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映画ジャーナル<ビーグル・ザ・ムービー>

映画レビュー『完全なるチェックメイト』-天才ボビー・フィッシャーの苦闘

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『完全なるチェックメイト/Pawn Sacrifice』

全米公開2015年9月16日/日本公開2015年12月25日/アメリカ/115分/ドラマ映画

監督:エドワード・ズウィック

脚本:スティーブン・ナイト

出演:トビー・マグワイア、ピーター・サースガード、リリー・レーブ他

あらすじ

『スパイダーマン』シリーズのトビー・マグワイヤが伝説のチェス・プレイヤー、ボビー・フィッシャーの半生を演じた人間ドラマ。28年間もソビエトに独占されていた世界チャンピオンの座を奪取し、米国の英雄と賞賛された男の孤独と苦悩を描き出す。『ラストサムライ』『ブラッド・ダイヤモンド』のエドワード・ズウィックがメガホンを執る。

参照:cinema.pia.co.jp/title/164840/

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レビュー

「天才」をただ「天才」として眺めていればいいのか?:

『ラストサムライ』のエドワード・ズウィック監督が、脚本家に『オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分』のスティーブン・ナイトを迎えて描くチェスを舞台にした天才の苦闘。チェスの世界チャンピョン、ボビー・フィッシャーを演じるのはサム・ライミ監督作『スパイダーマン』のトビー・マグワイア。

ソ連が最強を誇った冷戦下でのチェスにおいて、アメリカ初の公式チャンピョンになったボビー・フィッシャー。一夜にしてアメリカの英雄となったボビーは、一方でエキセントリックな言動で周囲を驚かす。やがてチェスが東西の代理戦争の様相を呈する中、ソ連最強のボリス・スパスキーと戦いへと固執していくボビー。オリジナルタイトル『ポーン・サクリファイス/Pawn Sacrifice』が将棋でいうところの「歩の犠牲」を意味する通りに、勝利のために自らをギリギリまですり減らしていく孤高の天才の姿を描く。

本作は1972年にアイスランドで行われたチェス世界チャンピョン決定戦をゴールに、ボビーの生い立ちや彼の病的な気難しさ、そして彼の天才性が「チェス」という世界に吸収されて、やがては国民的アイコンになっていく過程を皮肉たっぷりに描いている。ボビーの奇行もまた皮肉の対象であるが、主眼はやはりチェスという競技がその本質から離れ政治利用されていくことにある。これまでチェスのことなど知りもしなかったアメリカ国民が、敵国ソ連に勝ったからという理由だけで昨日までは無名だった英雄をひとり作り上げる。そして、ありがちなことだが、飽きたり手に余すようになったのなら、手のひら返しの罵詈雑言が待っている。ボビー・フィッシャーという男の一生はまさに象徴的であり、晩年には日本に深く関わることからニュースにも取り上げられた。

充実のスタッフと俳優たちがボビー・フィッシャーの苦悩を描くとなればつまらないはずはない。ボビー・フィッシャーが2008年に亡くなったことで新しい話が出てきたことも本作にはプラスだったはずだ。『ライ麦』のJ・D・サリンジャーのようにその極度に人嫌いの気性から、これまでは『ボビー・フィッシャーを探して』で描かれたような象徴として扱われてきた世界チャンピョン、ボビー・フィッシャーの姿が正面から描かれるというだけで興味は尽きない。

しかし実際には伝記映画の悪例とも言いたくなるほどに退屈な映画だった。もちろんボビーの半生に退屈なんてものはない。退屈なのはスクリーン上で起きるハイライトと脚本上での最高潮が一致していないためで、あまりに劇的な瞬間が淡白に描かれ、エモーショナルなシーンも容赦なくぶった切られるからだ。これは演出の一貫で、1972年に実際に起きた出来事を40年以上経って反省的に提示しようとした結果だろうが、その姿勢が映画の面白さよりも優先されては元も子もない。

例えば本作では実際にボビーがチェスを動かして戦うシーンは少ない。それは観客のチェスへの関心度の不一致を均すために敢えて削除したというところだろうし、観客の相当数はチェスのルールすら怪しいことを鑑みれば誤った判断だとも思わない。しかし物語は1972年の世界挑戦を、彼の人生の頂点であり分岐点であったとする前提に立つ以上は、その最高潮にあたるボリス・スパスキーとの熱戦こそがクライマックスであるべきだ。例えその戦いが政治性の強い国家主義的な圧力のもとに行われたものであったとしても、ボビーにとっては比類なき瞬間だったはずなのに、あまりに淡白で盛り上がりに欠ける。

またボビー本人の描き方もあまりに政治的だ。作品そのものはチェスの政治利用に批判的なトーンでありながら、ボビーが大人へと成長していくエピソードで描かれるのは、当時の政治情勢と密接に関わった彼の出生についてのみとなっている。ボビーの両親がユダヤ人であったことと、彼がユダヤ人を憎み続けたことの関係性に疑問を覚えた。重要なのは「なぜ彼は憎しみを隠せなかったのか」という問いであるはずで、憎しみの源泉を描くだけでは不十分だ。その問いのなかにこそ、天才性と隣り合わせに同居する彼の苦悩の源泉が隠されているはずだった。

ボビー・フィッシャー自身の半生が規格外のエキセントリックさのため本作でも飽きることはない。が、繰り返すがそれはボビー・フィッシャー本人の人生に飽きることがないだけのことで、映画そのものが魅力的な訳ではない。本作は企画当初はデイヴィッド・フィンチャー監督で進められていた。そしてエドワード・ズウィック監督もフィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』を強く意識したことは間違いない。時系列に沿ったイベントの盛り上がりに映画のクライマックスを当てはめるのではなく、あくまで主人公の心情に寄り添って映画を構成していく。『ソーシャル・ネットワーク』はザッカーバーグの孤独感を、実際はどうあれ、再現して見せた。しかし本作からはボビー・フィッシャーは何を考えていたのか、という問いへの答えは見出せられない。彼の孤独や悲しみや苦しみを一般の観客にも理解可能な概念として、彼自身のエピソードから抽象化することに失敗している。

ボビー・フィッシャーはアメリカに政治利用された結果、アメリカを捨てて最後は本作の舞台でもあるアイスランドで生涯を終える。たったひとりでソ連を倒したボビー・フィッシャー。当時のアメリカが熱狂したのはチェスではなくボビー・フィッシャーだった。その裏で誰にも理解できない苦悩に落ち込むボビー・フィッシャー。本作で描かれるのは、みんな知っているそんな彼、それだけだ。

あまりに淡白で政治的印象の強すぎる作品として高く評価はできない。確かに見た目は重厚で熱狂的なドラマかもしれないが、その実は大切な部分は何も語っていない、天才をただ天才と眺めるだけの映画だった。

ということでトビー・マグアイアがボビー・フィッシャーを演じる『完全なるチェックメイト』のレビューでした。この水準の映画でギリギリ3つ星というのは、個人的にはあまり観る価値を感じないという意味です。ただトビー・マグワイアの演技もよく、特にボリス・スパスキーを演じたリーヴ・シュレイバーの演技は圧巻でした。まあ、その点は観る価値あります。以上。

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