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映画ジャーナル<ビーグル・ザ・ムービー>

山形映画祭大賞受賞作『我々のものではない世界/A World Not Ours』レビュー

山形国際ドキュメンタリー映画祭も10月17日に各賞受賞作の上映をもって、すべての上映スケジュールを終えて閉幕します。それに伴い、2013年度映画祭の各賞が発表されました。今回はそのなかで最高賞のインターナショナル・コンペティションの大賞にあたるロバート&フランシス・フラハティ賞を受賞した『我々のものではない世界』のレビューをお送りします。

マハディ・フレフェル監督(左)、山形映画祭

マハディ・フレフェル監督(左)、山形映画祭

 ストーリー

レバノンのパレスティナ人難民キャンプに生まれ、現在はデンマークに暮らすパレスティア人監督。幼少の頃に外国で暮らすようになった監督の家族は、レバノンに暮らす親戚と互いの生活を教えるためにビデオを頻繁に撮影していた。その役割はやがて彼の父から、彼自身が休暇になると故郷を訪れ撮影して、自身の家族に見せるという風になっていく。

難民キャンプに一人で暮らす老いた祖父、そして親戚や友人。彼らすべてがそれぞれの形で言いようのない鬱屈感を溜め込み、パレスティナの未来に、そして自分自身の未来に、希望を持ちつつも絶望している姿。家族のために撮られた記録映像はやがて、現在のパレスティナの、変質する問題の本質を映すようになっていた。
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レビュー

これまでもパレスティナ問題はドキュメンタリーの分野で多く語られる素材のひとつであった。まず鮮明な対立軸があり複雑に絡み合った歴史とその解釈があり、そして何より紛争における圧倒的弱者からの視点がメディアに解放されているという状況がある。そしてそれらの要素が、ほとんどハリウッドにおける低予算ホラー映画や香港クンフー映画と同様に、ドキュメンタリーというフォーマットにおいてパレスティア問題のジャンル化を招いていると言ってもよさそうだ。同じようなテーマに同じような取材対象、先行する作品と差別化を図るため複雑になる方法論。“パレスティナ”“ドキュメンタリー”と検索すれば様々な映像にぶちあたる。率直に言ってその全てに映画としての見る価値があるのか疑問だ。

『我々のものではない世界』の監督にして語り手は典型的なパレスティナ人である。現在のパレスティナのアイデンティティが“土地を追われた”ことに由来する以上、彼が国籍上はヨーロッパに属し流暢な英語が話せようとも、実質的には何も変わらない。本作はパレスティナ人によってパレスティナを描いたありふれた個人的記録であり、陽気なオールドジャズをBGMとしたひとつの家族とその周辺の記録である。カメラの目の前を銃弾が通過することはないし、誰も目の前で撃ち殺されない。そういった意味では本作は方法論的な冒険をほとんど求めていない。もし仮にこの作品が上述の通りジャンル映画の枠内に収まっているのなら退屈きわまりないはずだ。それでもちょうど90分に収めれた作品に既視感は感じない。

パレスティナ問題とは常に政治的な問題である。政治的な災難であり、政治的解決しか望めない問題である。それはおそらく間違いない。しかしだからと言ってパレスティナ人が抱えている問題全てが政治的な訳ではないし、もし仮に政治的な決着をみたとしてもパレスティナ問題の全てが解決される訳ではない。もはやパレスティナ問題はただの領土問題ではなく、“老人が死に、若者が忘れる”ことで闘争の根拠を失う虚無感こそがパレスティナ問題の本質となっていることが本作では描かれている。誰もが苛立ちながら何に苛立っているのかはっきりとしない。本作が先行するパレスティナを題材とした映画、例えば先日ここでも紹介した『壊された5つのカメラ』などとは違って見えるのは、もはや反ユダヤ主義という姿勢だけではパレスティナを肯定できなくなっている姿がはっきりと映し出されていることにある。

途中に何度かカットバックされる空を舞う鳥たちの姿が印象的だった。彼らはどこかへ飛び立ちたいのか、それとも故郷へ戻りたいのか、両方の解釈が現在のパレスティナを引き裂いているように思えた。

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マハディ・フレフェル監督(左)、山形2

マハディ・フレフェル監督(左)、山形2

実は本作は今回の上映回分では観ることは出来なかったのですが、運良く映画祭前に観る機会がありました。また監督であるマハディ・フレフェル氏の話も聞くことができました。本作の後日単としては、彼の友人であり、本作の象徴的な登場人物でもあるアブ・イヤドは現在、ドイツのベルリンに暮らしているそうです。仕事もなかなか見つからない状況であるのは変わりませんが、ドイツとレバノンの間には難民引き渡し条約が結ばれていないため強制的にレバノンに送還される心配はないそうで、今後10年か12年ほどすればドイツの市民権も獲得することも夢ではないと語っていました。

派手な主張も実験もない、静かで内的で染みるような、秀作です。

 

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