中華系アメリカ人であるヨーヨー・マも音楽人生のほとんどを旅に費やし、厳密な意味でも彼自身の「故郷」がどこに位置するのか、そもそも故郷は中国なのかそれとも家族が暮らすアメリカなのか、彼自身もわかっていない。

そんなヨーヨー・マが世界中の音楽家たちそれぞれの伝統と文化的ルーツとの関係性を共有する場としてはじめた「シルクロード・アンサンブル」も、9.11を経験し、その後の世界秩序の混沌を目の当たりにすることで、彼ら自身の故郷の伝統もまたシルクロードを象徴とするような文化の混ざり合いの結晶であることを自覚することになる。

今起きている紛争の多くは文化や宗教の衝突によるものだ。異文化と自文化の違いに対して寛容や興味を失い、ただの異分子として排除しようとする現代の悲劇とは、ハーバードで人類学を学んだヨーヨー・マにとっては、人類が繰り返してきた根源的悲劇の再現でしかない。

一方でヨーヨー・マが弾くチェロも、イランの伝統楽器ケマンチェも、スペインのケルト文化圏ガリシア地方のバグパイプも、いずれもその地域の伝統だけで作られた楽器ではなく、数多くの文化的交錯を繰り返し生まれたものだった。文化の衝突によって多くの命が失われる中、かつてシルクロードを通った各地の伝統音楽たちは衝突と交錯を繰り返したのち、新しい可能性を開拓し進化を続け、結果今でもその音は鳴り続けている。故郷を失い自らのアイデンティティを求め彷徨っていた亡命音楽家たちにとって現代の音楽が、すでに気が遠くなるほどの時間と空間を経由した文化交流の結果であるという事実は、彼らが思い悩む文化と伝統の継承という問題だけでなく、異文化への寛容さを理解する最良のテキストとなる可能性も秘めていた。

確かに音楽では誰の腹も満たせないし、芸術が飛んでくる銃弾を跳ね返してくれることもない。それでも「シルクロード・アンサンブル」の演奏の終わり、遠い場所では敵国同士でもあるメンバー同士がお互いを称え抱き合う姿にその意義は凝縮されている。現実では不可能なことが音楽を通すことで可能になる。

故郷を失った音楽家たちによるそれぞれのルーツ探しの旅は、文化の共有と伝統の進化という方向で完全に一致する。伝統を守るためには進化が必要だが、そのためには異文化との接点を排除すべきではない。死にゆく文化とは伝統という概念に足を取られ、進化を怠った結果でしかない。伝統を守るために異文化を排除するのではなく、伝統を生かし続けるためにも異文化との寛容な関係維持は必要不可欠だという「シルクロード・アンサンブル」の結論は、不寛容が伝統保持のためには必要と考える昨今の風潮に真っ向から反対する。

「伝統を守るためには他と混じり合ってはいけない。」

その伝統がどうやって生まれたのかについてはほとんど考慮されていないこんな不寛容な言説には、異文化との関係性を構築する能力がない自分を守りたいだけで、伝統とか文化とかはどうでもいいという不寛容がはっきりと浮かび上がる。

「シルクロード・アンサンブル」が奏でる音楽は、参加するメンバーそれぞれの過去と使命感が寛容を前提に交錯し合うことで、未来への希望と繋がっていく。

『ヨーヨー・マと旅するシルクロード』:

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