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映画『ハロルドが笑う その日まで』レビュー

ノルウェー映画『ハロルドが笑う その日まで』のレビューです。IKEA創業者の誘拐を決意した小さな家具店主が巻き起こす珍道中を描いたロードムービー。2016年4月16日より恵比寿ガーデンシネマなどでロードーショー。

Original

『ハロルドが笑う その日まで』

日本公開2016年4月16日/ノルウェー/88分

監督:グンナル・ビケネ

脚本:グンナル・ビケネ

出演:ビョルン・スンクェスト、ビヨルン・グラナート、ファンニ・ケッテル

レビュー

ロードムービーには人生に敗れた誰かが必要だ。人生に躓き、傷つき、もう何も失うものがなくなり、街行く人々全員がクソッタレでアホンダラにしか見えなくなり、ここにいる理由さえもなくなった誰かが旅に出ることでロードムービーは成立する。ロードムービーを見るということは旅にでることを追体験するためではなく、その旅の過程で露わになっていく痛みへの共感が常に含まれる。『パリ、テキサス』、『イージー・ライダー』、『イントゥ・ザ・ワイルド』、『ストレイト・ストーリー』、『アリスの恋』、『ミッドナイト・ラン』、、、といった ロードムービーの名作に登場する彼ら彼女たちは、多かれ少なかれ、似たような絶望を抱えている。

北欧の凍るような大地を舞台としたノルウェー映画『ハロルドが笑う その日まで』も、上述したロードムービーの定型に忠実な作品と言える。ユーモアとペーソスに彩られた珍道中、と言ってしまえばそれまでなのだが、日本でもお馴染みとなった人気家具チェーン「IKEA」の創業者イングバル・カンプラード氏を実名で描くというリアリティに寄り添いながらも寓話のような絶望の旅を描いている。

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物語の主人公はハロルド。長年にわたり家具職人として働いてきたハロルドだったが、ある日店のすぐ隣りにスウェーデン企業「IKEA」の大型店が出来てから生活が一変してしまう。店は閉店に追い込まれ、妻も認知症を患った末に「アホンダラ」を最後の言葉にこの世を去ってしまう。

人生に絶望したハロルドは店と一緒に燃えて死んでしまおうとするも、高級家具は燃えるのにスプリンクターが作動してしまい自殺もできない。そんな時に、ハロルドは絶望の張本人であるIKEAの創業者カンプラードを誘拐するという復讐を思いつく。

オンボロ車でスウェーデンで向かったハロルドは途中で訳ありな少女の手助けと偶然のおかげで、カンプラード本人の誘拐に成功するのだが、その行き当たりばったりの計画にはそもそも出口はあるのだろうか?

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冬になると昼間が極端に短くなり雪で覆われる北欧では室内で過ごす時間が長くなる。そのため家に置かれる家具にはそこに暮らす人間の個性が深く関係することになる。毎日一緒に過ごしても飽きない洗練されたデザインと不便を感じない利便性。北欧家具というイメージはその土地と深く結びついており、低価格を売りにするIKEAもまたそのイメージを継承している。一方でIKEAの家具には「一生モノ」としての質実剛健さはない。お笑い芸人がちょっとふざけたくらいで壊れてしまうほどに生産コストを抑え、イメージとしての北欧家具を消費することでIKEAは爆発的に広がっていった。その結果、これまで存在した家具と人との関係性は変化していくことになる。

主人公ハロルドは自分をその変化の被害者だと思っている。そして加害者はIKEAであり、その創業者でもあると思っている。自分の人生をメチャクチャにし、金儲けのために北欧の伝統を消費する男こそがハロルドにとってのカンプラードだった。

しかし実際に誘拐したカンプラードはそんなイメージとは異なりどこにでもいる普通の老人だった。大企業の創業者でありながら倹約家で実利を重んじるリアリスト。それはIKEAの哲学とも重なると同時に、ハロルドが持っている家具観とも大きな隔たりはない。一方で、カンプラードはハロルドとは違い常に革新を求めている。

伝統と品質にこだわってきた家具職人ハロルドと、革新と消費に新たな家具の価値を見出したカンプラード。劇中でカンプラードが語る「椅子に価値があるのではなく、そこに座る人にこそ価値がある」という言葉によって、二人の家具への想い、ひいては人生哲学の差異がよく表れている。家具という同じ出発点を共有しながら、その道中の歩みはまるで正反対のふたり。しかし本作はそんな対照的なふたりが互いに歩み寄ることで理解し合う、というだけの物語でもない。物語の主人公はハロルドなのだが、その物語を通して最も成長したのはハロルドではなく、エバという少女なのかもしれない。

本作はハロルドとカンプラードという正反対の老人ふたりの珍道中を描いているのだが、その道中とはエバというひとりの少女の存在によって成立している。彼女は問題を抱える母親への複雑な感情の中で若くして感情が摩耗してしまっている少女。母親のせいで妙に大人びたところもあれば、逆に子供っぽいところもある。そんな彼女の不安定さを通して物語は展開していき、カンプラード誘拐という計画も、エバの軽い賛同がなければハロルドが実行していたか怪しいくらいだ。

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ハロルドの誘拐計画にはそもそも出口がなかった。憎きカンプラードを誘拐して、どうするつもりだったのか? 身代金目的でもなく、暗殺目的でもない、そもそもが誘拐することだけが目的の、理由なき誘拐だった。誘拐とは目的を達成するための手段であるはずなのに、ハロルドにとっては誘拐が目的となっていた。本作を貫くユーモアの源泉とはこの修辞的な矛盾にある。

そんな行き当たりばったりの誘拐騒動も、エバにとっては意味があったのかもしれない。失った 過去を忘れられないハロルドも、過去の過ちを今でもネチっこくメディアから突かれることにうんざりするカンプラード。性格が正反対のふたりも、過去にとらわれ今を生きる大切な存在に無関心であるということでは同じなのだが、唯一若いエバだけは自分のことは後まわしにして、母を想い、融通の利かない老人ふたりの珍道中に付き合っている。劇中ではそんなワガママな老人にブチギレたりもするのだが、誰かを必要とする彼女の孤独に触れることで、ハロルドは自分の姿を省みることになる。

そして彼女が存在することで、そもそも出口のなかった誘拐計画にも、価値が生まれることになる。

馬鹿げた誘拐計画を描くということで、物語の展開に強引さが目立つのも事実だが、本作は寓話として観るべきで、その限りにおいて『ハロルドが笑う その日まで』というタイトルの意味がラストにじんわりと染み込んでくる。

確かに世界の半分はクソッタレで、残りの半分もアホンダラだらけなのかもしれないが、もしハロルドが笑うことができるのなら、それはそれでなかなか楽しい世界なのかもしれない。

『ハロルドが笑う その日まで』:

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ハロルド ポスタービジュアル

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ハロルドが笑う その日まで
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