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映画レビュー『ストレイト・アウタ・コンプトン』-路上の過激なジャーナリズム

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『ストレイト・アウタ・コンプトン/Straight Outta Compton』

全米公開2015年8月14日/日本公開2015年12月19日/アメリカ/147分/伝記映画

監督:F・ゲイリー・グレイ

脚本:ジョナサン・ハーマン、アンドレア・ベルロフ

出演:オシェ・ジャクソン・ジュニア、コーリー・ホーキンス、ポール・ジアマッティほか

あらすじ

1986年にアメリカ西海岸で結成されたヒップホップグループN.W.A. (Niggaz Wit Attitudes/意見する黒人)はどうやって生まれたのか?

警察やFBIからも「世界で最も危険なグループ」として目をつけられる存在となったN.W.A.の光と影。ドクター・ドレー、アイス・キューブそしてイージー・Eらメンバーの姿を通して、伝説的ヒップホップグループの屈辱と成功と別れを描く。

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レビュー

路上の過激なジャーナリズム:

映画の冒頭で、鳴り響くサイレンの音をバックにドクター・ドレーが語る言葉が本作のほとんどを要約している。「You are now about to witness the strength of street knowledge/これからお見せするのは、ストリートの知見の底力だ」

1986年に結成されたN.W.Aは今ではほとんど伝説の存在になっている。ドクター・ドレーは実業家として、アイス・キューブも最近ではコミカルな強面俳優として、他のメンバー同様に強い影響力を持つ「パブリック」な存在でありながらも、その昔彼らはFBIからも危険視されるほどに過激で扇動的なメッセージを発していた「パブリック・エネミー」として社会に登場した。

それぞれに生い立ちも性格も違う5名の個性蓋かなメンバーたちが、まるで何かに引き寄せられるようにステージへと向かい、そして「Fuck tha Police/警官を姦れ」と過激な扇動者/アジテーターの役割を進んで担っていったのか。「犯罪都市」コンプトンに生まれた彼らがやがては黒人社会全体の代弁者となっていく過程を描いた本作。そしてN.W.Aが結成され、ムーブメントを起こし、そして崩壊してはそれぞれの道を歩む彼らの道程はまさに「ストリートの知見の底力」そのものだった。

80年代コンプトンとは、よく言えば「ロスの下町」、現実的に言えば「犯罪と暴力の町」と認識されていた。そこでは歩く全ての黒人たちが「犯罪者」として扱われ、野良犬と変わらぬ存在として警察権力による暴力にも晒されていた。町の内部では犯罪が溢れ、町の外部からは警察の暴力によって閉じ込められる。おかげでコンプトンに育った少年たちの行き場のない閉塞感とそこからの解放衝動は「怒り」を燃料にしてぐつぐつと煮えたぎることになる。ドクター・ドレーはターンテーブルに向かうことで、アイス・キューブは紙に怒りを書き殴ることで、そしてイージー・Eは虚勢を張ることで、そんな日常から抜け出そうと必死になっていた。それは差別への抵抗であり、そして同時にコンプトンへの抵抗でもあった。その抵抗は社会にへつらうことなく、自分たちの意見を独自に発する「ストリート」という文化となって集合していく。

「ストリート」では過去の「遺産/レガシー」はリミックスという名の下にバラバラに解体され、別の機能に吸収されていく。コンプトンでヒップホップとは、その吸収剤だった。これまでは路上の隅に打ち捨てられていた声なき声を片っ端から吸い集める。出来上がったものが例えレコードにプレスされ、やがてラジオで流されようともただの音楽ではない。「Fuck tha Police」の歌詞を読めばわかるが、それは人を楽しませたりリラックスさせたり感動させたりするような旧来の音楽とは意図も成り立ちも全く違う、怒りの告発になっている。

本作ではパトカーのサイレンが非常に有効に使用されている。我々にとってのサイレンが「近くで、何かが起きた」ことの合図であるのに対して、コンプトンの黒人にとってサイレンとは「ここで、暴力が起きる」ことを意味している。それが合図となって彼らは毎度地面に跪かされ、警官に絞りあげられる。その経験の集積は、やがてサイレンに対する反抗を生む。劇中ではサイレンが鳴るたびに何かが起きるのだろうと身を固めることになる。もちろん何かが起こることもあれば何も起きないこともある。それでもサイレンが暴力の不吉な予兆であることは変わらない。やがて劇中ではロス暴動が起こる。それはまさに一台のパトカーのサイレンが引き金となった事件だった。そういった経験から彼らの音楽的意味の領域は独自に広がっていく。同じサイレンの音でもコンプトンの町だけで聞き取れる意味がある。N.W.A.が衝撃的だったのはコンプトンの人間なら誰でも聞き取れるその独自の意味を外に向けて発信したことかもしれない。外からは犯罪都市にしか見えないコンプトンのその中で起きていたことを歌にした。その経緯や手法、価値などは、ほとんどジャーナリズムと変わらない。

伝記映画ということで内容はウィキペディアでも読めば理解できる。でもそれだけでは「ストリートの知見の底力」を見ることはできない。この映画を見ればなぜアイス・キューブはいつも不機嫌で口がひん曲がっているのかよくわかる(映画のなかのことです)。怒らずにはいられない世の中なのだ。そしてその状況はロス暴動から30年たっても変わっていないし、『グローリー/明日への行進』の50年前からも大して変わっていない。相変わらず黒人たちは殴られ、首を絞められ、簡単に射殺されている。そのことを新聞もテレビを伝えているが、あくまで起きたことを伝えているだけにすぎない。明日になれば他のニュースがあって、また数年後に同じニュースを速報する。

「Fuck tha Police」

警官を姦れ、という過激な言葉のなかにも彼らだからこそ使うことが支持され、同時に恐れられた意味が含まれている。もちろんそれを言葉でどう言えばいいのかは分からない。しかしN.W.A.はそれを使いこなした。「ストリートの知見」を最大限に使ってそれをモノにし、先頭に立って戦った。もちろんキング牧師よりはずっとマトモじゃない。すぐにバットやナイフ、果てにはマシンガンも出してくるとんでもない連中だ。

それでも彼らのまっすぐな叫びは心を動かす。

「Fuck tha Police」

今でもこの過激な言葉が30年前と同様に魅力的だという事実は、そのままアメリカ社会が同時から何も変わっていないことも意味している。きっとN.W.A.というグループの意味はCDだけではわからないのだろう。そして映画としては本作は音楽映画としてだけでなく、また80年代のストリートカルチャーを知るにも、そして最高の青春映画としても観ることができる。

ここらで最後に一言。

Fuck tha Police!!

ということで今話題の『Straight Outta Compton』のレビューでした。それにしてもリアルタイムで聞き知っていたグループの伝記映画で出来るとはなんともやるせませんが、最高評価の一作であることは間違いありません。二時間半は長いとお思いでしょうが、全然長く感じません。それよりもイージー・Eの行く末を知っている分、アイス・キューブとの和解シーンでは涙ボロボロでした。こんな劇的なグループってありますか? あとポール・ジアマッティ演じるジェリー・ヘラーは想像したよりも酷い人間ではなかったようですが、シュグ・ナイトは思っていた通りに酷いヤツでした。あと俳優陣は全部いい。これ日本公開はどうなるでしょう。吹き替えかなり怖いですね。「警官を殺れ」ですよ。それでも今年を代表する一作となるでしょう。おすすめです。

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