『エベレスト 3D/EVEREST』
全米公開2015年9月18日/日本公開2015年11月6日/アメリカ・イギリス・アイスランド/121分/ドラマ映画
監督:バルタザール・コルマウクル
脚本:ウィリアム・ニコルソン、サイモン・ボーファイ
出演:ジェイソン・クラーク、ジョシュ・ブローリン、ジョン・ホークス、ロビン・ライト、エミリー・ワトソン、サム・ワーシントン、ジェイク・ジレンホール他
あらすじ
世界中の登山家をひきつける世界最高峰エベレストで1996年に起きた実話を、3Dで映画化したサバイバルドラマ。エベレスト登頂を目指して世界各地から集まったベテラン登山家たち。それぞれの想いを抱えながら登頂アタックの日を迎えるが、道具の不備やメンバーの体調不良などトラブルが重なり、下山が大幅に遅れてしまう。さらに天候も急激に悪化し、人間が生存していられない死の領域「デス・ゾーン」で離ればなれになってしまう。ブリザードと酸欠の恐怖が迫る極限状態の中、登山家たちは生き残りを賭けて闘うが……。
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レビュー
世界の頂に立つ資格とは?:
本作『エベレスト 3D』は邦題から推し量ると何だか『ジュラシック・ワールド』のような3Dアトラクションのようにも思えるが、実際は1986年に起きた登山史上稀な大規模遭難を描いた実録映画である。8名の登山家が死亡し、その後多くの論争を巻き起こすことになった事件で、その死者のなかには日本女性として田部井淳子に次ぐ二人目のエベレスト登頂者となった難波康子も含まれるため日本でも取り上げられた。しかし 8名という死亡者の数だけが本件を大規模な論争へと至らしめた理由ではない。この事故が問いかける問題とは、エベレストに登頂する資格についてであり、その資格とは金銭によって満たされるものなのかという疑問である。
言わずもがなエベレストは世界で最も高い山である。一方でK2やナンガ・パルパットなどの8000メートル峰に比べると特別な登山スキルは必要とされないと言われている。その証拠に近年ではほとんど素人の登山者たちが、屈強なシェルパに半ば担がれる形で登頂に成功している。日本でも一時期持て囃された七大大陸最高峰登頂という「偉業」も、難関とされるアジア代表のエベレストと北米代表のデナリ(マッキンリー)そして南米のアコンカグア以外はほとんど生命の危険はなく、デナリとアコンカグアに至っても登頂ツアーが広く浸透している。その称号が登山家としての資格を証明する尺度にはなっていないのが現実だ。
やがてエベレストでも同様の登頂ツアーが組まれるようになり、90年代半ばには登山家のロブ・ホールが引率する形で世界中のアマチュア登山家から約700万円の参加料を募り商業登山が本格化していく。ロブ・ホールが主催する商業登山の成功から他にも公募登山ツアーが組まれるようになり、この時点ですでにエベレスト登山の資格として登山者本人の力量は重要視されず、その支払い能力の有無が主だった資格となってしまった。結果、エベレストには世界の頂を目指す登山者で溢れた。そのなかには純粋なエベレストへの憧れも持たず、ただ金銭と名声を交換しようとする者たちも含まれる。事実1985年には富豪ディック・バスが屈強なクライマーの助けでエベレストに登頂している。この時点ですでに世界の頂は金で買えるようになっていた。また登山ルートでは力のない登山者が足を引っ張る形での渋滞が問題視されるようになる。
そして1996年にとうとう大規模な遭難事故が起きた。これは雪崩などの自然現象によって引き起こされた事故ではなく、あくまで人為的側面が強い事故であった。登山隊内部での軋轢、ルート工作の不備、そして我先へと頂へ向かおうとする登山者たちのエゴ、こういった要素が重なった結果、8名が死亡する大事故へと繋がっていく。
この事故が世界中、特にアメリカで大きな問題となった理由の一つには一人のジャーナリストの存在が挙げられる。ジョン・クラカワーというアウトドア作家で、ショーン・ペンによって映画化もされた『荒野へ』の原作者でもあり、ノンフィクションライターとして日本でいうところの沢木耕太郎ほどに影響力のある人物だ。実は彼はこの商業登山に取材者として参加していた。そして参加者の多くが死亡したなかで彼は生還し、『空へ』という本を執筆する。これはアメリカでベストセラーになり、その壮絶な「デス・ゾーン」の現実に読者は驚愕した。しかし一方でその内容を巡って大きな論争も生まれる。特に『空へ』のなかでジョン・クラカワーが、「登山ガイドとしての適性を欠いている」と厳しく非難した登山ガイドのブクレーエフは、逆に『デスゾーン』という本のなかでジョン・クラカワーへの反論を行っていく。それは要約すればこうなる。
ガイドを必要とする者にはエベレストの頂に立つ資格はない。
事実、登頂を終えて遭難者が数多く出ている状況でも救助活動ができなかったジョン・クラカワーに対して、ブクレーエフは死力を尽くして救助活動にあたり数名を助けている。もちろんアウトドアライターとして活動していたとは言え素人と変わりなかったジョン・クラカワーに8000メートルでの救助活動を強いるのは無理だったにせよ、少なくともその場にいる本来の資格をどちらが満たしていたかは明らかだ。
本作で最も興味深かったこととは、これまでジョン・クラカワーの『空へ』を基準に語られることが多かったこの事件において、彼を登場人物のひとりとして描いていることだ。そしてこの事故によって誰かを非難するという意図を持たず、あくまで商業登山の危険性と、それでもエベレストに魅せられる人々のあくなき頂への欲望を客観的に描いたことだった。『空へ』のなかでは何を考えているのかよくわからない東洋の女性としてだけ描かれていた難波康子さんも、本作では外側の人物としては描かれていない。それぞれの登山者にはそれぞれの想いがあることが描かれており、そしてその想いとは裏腹に登山者の多くにはその想いを実現する本当の資格を満たしていなかったことも描いている。
しかし一方で映画としては客観性を優先するあまりに物語の訴求力が薄まったともいえる。同じ登山映画として『アイガーサンクション』や『クリフ・ハンガー』、そして『バーティカル・リミット』といったアクション優先の映画とは真逆となっているが、だからと言ってドラマ部分が特出しているわけでもない。やはり見所はIMAX3Dで体感する高度8000メートルのデスゾーンの真実ということになるのだろう。それならば敢えて登山史で最も有名な惨劇のひとつを題材にする必要もなかったように思える。しかも冒頭でも述べたが邦題には3Dなんて余計な付け足しもあるから、不必要なまでにアトラクション面が強調される始末で、綱渡りヒヤヒヤやニトログリセリンで雪山大爆破とかそういうのを期待したくなってしまう。全体の印象として、物語と、それを伝えるフォーマットがうまく合致していないように感じた。IMAX3Dでキーラ・ナイトレイがしくしく枕を濡らすシーンを長々と見せられても困る。
それでも登山関係の本や映画が好物な人にとっては絶対見逃せない一作でもある。これまでの登山映画とは全く違った高所登山の現実を体感できるし、エベレスト挑戦といえば何でも美談となってしまう風潮への批判ともなっている。夢や希望を語る前に、それを実現する資格があるのか。エベレストという極地において、夢や希望の実現の失敗は死へと直結する。そして一つの無責任な死は雪崩のように他を巻き込んでいくのだ。本作はまさに世界の頂を目指すことの意義について改めて問いかける作品となっている。
ということで『エベレスト 3D』のレビューでした。これはIMAX3Dで観ることを推奨します。というか今流行りの4DXとかやばそうデス。特にクレパスに掛けられたハシゴを渡るシーンで席がグラグラ揺れられたら絶叫ものでしょう。本作には有名俳優が総出演していますが、特にサム・ワーシントンは美味しいとこを最後に持っていくことになり、格好良さが際立っています。あとジェイク・ジレンホールはまともな役はもう引き受ける気がないのでしょう。登山関係の本が大好物の身にはちょっと物足りなさもありましたが、それでもIMAXに大写しにされるエベレストの威容には思わず手を合わせたくなりました。星は3つですがおすすめデス。あと関連本をおすすめデス。
IMAX3Dで観ました。前半、吊橋を渡るシーン、途中の尾根、ラスト近くのヘリコプターなど、
ド迫力の映像でした。山頂だけちょっとセットっぽかった(当たり前)ですが。
難波さんもいい味だしてたと思います。