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『わたしを離さないで』第8話レビュー

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カズオ・イシグロ原作のベストセラーを綾瀬はるか主演でドラマ化する『わたしを離さないで』の第8話のレビューです。幼少時代をともに過ごした陽光学苑に戻った3人の前には現れた恭子の子供の頃にそっくりな少女。そして美和の最後の時が近づいていく。

『わたしを離さないで』

出演:綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみ、ほか

原作:「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ

脚本:森下佳子

音楽:やまだ豊

プロデュース: 渡瀬暁彦 飯田和孝

演出:吉田健 山本剛義 平川雄一朗

製作著作:TBS「わたしを離さないで」公式サイト

第8話 あらすじ

美和(水川あさみ)の希望で、陽光があった場所へ訪れた恭子(綾瀬はるか)、友彦(三浦春馬)、美和の3人。しかし、そこには陽光の面影はなく、提供者を育てるための別の“ホーム”がそびえ立っていた。

友彦とサッカーをしたり昔話に花を咲かせていた恭子だったが、席を外していた美和の帰りが遅いため、建物の中まで探しに行くと、そこには縄跳びやゲームをしているにもかかわらず、異様に静かで生気がない子どもたちと出会う。無事に合流した3人だったが、帰り際に昔の恭子と瓜二つな女の子(鈴木梨央)の姿を発見する。

そんな陽光からの帰り道、3人で再会する機会を作ってくれたことに感謝する恭子と友彦に、美和は今まで自分が抱えていた思いを打ち明けるが…。


第8話レビュー

幼少時代を過ごした陽光学苑を訪れた3人。そこに昔の面影はなく、虚ろな少年少女たちが無秩序に暮らす施設となっていた。追い出されるように施設から帰ろうとした3人は虚ろな少年少女のなかに恭子の子供の頃にそっくりな少女を発見する。自分たちが誰かのために作り出されたクローンだと知る3人は、そこが陽光と同じく提供者を育てる目的の施設だと理解するが、ある時が来るまで「普通の人間」として育てられてきた過去の陽光学苑とは違い、そこに暮らす少年少女には感情がなく、皆虚ろだった。

そして3人が一緒に過ごす時間が終わりろうとする頃、美羽はこれまで黙っていた秘密を2人に明かす。これまで恭子と友彦が想い合っていることを知りながらその邪魔をし続けたのは、自分が一人だけ取り残されるのを嫌ったためだった。そのためだけに恭子と友彦が過ごすはずだった二人の時間を奪ってしまったことへの罪悪感からか、美羽は謝罪の印として彼女が得意としていた創作物と陽光時代の校長先生の住所を二人に渡す。それを使って噂される陽光学苑出身者だけに許される特別な猶予時間を勝ち取るように進言する。

このエピソードでは恭子と美和の関係の最後が描かれる。これまで執拗に描かれてきた美和の恭子への仕打ちの本当の意味が語られる。最後の提供を前に美和はその想いをすべて恭子に語りかける。

 わたしを離さないで

「本当は恭子みたいになりなかった

これまでの意地悪や仕打ちはすべて憧れの裏返しだった。そして最後の提供手術へと向かう美和は取り乱し、恭子にこう叫ぶ。

「わたしを離さないで」

そして最後の瞬間を苦痛と悲しみで終えようとする美和に向かって恭子は語る。

あなたは天使なの。自分の身を削って誰かを幸せにする天使なの」と。

陽光学苑の時代から押し付けられてきた「天使」という役割に反発していたはずの恭子は、美和を励ますためにその嫌っていたはずの言葉を発してしまう。

その瞬間、きっと恭子は理解したのだろう。陽光学苑の教師たちもまた今の自分と同じような想いで「天使」という表現を使用していたことに。それは子供たちを都合よくコントロールするための言葉ではなく、厳しい運命を背負わされた彼ら彼女たちを励ませる唯一の言葉だった。

死んだ美和の遺品を整理していた恭子はそこに「それでも生きようとした」美和の痕跡を発見する。誰かのために死ぬことを運命づけられた彼らが、それでも生きようとするために願いとは、芸術に他ならなかった。

そしてとうとう二人きりになった恭子と友彦は一緒に過ごすための猶予を勝ち取る決意を固めるとで、このエピソードは終わっていく。

全体的には前話同様にコンパクトにうまく仕上がっていた。

しかし冒頭からいい加減なSF調描写が復活し、それに釣られてか演技や演出も過剰になってしまう。美和の変節も唐突感がある。そして、このエピソードに限ったことではないが、原作や映画版で描かれるような「悲しめない」ことの悲しみや、「涙が出ない」ことの苦しみといった、屈折した絶望感がうまく演出されていないのが残念。少なくとも恭子はもっと無感情まで追い詰めていいはずだ。

それでも物語の最後が見えたことで描かれるポイントが明確になっていて見やすくはなっている。このエピソードの終わり、ねじれた3角関係が美和の死によって終わる。そしてその結果とは、恭子と友彦だけでなく美和さえも望んだこととはいえ、二人の時間を過ごすためには美和の死は必要不可欠という意味で、ふたりをある種の共犯者へと仕立てることになる。もう誰にも気兼ねする必要がないはずの恭子と友彦の逢瀬が背徳的に描かれるのはそのためだ。

美和が「天使」として死ぬことで、恭子はもう「天使」ではいられなくなったのだ。

これは恭子が美和の死によって大人になったことも意味する。提供者とは社会と隔絶され、外の世界に自発的に触れることができないという意味で子供の集団と言える。子供は自分の人生の意味を自問したりしない。その場の状況に合わせ、怒り、悲しみ、喜ぶのが子供であり、それは美和の性格そのままだ。その意味で、美和の最後に恭子が「あなたは天使なの」といったことは全く正しい。

しかしこのエピソードの最後、恭子は猶予を勝ち取ることを決意する。そのためには外の世界の住人(陽光時代の校長先生)と会わなければならない。そしてその行為が意味することは一体何なのだろうか? それは自分らしく生きることなのか、それともルールを逸脱した逃亡行為なのか。

などなど映像レベルではお粗末でも物語レベルではしっかりとした芯があるので、色々と考えるのはもってこいのドラマだと思う。同じ運命を背負った美和が死んだことで、二人の死も確実に近くなっている。来週からさらに物語の意味的な濃度を高めていってもらいたい。

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『わたしを離さないで』第8話
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