50年代のジャズ全盛の時代を駆け抜けたジャズトランペンター、チェット・ベイカーをイーサン・ホークが演じる本作。ジャズ界のジェームズ・ディーンと持て囃されるも、ドラッグによってどん底を経験した彼がカムバックを目指す時期に焦点を当て、その光と影を描き出す。劇中の音楽もさる事ながら、ラストには思わず感涙。第28回東京国際映画祭コンペ部門出品作。
『ブルーに生まれついて/Born To Be Blue』
日本公開2016年11月/ドラマ・伝記映画/カナダ/97分
監督:ロバート・バドロー
脚本:ロバート・バドロー
出演:イーサン・ホーク、カーメン・イジョゴ、カラム・キース・レニー他
あらすじ
1950年代半ば、時代の寵児となった白人ジャズトランペッター、チェット・ベイカー。ウェストコースト・ジャズを代表する「天才」ミュージシャンでありながら、ドラッグに溺れやがてはジャズシーンの没落とともに一線から遠ざかっていく。ドラッグを理由にギャングから襲われ、歯を失い、それでもどん底から這い上がろうとするチェット・ベイカーの苦闘をイーサン・ホークが熱演する。
レビュー
ジャズを表す色表現は、ブルーと決まっている。単純にブルー(憂鬱)な気分がジャズにぴったりくるからとも言えるが、老舗レーベル「ブルーノート」やガーシュインの代表作『ラプソディ・イン・ブルー』、それにマイルズ・デイビスの名盤『カインド・オブ・ブルー』などは単純な「青」や「憂鬱」を表すのではなく、ジャズやブルーズでよく使われる「ブルーノート・スケール」と呼ばれる独特な音階を起源としている。それはヨーロッパ起源の「ドレミファソラシド」とは違ったアフリカ起源の音階で、奴隷貿易を通して新大陸へもたらされることになり、その音階「ブルーノート」がジャズやブルーズの土台となった。そのためジャズやブルーズにおける「ブルー」という色には、その音色からの印象だけでない独特な哀愁が含まれることになる。
本作のタイトル『ブルーに生まれついて』にある、その「ブルー」とはただの青でも憂鬱でもなく、言葉に訳し難い哀愁や悲しみを含んでいる。このジャズのスタンダードナンバーはロバート・ウェルズとメル・トーメの共作で、センチメンタルなメロディーが印象的で後に様々なジャズミュージシャンにカバーされる。ギターならグラント・グリーン、サックスならアイク・ケベック、そしてトランペットならチェット・ベイカー(フレディー・ハバートも)の演奏が有名だ。そしてチェットがこの曲をレコーディングしたのは、度重なるドラッグ問題から逃げるようにヨーロッパへと渡り、しかしそこでも問題を起こし続け、結局はアメリカに帰ってきた60年代前半の頃だった。全盛期とは程遠いにも関わらず、落ちぶれた当時の彼自身の姿を歌っているようで、印象的な一曲となっている(『Baby Breeze』(1965)に収録)。
1950年代、西海岸から現れたトランペッターの新星はチャーリー・パーカーのバンドに参加したことで一気に名を挙げ、その端正なルックスと甘く物悲しい歌声、そして飾り気のないストレートなトランペットを引っさげ、シーンの中心に躍り出る。そして50年代半ばにもなると黒人中心だったジャズシーンにあって、あのマイルズ・デイビスを凌ぎ、その嫉妬を浴びるまでの人気を得ていた。それはジェームズ・ディーンやフランク・シナトラと並び称されるほどの熱狂ぶりだったが、その人気も長続きせず、多くの人気ジャズミュージシャンがそうなったようにチェットもドラッグに溺れた。
今で言う「天然」のような無邪気さで、あの気難しいマイルズさえも彼の人柄を好んでいたと言われるチェット・ベイカーだが、ドラッグは彼の無邪気さを周辺に対する無責任さへと変えてしまい、50年代後半から人々は彼のもとから徐々に遠ざかっていく。
本作『ブルーに生まれついて』はチェット・ベイカーの波乱の人生のなかでも、一度はドラッグによってシーンの一線から追い出されてから1973年にカムバックを果たすまでの苦闘期に焦点を当てている。50年代半ばから繰り返し引き起こすドラッグ絡みのトラブルはさほど強調されず、そして何より1988年に彼がオランダで謎を死を遂げる事実に関しては全く描かれない。同じくジャズの巨人でドラッグ問題を抱えていたチャーリー・パーカーの半生をクリント・イーストウッドが監督した『バード』が、パーカーの闇を描くことに作品の大部分を費やしたのとは対照的に、本作ではチェット・ベイカーの光と影を平等に再現している。
ど田舎のオクラホマ出身でありながらも都会的な雰囲気を持ち、死神のようにドラッグで周りをボロボロにしながらも彼の歌声やトランペットの音色は天使に例えられもした。そんな両極の性質をひとつの肉体と精神に宿すというまさに「天才」だったチェット・ベイカーを主演のイーサン・ホークはほとんど完璧に演じきっていた。実はイーサン・ホークは本作の脚本を受け取る前に、『6才のボクが、大人になるまで。』のリチャード・リンクレイター監督とともにチェット・ベイカーの映画化企画を立ち上げていた経緯がある。その企画自体は頓挫するも、彼のなかでチェット・ベイカーを演じる準備はすでにできていたのだ。そして劇中での歌もイーサン・ホーク自身が歌っている。
また劇中を彩るチェットの演奏も、代表曲を時系列的に「Let’s Get Lost」から「My Funny Valentine」、「Somewhere Over The Rainbow 」そして「Born To Be Blue」と並べており、その音楽がチェットのプライベートと重なるように構成されている。おそらくはこの構成が映画製作の当初からあったのだろう。そのためチェットの半生を描く上で、欠かせないと思われるいくつかのエピソードが抜け落ちており、特になぜ彼がドラッグにハマったのか、という文脈はごっそりと描かれていない。一般的にはチャーリー・パーカーがそのきっかけとなったとも言われているし、将来を嘱望されたピアニストのディック・ツワージクがオーバードースで死んだのもチェットとのツアー中のことだった。『バード』のように極端な描写を避けるためだったのだろうが、光と影のバランスを意図的に調整していることは明白で、その点はうるさ型のジャズファンには気になるところだろうか。他にも史実とは違うと思われる場面もあるが、観ているとそんなことは別にどうでもいいことに思えてくる。
本作は甘いラブソングのような雰囲気を携えながらも、ラストでは厳しい選択を描くことになる。それは「音楽か愛か」とか「ドラッグか信頼か」とかそんな安っぽい二者択一の問いではなく、「今か永遠か」という彼の存在そのものを巡る涙の決断だった。そしてその決断が本編では触れられない彼の最後への予兆となっている。ミッキー・ローク主演の『レスラー』を観て涙をこらえきれなかった人たちは、本作でもきっと同じ目に遭うだろう。
ステージの上でスポットライトを浴びて「Born To Be Blue」を歌う姿がスクリーンに映された時、反射的に涙が止めどなく溢れ出して困った。もちろんこうやって終わることは分かっていた。この映画を観る前から、この映画の企画を知った時から、こうなるしかないことは分かっていた。
それでもスクリーンに映されるイーサン・ホーク演じるチェット・ベイカーを見ながら、途中からこれは本当にチェット・ベイカーの物語なのかわからなくなった。むしろチェット・ベイカーを通して全く別の何かを描いている感じた。イーサン・ホークの演技にケチをつけているのではもちろんなく、正確に記すと、これはチェット・ベイカーだけの物語ではなく、このレビューの冒頭に書いたジャズに意味付けされている「ブルー」そのものを描いていると思ったのだ。
その昔、アフリカ大陸から無理やりアメリカに連れてこられた人々は、自分たちに理不尽な苦痛を与える白人たちが崇める神に、自らの苦境の救済を願い、すがりついた。そしてその際にこぼれ落ちた涙のような音階こそが「ブルーノート」であり、ジャズの始まりだった。そもそも「ブルーノート」とは、そしてジャズとは、彼らの矛盾と葛藤そのものだった。そしてそれはまさにチェット・ベイカーのジャズを巡る人生そのものとも言える。
チェット・ベイカーは「天才」と表現される。チャーリー・パーカーは彼の演奏を少し聞いただけでその才能に惚れ込んだほどだ。また彼は楽譜を読むことが苦手で、練習もほとんどしなかったと言われる。それでも彼の演奏には、彼しか吹けない独特の音色が備わっている。そしてその傾向は、本作で描かれるカムバック以降の活動後期になるとさらに顕著となる。汚れきった私生活とは裏腹に彼のトランペットに淀みはなくなっていく。そして老いていく肉体やテクニックに抗するように、一音一音はより明快になりメロディーが強調されるようになる。それを可能にしたのは彼が「天才」だったからというよりも、「生まれついてのブルー」だったからだと本作のラストで思い知らされた。一人のジャズミュージシャンの半生を通してジャズの精神そのものを描いて見せたのだ。
この「Born To Be Blue」という曲はチェット・ベイカーの作詞ではない。それでも彼のことを歌っているとしか思えないことからも、チェット・ベイカーという人間の「ブルー」な普遍性は紛れもない。
彼にまつわるトリビアや噂話を続ければ、どこまでも書き続けることができるように思えるが、あまり長すぎると本作の魅力からどんどん遠ざかっていきそうな気がするので、最後に「Born To Be Blue」の一節を紹介して終わりにする。
きっと、これでも他の奴らよりはマシなのかも
君に恋をしてずいぶんとハラハラしたしね
でも結局は孤独でいるしかないんだ
生まれついてのブルーだから
(Born To Be Blue ,1946, Robert Wells / Mel Torme)
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ということで『ブルーに生まれついて』のレビューでした。内容に関してはもうこれ以上書きませんが、本作で演奏される音楽もとても素晴らしいです。カナダのトランペッター、ケヴィン・ターコットの仕事で、チェット・ベイカーの時代的な特徴を見事に、しかもわかりやすく演奏し分けています。勢いのあった50年代のトーンと、カムバックを目指していた頃との特徴の違いがはっきりしています。あと劇中に登場するマイルズはそっくり。本作を見てチェット・ベイカーに興味を持った人は、是非とも彼の死の直後に完成したドキュメンタリー『Let’s Get Lost』もご覧になってください。あとYouTubeにも色々と彼の演奏は載っています。まずは本作を観てからですが。もうとにかく全力でオススメします。私的な感傷もずいぶんと含みますが、これが今年の個人ベストなのかなと思います。もう涙が止まりませんでしたから。くどいですがオススメです。あと、チェット・ベイカーのオススメ音源も下にまとめてご紹介します。まだ色々と語りたいこともあるのですが、、、以上。
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