カズオ・イシグロ原作のベストセラーを綾瀬はるか主演でドラマ化する『わたしを離さないで』の第6話のレビューです。親友の死と決心が描かれる、第2章の終わりとなるエピソード。もう正直言って、見ているのがいろんな意味で辛くなってきた。
『わたしを離さないで』
出演:綾瀬はるか、三浦春馬、水川あさみ、中井ノエミ
原作:「わたしを離さないで」カズオ・イシグロ
脚本:森下佳子
音楽:やまだ豊
プロデュース: 渡瀬暁彦 飯田和孝
演出:吉田健 山本剛義 平川雄一朗
製作著作:TBS:「わたしを離さないで」公式サイト
第6話 あらすじ
思わず友彦(三浦春馬)に好きだと言ってしまった恭子(綾瀬はるか)。やってしまったと頭を抱える恭子だったが、美和(水川あさみ)の知らないところで友彦と秘密を共有することに内心では興奮していた。
一方、友彦は龍子(伊藤歩)からの手紙によって「陽光出身者で、ある条件を満たせば提供が始まるまで3年間自由に過ごせる“猶予”を得ることが出来る」という噂が本当で、それは絵を描くことでもらえるものだと確信し、恭子との猶予を獲得するため嫌いだった絵を描くことを決意する。
ある日突然、真実(中井ノエミ)が恭子のもとへやって来た。
「恭子の顔を見に来ただけ」と笑う真実だったが、普段との様子の違いに恭子は不安を覚える…。
第6話レビュー
オープニングで真美(中井ノエミ)が死んだことが明かされる。恭子(綾瀬はるか)にとってほとんど唯一の理解者だった真美が死んだ理由と、彼女が死んだことで確実に変わっていく恭子の心情が本エピソードの柱であり、友彦や美和たちとはじめた共同生活を描く第2章の終わりにもなる。
物語はコテージでの生活に時間が戻る。
前話で友彦への想いを初めて言葉で伝えた恭子は、後悔と同時に友彦と秘密を持ったことに不思議な喜びも感じていた。そして友彦は絵を描くことで愛する人ととの猶予生活の権利を受けられると信じ、学苑時代から苦手としていた絵を再び隠れて練習する。その姿を隠れて見ていた美和は、友彦が自分ではなく恭子と猶予生活を送ることを願っていることに気がつく。
一方で地下での人権運動に身を投じていた真美は仲間が事件を起こしてしまったため窮地に陥ってしまう。「誰にでも幸せを追求する権利がある」と信じる真美は、仲間たちが警察に捕まるなかでひとり逃げ出し、ナイフで自分を傷つけ注意を引き街中で演説をする。それは提供者として権力から隠され続けていた声を世間に伝えるための最後の手段だった。「ただ生きたい」という率直な彼女の言葉に耳を傾ける人々だったが、その途中で警察に見つかり自殺することを選ぶ。誰かのために生きることを宿命付けられた生命の意味について訴えたまま、真美は死んでいく。
恭子もまた自分の想いに素直に生きようと決心し、友彦の想いを受け入れようとするも、やはり美和の邪魔が入り断念してしまう。そして真美の死を知ることで、全てが嫌になった恭子はコテージを一人で去る決意を固めるのだった。
第2章の終わりと銘打たれた本エピソードだが、物語の深刻さと視聴者側との温度差がこれまで以上に乖離する内容となっていた。もうここまで来ると明らかに失敗していると言わざるを得ない。とうとう仲間が死に、提供者としての使命が目前と迫った彼ら彼女たちの深刻さが、残念ながら全く感じ取れない。だからもちろん感情移入もできない。ドラマのなかの物語と視聴者側の世界が全く繋がらない。その理由とは前話のレビューでも指摘したが、とにかく細部の演出が酷いことだろう。
例えば絶望する真美が泣きながら想いをたけをぶつけるにせよ、真美の死を知った恭子が涙を流し悲しもうとも何も伝わってこない。きっと泣いている人を映せば悲しさが伝わるとでも思っているのかもしれないが、視聴者はそんな単純な存在ではない。我々がドラマや映画を観てそこで描かれる悲しみに感動するのは、何も泣いている登場人物を見ているからではなく、そこに共感可能な悲しみがしっかりと描かれているからだ。『半沢直樹』が大ヒットした理由とは、そこで描かれた苦悩や怒りが現実世界でも多くの人にとって共感可能なものとして描かれていたからだ。
しかしそれが本作にはない。自分の運命に絶望して命を絶つ真美も、親友の死を聞き涙を流す恭子も、ただ泣き叫び、ただワンワン泣いているだけにしか見えない。「なぜ彼女たちは泣くのか?」という問いに答えるだけの説得力が皆無なのだ。だから登場人物が感情的になって怒り、喚き、叫ぶ理由に共感できず、ひたすら視聴者は置いてけぼりとなる。特にSF設定なら尚のこと、現実には起こらないことでも誰もが経験したことのある感情を共通項として描くことで共感を引き出さなければならないのだがそれがない。ただ画面上で誰かが泣いて悲しんでいる、ただそれだけだ。
このドラマに限ったことではないが、とにかく演出が雑すぎる。シリアスなドラマではコメディ以上に細部のほころびが気になってしまうわけで、警察による学生たちの大捕物シーンや真美の最後など、俳優たちが真面目に演技をすればするほどに白けてしまう。
また室内での撮影シーンも部屋でのカメラ配置を変えた途端にセットが組み直されたことがよくわかるし、そのせいで窓の外の景色が映せなくなり外光で全てが白飛びする調整もとにかく安っぽいので止めたほうがいい。あと『半沢直樹』の影響なのかやたらと人物にカメラがスライドして寄っていく映像もいい加減飽きた。そういうのは「ここぞ!」という時にするもので、なんでもやればいいわけでじゃない。
ヒューマニズムとか生きる意味といった高尚なテーマを描く場合、一歩間違えば製作側の一人よがりの安っぽい説教になりかねない。そうなれば視聴者は確実に離れる。説教するなら説得力が必要なのだが、このドラマは(今の所)にはない。金曜日の夜に誰がそんな薄っぺらい説教に付き合いたいと思うのか。第2章がこれで終わり次から最終章に突入するということなので、どうにか仕切り直してもらいたい。
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