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映画ジャーナル<ビーグル・ザ・ムービー>

映画レビュー『神様なんかくそくらえ』-共感なんていりません

第27回東京国際映画祭の最高賞である東京グランプリと監督賞の二冠を達成した米仏合作映画『神様なんかくそくらえ』のレビューです。主演女優の実体験を元にした作品だけあって細部のリアリティーは迫力満点。ジャンキーとして生きるホームレスの若者たちが織りなす、未来なき純愛映画であり、あらゆる共感や憐れみを拒絶する青春映画。

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■ストーリー■

ハーリーはヘロイン中毒でホームレス。イリヤというデスメタル好きの彼氏がいたが他の男と仲良くしていたことにキレられふられたばかり。それでもハーリーはイリヤのことが忘れられずに、何とかやり直せないかと思っている。しかしイリヤにはそんな想いは通じておらず、逆に鬱陶しがられ、仕舞いには、俺の目の前で死ねば許してやる、と拒絶される。

行き場を失ったハーリーは、ある日、カミソリを買い、本当にイリヤの目の前で手首を切る。

本当の愛の姿を見せたハーリー。それでも家もなく、仕事もなく、日々を刹那的に生きるハーリーはやがてヘロイン欲しさに別の男、しかも薬の売人に近づき、毎朝、ヘロインをドースしては、物乞いのために街へ出る。

それでも、どれだけヘロインを打ち、別の男の女になり、嘘をつき、盗みを働こうが、ハーリーはイリヤを想い続けている。そして今日もまたヘロインを強く欲していた。

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■レビュー■

本作はヒロイン役を演じるアリエル・ホームズの実体験を元にしているだけあってリアリズム描写はすさまじい。ニューヨーク、マンハッタンのホームレスの若者たちを取り巻く破滅的な純愛を描く本作だが、その純愛を支えるものとして、ドラッグをある。

路上に堕ちた美少女の純愛物語となれば、その背景に壮絶な過去や歪んだ家族関係などを描きたくなるところだが、本作ではそういったメロドラマ的要素は一切ない。物語のドキュメンタリー作品のように、彼らが生きる現在に焦点が合うようになっている。生活の中心にはドラッグと愛があり、その周辺には依存し合う弱い男女の若者が生きている。リストカットも万引きも喧嘩も不法侵入も、すべてはドラッグと愛のため。そしてドラッグと愛もまた切り離せない関係にある世界。いわゆる一般的社会にとっては全く不必要とも思えるような事態のループ。

これほどまでに他者からの共感を進んで拒絶するような青春映画も珍しい。破滅的な青春群像ということでアメリカン・ニューシネマと対比してみても、その没共感性は特出している。ニューシネマはそれまでの観客の夢としての映画に対するカウンターとして機能したが、そこには世代間闘争としての役割があり、旧勢力に対する拒絶という若者からの共感を強く必要としていた。

しかし本作『神様なんかくそくらえ』はそもそも共感を得ることを目的としていない。そんな青春映画あるわけない、と思われてもここにあったのだ。映画のはじめから汚らしい男女が図書館でたむろし、くちゃくちゃとしゃべり込み、備え付けのパソコンからYouTubeでデスメタルを聞く。実際にこんな連中がいたら迷惑極まりない。そして終始そういった嫌悪感や拒否感を想起させるようなシーンの連続に登場する、救いのない世界へと自ら進んで落ちていく男女たち。

作品の評価以前に、好き嫌いの反応として見る側を真っ二つに隔てるような本作。個人的には、最初はわざと手持ち感を強調するようなカメラワークなどにインディー映画としての気負いのようなものが感じられて寒々しくも思えたが、途中から加速するこのあらゆる共感さえも拒否するような物語展開に夢中になった。「明日を夢見る」系に埋め尽くされている昨今の青春映画のなかで、「俺たちに明日はない」どころか「明日なんかいらない」という拒絶姿勢は、物語の舞台になっているニューヨークやフロリダという街がもつ華やかさとその幻想への強烈なカウンターとなっている。

ろくでもない連中の青春模様を描いた作品だが、同情でも憐れみでも、もちろん共感でもなく、なぜかいつの間にかにそんな破滅的な生き方への憧れさえも芽生える瞬間もあった。商業的な映画の作法に挑戦するという意味で本作はインディー映画の核心ともいうべき作品であり、日本の生活では知ることのないような世界の混沌を見せつけたという意味で、映画祭のグランプリに選ばれる意味は十分にある一作。

本作が好きか嫌いかぜひご覧になって確かめてください。

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