R指定アニメ『ソーセージ・パーティ』レビュー

セス・ローゲンが製作・脚本・声優を手がけたR指定アニメ『ソーセージ・パーティ』のレビューです。スーパーマーケットの食品たちが自らの運命に気がつき人間に逆襲する、非常に下品で過激なアニメ映画。今年観た映画のなかではダントツに「狂った」作品です!

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『ソーセージ・パーティ』

日本公開2016年11月4日/R指定アニメ/89分

監督:コンラッド・バーノン 、グレッグ・ティアナン

脚本:カイル・ハンター、アリエル・シャフィール、セス・ローゲン、イヴァン・ゴールドバーグ、

出演:セス・ローゲン、クリステン・ウィグ、ジョナ・ヒル、エドワード・ノートン、その他セス・ローゲン作品常連俳優多数

レビュー(、、、、もしくは、どうでもいい話)

10年ほどまえに南米ペルーのイキトスというアマゾンの街で、とても高明だと言うシャーマンのもと、とある不思議な儀式に参加したことがある。丸一日食事を抜いた後に、「アヤワスカ」という南米に自生するツル科の植物を煮出したドロドロの液体を飲み込むことで、前意識的な「何か」を体験できるという、それは大変なスピリチャル体験だった。この「アヤワスカ」というのは強力な幻覚作用をもたらすもので、アマゾン流域では民間療法や土着的な儀式によく用いられる。街の市場なんかでも堂々と売っていたりもするが、日本ではもちろん違法なので、これは私が誰かから聞いた話だと思ってもらいたい。

別に大した悩みもなく興味半分、、、、というか興味全部で参加したのだが、それがとんでもない体験だった(らしい)。合計10名ほど参加者が粗末なテントの中で円になり、中央に座るシャーマンの先導でひとりひとりドロドロの液体を飲み込んでいく。ドロドロといってもヨーグルトみたいにいいものではなく、土の味や木の根の味が染み込んだ茶色の濁った液体で口を近ずけただけで「おえー」となる。それでもせっかく大量の蚊に刺されながらもここまで来たのだからとみんな頑張って飲み込む。すると数秒後に猛烈な吐き気に襲われる。「助けてー」と目の前のシャーマンを見るとニコニコしているので、まあ、こんなもんだろうと我慢していると、先にアヤワスカを飲み込んだ参加者がひとり、またひとりとぐったりし始める。「おいおい、大丈夫かよ」と思っていると、今度は自分が全然大丈夫じゃないことに気がついた。テントの屋根を支える支柱が『インセプション』みたいにグニャ〜とねじ曲がり、しまいには室内にいるはずなのに複数の太陽に照らされる始末。暗いのに眩しい。

「なじゃこりゃ!」

日本人が他に誰もいないのをいいことに、長年温めていた松田優作のモノマネを披露する余裕は最初だけで、徐々に本気で心配しはじめていた。

そして事件は起こった。焦った私は水でも飲んで気を落ち着かせようと思ったのだが、目の前に置いていたはずのペットボトルが急に「ガン、ガン、ドン」と手や足を生やしながら、まるで『トランスフォーマー』みたいに独り立ちして、私の目の前で腕組みしながらすごい形相で立っていたのだ。そして困惑する私の「お前は何なんだ?」という心の声を見透かすように奴はこう言った。

お前こそなんだ?

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それはそうと閑話休題。これはアニメ映画『ソーセージ・パーティ』のレビューです。

なぜ映画レビューの最初にこんな話をしたのかというと、似たようなシーンが映画の中盤に登場するのだ。そのシーンはアニメ世界と現実世界を物語上つなげる役割を担っており、前述の伝聞話とは「アヤワスカ」と「ヘロイン」という違いはあっても、何かを「キメる」ことで向こう側の世界と繋がってしまうということで大変よく似ていると思う。

そう、本作『ソーセージ・パーティ』は完全に「向こう側」のお話。観る側も、あらかじめ、これは「向こう側」のお話と自覚しておいたほうがいい。予告編だけでも本作が不真面目な映画だとはわかるだろうが、本編はそんな生易しいものではなかった。ちょっと下品で楽しい『TED』みたいなアニメだと思われるかもしれないが、実際はそんな比ではない。『TED』がソフトだとすれな、『ソーセージ・パーティ』はハード。ソフトなブツは医療用にも使われたり、最近はアメリカでも合法となる州も増えてきているが、ハードはどこまで行ってもハード。「向こう側」に行ったきり戻ってこれなくなることもある。だから気をつけてもらいたい。

これは狂った映画なのだ。

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物語はスーパーマーケットを主な舞台としている。

主人公はソーセージのフランク。仲間のソーセージとまとめてパックされていて、彼の夢は恋人でバンズのブレンダと一緒に外の世界、つまり「偉大なる向こう側(グレート・ビヨンド)」に旅立ち、ホットドッグになることだった。スーパーマーケットの食品として生まれた彼らは、ひとつの神話を信じていた。それは人間に買われることで「向こう側」の世界に行くことこそが幸せであるというのだ。

そして開店を告げるマーチとともにフランクたちは人間に買ってもらおうと奮闘する。その願いを通じたのは、フランクの入ったソーセージの袋はカートに入れられ、ブレンダの入ったバンズも一緒だった。しかしそのカートの中にハニー・マスタードも加わったことで事態は急変する。そのハニー・マスタードはかつて「偉大なる向こう側(グレート・ビヨンド)」に買われていった経験があるらしく、そこは天国などではなく、無残に殺され、食われ、包丁でぶった切られる畜生たちの地獄だと言うのだった。そしてハニー・マスタードはそのままカートから飛び降り自殺してしまう。

その過程で、フランクやブレンダはカートからこぼれ落ち、「偉大なる向こう側(グレート・ビヨンド)」に行く機会を失ってしまう。こうしてだだっ広いスーパーマーケットに取り残されたフランクとブレンダたちは、スーパーの裏側でひっそり暮らす食品たちと出会いながら、やがて驚愕の真実を知ることになる。

そして決心するのだった。日々、食品たちを大量虐殺する人間たちの不正義を正すと同時に、食品たちの楽園を築くことを、、、

T exclusive sausage party

今やハリウッドコメディのひとつのジャンルにもなっている「セス・ローゲン作品」はこれまでにも数々の問題作を世に送り出してきた。登場人物のほとんどがマリファナを愛好し、「セス・ローゲンがいるところにちんぽあり」と言われるほどに直接的な下ネタで溢れ、しまいには北朝鮮の将軍様の頭をぶっ飛ばしたりして国際問題まで引き起こすほどだ。

しかしこの『ソーセージ・パーティ』と比べれば、『スモーキング・ハイ』も『ネイバーズ』も『ザ・インタビュー』も別に何てことはない。その危ない要素全てが『ソーセージ・パーティ』には登場する。マリファナもヘロインも乱交も首チョンパも、『ネクロマンティック』みたいな目玉トロンも、この一見すると可愛らしいピクサー作品みたいなアニメ映画に全部詰まっているのだ。

「嘘だろ?」と思う方は劇場で確認してほしい。それだけでなくターミネーターとホーキング博士が合体し、スターゲイトが現れるというSF要素まで加わっている。加えて食品たちにも人種があるようで、エドワード・ノートンが声を担当するウディ・アレン風のユダヤ系ベーグルや、ラテン系でレズのタコス、厳格なコミュニティで育った反動でゲイに目覚めたラバシュ(中東の平焼きパン)、そしてジェームズ・フランコは麻薬中毒の男の声を担当しているというカオスぶり。しかもソーセージには長い奴もいれば、短い奴もいて、それでもみんな必死に生きようと奮闘する姿には思わず自分自身を重ねずにはいられなくなるのだ。

しかし物語は彼らの奮闘物語で終わることはない。ヘロインをキメた人間(バッド・トリップ)にだけは、話したり恋をしたりマリファナを吸ったりセックスしたりする食品たちの本当の姿が見えることを知った彼らは、無理やり人間どもをキメさせて反撃にでるのだ。もうこの辺から開いた口が塞がらなかった。

そこまでやるの、、、、え、まだまだ、、、うそ、、、えーーー、おいおい、、、あーーーーー、という感じだった。

、、、、、これほどまでにレビューが無意味な映画も他にないだろう。

もちろん「向こう側」を夢見るスーパーマーケットの食品たちの姿に『進撃の巨人』同様の寓意を求めることもできるだろう。信じるものたちの狂気に満ちた世界観に昨今の宗教的対立を見ることもできるだろう。しかしそんな上品な態度は本作においては、野暮だ。

確かにこの世界には様々な壁があり、その向こう側はどうなっているのかというのは尽きせぬ好奇心の対象である。しかし、である。そこに壁がある以上、役割というものが確実に存在する。下手な好奇心のせいでその壁を壊してしまったがために、取り返しのつかない事態に陥る場合もままある。

そしてこの『ソーセージ・パーティ』はディズニーやピクサーなどが長年にわたり築き上げてきたアニメの世界を高く囲っていた壁を、問答無用でぶち壊してしまうような作品だった。良いとか悪いとかではなく、アニメ映画の「向こう側」に足を踏み入れてしまっているのだ。

これは向こう側の景色を本当に観たいものだけが体験すべき映画だ。同時に「自己責任」という言葉の本当の意味を知ることになるだろう。

そう、この映画はドラッグだ。しかもマリファナみたいなソフトなドラッグではなく、一度キメればその味を二度と忘れることのできないハードなヤツ。ここではない「向こう側」に連れて行ってくれる魔法のブツ。

ちなみに上述した南米ペルーでのアヤワスカ体験後、男は数日間猛烈な寝汗に苦しんだ。それは「向こう側」を覗いてしまった罰であり、副作用だったのだろう。『ソーセージ・パーティ』にも同じような副作用が懸念される。

覚悟がない者はその壁(『ソーセージ・パーティ』)を超えるべからず。あの壁を越えて「向こう側」に行ってこちらの世界に帰ってきた者はひとりもいない。

というわけで、私はこの映画を全力でオススメしようと思う。

『ソーセージ・パーティ』:

Summary
Review Date
Reviewed Item
ソーセージ・パーティ
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