『沈黙 -サイレンス-』マーティン・スコセッシ監督来日会見レポート「この映画と共に生きていく。」

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『沈黙 -サイレンス-』マーティン・スコセッシ監督来日会見

2017年1月21日に公開が迫った『沈黙 -サイレンス-』のジャパンプレミア(1/17)に合わせて来日したマーティン・スコセッシ監督が会見に登場。監督にとって長年の夢だった本作への思いを語ってくれました。

スコセッシ監督は、「積年の思いでようやく完成したこの作品を、日本の皆さんに受け入れてもらえて本当に嬉しく、夢がかなったという気持ちです」と挨拶。「どう作るべきか、どう解釈するべきか、試行錯誤の旅だった。映画が完成したから終わりではなく、この映画とともに生きていく感覚だ」と語った。

そして本作を携えて行われたローマ法王の下での特別試写について「法王が観てくれたかどうかは確認できないが、聖職者に対する試写を行い、有意義な対話ができた。アジアの神父から、隠れキリシタンに行われた拷問は確かに暴力だが、普遍的かつ唯一の真実というキリスト教を持ち込んだことが暴力ではないか、という意見ももらった」と答えた。「宣教師の傲慢さを一つずつ崩して行った。だから単に信者を弾圧するのではなく、リーダーにプレッシャーを与えて上から崩して行くという手法を取ったのではないか。映画の中でもロドリゴが踏絵を踏めば、彼の傲慢が崩されます。そこで彼の誤ったキリスト教の考えが覆され、自分を一度空っぽにして自分は仕える人になり、ロドリゴは真のクリスチャンになりえた」と真の信仰のあり方についても言及した。

またトランプ大統領誕生など激動の2017年に始まりに映画が公開される意味について、「弱さや懐疑心を描いた作品だから、そういうテーマ(問題)を抱えた人に伝わればいい。また、否定ではなく受け入れる事を描いた作品でもあり、特にキチジローは『弱き者の生きる場はどこに?』と問いかけます。弱者を排除しない世界、人が人として生きる真価とは何かを考えることでもあります」と、本作の根底にあるテーマを説明。「社会において誰もがバットを振り回すような強き者である必要はなく、(弱者を排除することが)文明を維持していく手段ではないはず。社会からはじかれたのけ者を、人として知ろうとすること。それは個人から始まることです。」と力を込めた。「新約聖書で私が好きな要素なのですが、キリストは常に卑しい人々と共にいた。取り立て屋や売春婦などの”けがらわしい”とされる人々をキリストは受け入れていました。神聖になる要素を彼らの中に見出していたのです今、最も危険にさらされているのは若い世代の人々です。勝者が歴史を勝ち取り世界を制覇するところしか見ていません。世界がそうやって動いて行くと思ってしまうのは本当に危険なこと。現代は物質的な世界になっているが、その世界においてこそ、人が何かを信じたいと思う心について考えるというのは大切なことです。西洋世界では、こういった事を真剣に考えない風潮で少し小ばかにするような空気があります。昔から西洋の世界でできた宗教的基盤を作り上げた基盤が、今革新を遂げているような気がします。大きな変革の最中にあるのだと思います」と、キリスト教が持ち込まれ社会が徐々に変容しつつあった当時に日本と現代との関連性を指摘した。

遠藤周作の原作小説を『タクシー・ドライバー』のマーティン・スコセッシ監督が映画化する『沈黙 -サイレンス-』はキリシタン弾圧下だった長崎の舞台。日本で捕えられ棄教したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。想像を絶する弾圧に驚愕しつつ、「隠れキリシタン」らとの出会うも、やがてロドリゴもまた囚われの身になり、生きるためには信仰を捨てることを迫られる。

主演のロドリゴ演じるアンドリュー・ガーフィールドをはじめ、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソンとハリウッドの一級俳優が名を連ね、日本からは窪塚洋介、浅野忠信、イッセー尾形、塚本晋也、小松菜奈、加瀬亮、笈田ヨシら幅広い世代の実力派が参加。

なぜ神は沈黙するのか?

日米最高のスタッフとキャストで贈る『沈黙 -サイレンス-』は2017年1月21日より全国ロードショー。

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