トロント国際映画祭の最高賞である観客賞を受賞した『ルーム』のレビューです。父親によって24年間も地下室に監禁されたフリッツル事件から発想を得た小説『部屋』の映画化作品。監禁状態で生まれ育った少年と母はやがて外の世界へ脱出するも、そこには新たな苦悩が待っていた。
『ルーム/Room』
全米公開2015年10月16日/日本公開2016年4月8日/ドラマ/117分
監督:レニー・アブラハムソン
脚本:エマ・ドナヒュー
出演:ブリー・ラーソン、ジェイコブ・トレンブレイ、ジョアン・アレンほか
作品解説
エマ・ドナヒューのベストセラー小説「部屋」を映画化。監禁された女性と、そこで生まれ育った息子が、長らく断絶されていた外界へと脱出し、社会へ適応していく過程で生じる葛藤や苦悩を描いたドラマ。7年前から施錠された部屋に監禁されている女性と、彼女がそこで出産し、外の世界を知らずに育った5歳の息子ジャック。部屋しか知らない息子に外の世界を教えるため、自らの奪われた人生を取り戻すため、女性は全てをかけて脱出するが……。
レビュー
5才の少年ジャックは、生まれてこのかた、外の世界を知らずに母親とテレビだけの小さな地下室のなかで過ごしている。壁の外には何もないと教えられた。母親から言葉や文字を習うも、この部屋の外には何もないと教わっている。それでもジャックは外の世界をどこかで感じ取っている。迷い込んできたネズミ、吹き込んでくるわずかな風、そして時々やってきては母親をいじめる男。
本作『ルーム』はエマ・ドナヒューのベストセラー小説『部屋』を原作としている。2008年にオーストリアで発覚した24年間にもわたる女性とその子供達の監禁事件「フリッツル事件」を題材とした小説で、ある女性が誘拐そして監禁され、そこで子供を産み育て、そしてやがては外の世界へと脱出していくという物語。
この小説がベストセラーとなりブッカー賞の候補作までに評価された理由とは、物語が母親ではなく外の世界を一度も見たことがない少年の視点で語られることと、監禁からの脱出という流れが全てはなく、囚われた部屋から外の世界に脱出しても「こころの部屋」からは簡単に脱出できない苦悩を描いたことにある。
そしてその映画化となった『ルーム』は原作に忠実な作品だった。
物語は監禁生活と、そこからの脱出後の2幕に分かれている。ブリー・ラーソン演じる若い囚われの母親と、狭い部屋しか知らない少年ジャックによるたった二人の半径3mの世界。絶望の中でも親子二人は日々の生活のなかから溢れるわずかな喜びにすがって生きている。それでもジャックは日に日に知力を付け、疑問というものを持つようになる。ふたりが暮らす小さな世界と、テレビに映る大きな世界。母親の説明では、外の世界は存在せずにテレビの世界もまた空想上のものでしかないという。母親しか頼る存在のないジャックにとって彼女の言葉を信じる以外の経験はない。それでもどこかで、何かがおかしいと感じているようだ。言葉にはできない矛盾をジャックは苛立ちという態度で表現していく。
そして状況は突然変わる。母親は生きるためにもここから脱出しなければならないことを知り、決断するのだ。
物語の核心とは監禁生活から脱出した後にある。
ふたりはとうとう外の世界へと脱出することに成功する。正確にはジャックが外の世界を知ることになる。狭いこれまで地下室から、ジャックは社会という本当の世界の存在を実感することになる。
原作小説はこのジャックによる一人称で書かれた物語だったが、映画という特定の人称表現が難しいなかにあって、本作では重要なシーンでは必ずジャック的な視点が用いられている。これまで半径3mほどの世界に過ごしたジャックにとって遠くにあるものを見た経験はない。常に薄暗い部屋のなか、わずかな光をもと手で届く範囲のものしか目に入らなかった。
カメラで言えば光が足りないせいで露出を解放まで開け、フォーカスを近くに設定しているのと同じだ。つまり被写界深度は極端に浅くなり、フォーカス外の景色はすべてぼやてしまう。これはジャックが見た外の世界でもあった。そして母親以外に動くものを知らなかったジャックにとって、何かを見ようとしてもその動きを予測することもできず、精度の低いオートフォーカスのようにピントは外れていく。これが最初にジャックが見た世界だった。そこに存在するものを確かに感知することのできないジャックの不安が一連のカメラワークによって見事に描かれている。
それでもジャックは生まれたての子供のような吸収力で世界を実感していく。目は慣れ、階段の上り下りもできるようになり、徐々に母親以外の人間とも会話するようになる。
一方でこの物語のもうひとりの主人公であるジャックの母親は、失われた7年間という時間に重さに苦しむことになる。周囲は誘拐犯の子供を産み育て、7年間も閉じ込められたままだった彼女に余計な詮索まで行う。生まれてからずっと部屋のなかで過ごしたジャックにとって「部屋」とは世界そのものだったが、母親は広い世界から「部屋」に閉じ込められたのだった。そして彼女自身だけでなく、彼女のこころもまた「部屋」に閉じ込められていた。例え部屋から解放されたとしても、こころの「部屋」の鍵は閉められたままだった。
物語は少年が狭い部屋から広い世界へと実感を広げていく過程と、その母親が広い世界のなかで徐々にまた狭い部屋へと押し戻されていく苦悩を同じ状況の下で描いている。同じ経験をした親子でありながら、世界が全く違って見えるその苛酷さが物語の核心といえる。
本編の後半、親子は一時的に離れ離れになる。初めて母親から離れたジャックが、ある特別な一言を発することで、彼は新しい世界のなかで成長し、これまで守り続けてきてくれた母親を今度は自分が守ることになる。これは少年にとって自覚的なことではなかったのかもしれない。しかし母親は救われるのだ。
たった一言の他愛のない言葉が救える世界あるのだ。中盤に訪れる監禁生活からの解放という感動と、ラストに訪れる静かな感動の種類の違いにこそ親子の関係が凝縮されているように思えた。
監禁や誘拐、という言葉から連想するグロテスクなテーマは一切含まれず、親子という自然な関係がもたらすお互いの労りに満ちたこころに染みる秀作だった。
『ルーム』:
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ということで『ルーム』のレビューでした。主演のブリー・ラーソンと、息子ジャックを演じたジェイコブ・トレンブレイ君の特殊ながらも等身大な演技が余計に胸を打ちます。トロント国際映画祭の観客賞は伊達ではありません。これも今年の賞レースに関係してくる作品で、特にブリー・ラーソンは本作から一気に飛躍しそうな気配です。これも遠慮なくオススメできる一作です。以上。
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