伝記映画とは、、、『スティーブ・ジョブズ』である。ダニー・ボイル監督、アーロン・ソーキン脚本、マイケル・ファスベンダー主演で再現される稀代のカリスマ経営者の波乱の人生を、アップルの3つの製品発表の舞台裏を通して描く異色伝記映画。
『スティーブ・ジョブズ/Steve Jobs』
全米公開2015年10月9日/日本公開2016年2月12日/伝記映画/122分
監督:ダニー・ボイル
脚本:アーロン・ソーキン
出演:マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズほか
作品解説
「スラムドッグ$ミリオネア」のオスカー監督ダニー・ボイルが、アップル社の共同設立者スティーブ・ジョブズの生き様を描いた伝記ドラマ。ジョブズ本人や家族、関係者へのインタビューを中心に執筆された伝記作家ウォルター・アイザックソンによるベストセラー「スティーブ・ジョブズ」をもとに、「ソーシャル・ネットワーク」でアカデミー脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンが脚本を担当。1984年のMacintosh、88年のNeXT Cube、98年のiMacというジョブズの人生の中で最も波乱に満ちていた時期に行なわれた3つの新作発表会にスポットを当て、人々を魅了した伝説のプレゼンテーションの舞台裏を通し、信念を貫き通そうとする姿や、卓越したビジネスセンスを浮かび上がらせていく。さらに娘リサとの確執と和解といったエピソードも盛り込み、ジョブズの素顔を浮き彫りにする。
レビュー|伝記映画とは、、、『スティーブ・ジョブズ』である
伝記映画とは、映画のジャンルであって明確な定義があるものではない。主に歴史上の偉人や実在の人物を題材にした物語のことを指す。映画の世界において、早い段階からひとつのジャンルとして人気を博し、1930年代から『巨星ジーグフェルド』や『ゾラの生涯』といった伝記映画がアカデミー賞を受賞している。最近でもその傾向は変わらず、伝記映画はアカデミー賞によくノミネートされるし、伝記映画のひとつの要素である実際の出来事を描いた作品となるとさらにその数は多くなる。しかしそれらは必ずしも事実のみを描いているのではない。なかには事実関係に誤認があるとクレームが付く作品も少なくないが、それでも映画であることに変わりない。映画とは誰かが誰かを演じ、誰かが誰かを描く以上、それは創作と言える。伝記映画は記録映画ではないのだ。
伝記映画とは、一部の例外を除き、もう自分を語ることができない誰かについて語ることと言える。「語る」という行為は映画においては創作に他ならず、その意味において、伝記映画とは「もう自分を語ることができない誰か」を創作することだ。正確には「re-create/再創作」することと言える。そのために同じ人生をそっくりそのまま語り直す必要があるわけではない。必要なのはその「誰か」を再創作することであり、その「誰か」を再創作する値のある存在へと至らしめた、その「誰か」の資質や特性を抽出することだ。その点において2013年にアシュトン・カッチャー主演の同名映画は話にならなかった。再創作する意思をそもそも持たず、可能な限り記録映画に近づけようとした結果、スティーブ・ジョブズという「誰か」の資質や特性を退屈なものへと貶めた。そういった失敗例との比較においても本作の『スティーブ・ジョブズ』は素晴らしかった。
伝記映画とは、語ろうとする「誰か」をどのようにして語るのか、という方法論が重要になる。本作はジョブズと娘リサとの関係を大きな縦軸として、3つの幕に分けられている。ひとつは1984年のMachintosh発表会直前の舞台裏、そして1988年のNeXT Cube発表会直前の舞台裏、最後は1998年のiMac発表会直前の舞台裏。ジョブズとアップルの関係において重要な3つの出来事の直前を、ほとんど長回しのような同じ時間感覚で描いている。つまりスティーブ・ジョブズという人物を120分の映画のなかで、120分間の出来事を通して描いているのだ。しかも本編は一見するとひたすら不毛な口喧嘩にも見える。しかしその会話の細部からスティーブ・ジョブズという人間像が徐々に立体化し、現実感を帯びてくるようになる。アーロン・ソーキンのアカデミー賞級の脚本は190ページにも及び、一般的に1ページ1分という法則をほとんど無視するように本編は120分に収まっていることからも、どれだけの多くの会話が費やされているのか想像できるだろう。
伝記映画とは、ほとんどが脚本に依存していることが『スティーブ・ジョブズ』を通してよくわかる。『ソーシャル・ネットワーク』ではデヴィッド・フィンチャー監督の映像美学がアーロン・ソーキンの脚本の妙と同じ存在感で並走していた印象だが、本作『スティーブ・ジョブズ』ではダニー・ボイル監督の演出は驚くほどに無個性で、ほとんどが脚本通りに進行していることが実物を読めばよくわかる。遅ればせながら本作を通してダニー・ボイルとは実は脚本や原作によって演出をカメレオンのように変える監督だと思い知った。『スラムドッグ$ミリオネア』のコテコテさとはインドのそれであってダニー・ボイルの個性ではなく、『トレインスポッティング』のトランス描写も然りなのだ。しかしだからと言って彼が何もしていないということではない。3つの幕ごとに16mmフィルム、35mmフィルム、そしてデジタル撮影とフォーマットを変えたことや、音楽の使い方、そして入れ替わり現れる人物たちの表情の変化などなど、脚本の魅力を最大限に引き出すことを最優先する「無個性」な演出は、物語とは別の次元で、感動をもたらすほどだ。
伝記映画とは、誰かを讃えるためのものでも崇めるためのものでもない。本作において観客がどれだけスティーブ・ジョブズという人物について知っているのかというのは重要な問題ではない。あなたがアップル信者であろうとなかろうと、そこに描かれている「スティーブ・ジョブズ」の価値は変わることはない。もちろん本作に登場する主要キャラクター、特にスティーブ・ウォズニアックやジョン・スカリーといった有名人について前もって知っていることに損はない。それでも本作は『スティーブ・ジョブズ』であって、他の誰かについての物語ではない。彼らはあくまで「道具」である。オーケストラの一員であるに過ぎず、指揮者ではない。そして本作には誰かか信じる「スティーブ・ジョブズ」が描かれるわけでも、神様仏様ジョブズ様な「スティーブ・ジョブズ」が描かれるわけでもない。この映画を製作した人々が映画化したいと願った「ステゥーブ・ジョブズ」の資質や特長を、彼が実際に関わったエピソードを効果的につなぎ合わせることで、120分という映画の枠内で表現することを目的とした作品なのだ。その意味において、本作はパーフェクトだ。
伝記映画とは、という定義をここまで斬新に表現し尽くした伝記映画は他に知らない。『ソーシャル・ネットワーク』という今生きている人物を描いた作品とは違い、もう自分を語ることができないスティーブ・ジョブズという過去の存在を、これほどまでに鮮やかに蘇らせたことは特筆に価する。そこに血が通い、そこに怒りや当惑や優しさといった人間としての普通の感情が脈を 打っているのがはっきりと感じられる。確かにマイケル・ファスベンダーは実際のスティーブ・ジョブズとは似ても似つかないのだが、それでも似ていなくもないアシュトン・カッチャーがただのモノマネだとするのなら、マイケル・ファスベンダーはもうここにはいないスティーブ・ジョブズを再創作することに成功していた。それは最高の脚本と最高の監督と同様に本作の重要なピースのはずだ。主演が似ているとか、事実であるとかないとか、そんなことは伝記映画の必要事項には入らないのだ。
伝記映画とは、『スティーブ・ジョブズ』である。その定義や意義や方法論全てが本作に詰まっている。これは本当に素晴らしかった。
『スティーブ・ジョブズ』:
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ということで『スティーブ・ジョブズ』のレビューでした。いやー、本当に素晴らしかったです。2016年早々(実際は2015年末に観ていますが、、)、本年度のベスト候補を紹介してしまった気分です。ぼくは別にアップル信者でもジョブズファンでもないですが、見終わった後、ちょっと動けなくなりました。すげー、この映画、すげー、とずいぶん頭の悪い感想しかすぐには思い浮かびませんでした。公式に本作の脚本が公開されていますが、それを読んでまた、すげー、この脚本、すげー、となってしまいました。リンク先を後でご紹介しますが、是非とも鑑賞後に読むようにしてください。特に会話量が膨大なため日本語字幕でご覧になる場合は復習教材として活用できるかと思います。とにかくすごい一作。そしてちゃんと感動しますよ。絶対にオススメです。以上。
アーロン・ソーキン作『スティーブ・ジョブズ』脚本はここをクリック
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