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ドキュメンタリー映画『ミルピエ パリ・オペラ座に挑んだ男』レビュー

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映画『ブラック・スワン』の振付師で、ナタリー・ポートマンの夫でもあるバンジャマン・ミルピエに迫ったドキュメンタリー『ミルピエ パリ・オペラ座に挑んだ男』のレビューです。パリ・オペラ座バレエ団の芸術監督に史上最年少の若さで抜擢されたミルピエが、革新的な新作演目を通して伝統と格式に挑む。

『ミルピエ パリ・オペラ座に挑んだ男』

日本公開2016年12月23日/ドキュメンタリー/114分

監督:ティエリー・デメジエール、アルバン・トゥルレー

出演:バンジャマン・ミルピエ

レビュー

正直に打ち明けると、バレエに興味はないし、ちゃんと観劇した経験もない。バンジャマン・ミルピエという名前も彼が『ブラック・スワン』の劇中振り付けを担当し、それがきっかけとなり主演女優のナタリー・ポートマンと結婚したという経緯があって初めて知ったくらい。だからと言って彼の仕事ぶりを調べようとも思わなかったし、広告マンがモデルに手を出したみたいなもんだろう、くらいにしか思っていなかった。

そして本作『ミルピエ パリ・オペラ座に挑んだ男』を観て、とても低い次元で勝手にミルピエという男を評価していた自分を殺したくなると同時に、なぜ『ブラック・スワン』の振り付けを彼が担当し、そしてなぜナタリー・ポートマンは彼に惚れたのかということの全てが分かってしまった。

ミルピエ、とにかくいい男なのだ。

本作は史上最年少でパリ・オペラ座の芸術監督に抜擢されたバンジャマン・ミルピエが、次世代の若手ダンサーたちと試行錯誤を重ねながら新作「クリア、ラウド、ブライト、フォワード」の完成を目指す40日間を追ったドキュメンタリー。カウントダウン形式で公演初日までの狂騒めいた現場を写しだす。そして映画自体が、ミルピエの感性と同調するように、大胆な編集とスタイリッシュな映像で構成されており、イメージとしての「格式高いバレエ」という敷居は全くない。

「バレエ」という文脈をごっそり省略してミルピエという男を表現すれば、非常に現代的であり革新的であり、そしてその両者を受け入れない旧世界に対して挑戦を止めない正直な人間ということになるだろうか。「階級制は萎縮しか生まない」「指示に従うだけでは置物と同じ」「肌の色なんて関係ない」「自分の体を第一にすること」、、、こういった表現は現実世界では正論だ。しかしそれが伝統と格式を重んじる世界となれば、そう簡単には正論として浸透するわけではない。険しい階級制によって維持されてきた質。厳しい指導によって得られる統率。観客がバレエに集中できる配慮としての白人重用。一人よりも全体を優先することで保たれる公演の価値。ミルピエのアメリカ的な自由な発想は、こういったパリ・オペラ座の伝統とことごとく対立することになる。

しかしそこはパリ。自由、平等、友愛というスローガンはオペラ座でも有効なはずで、オペラ座の伝統と格式が現実世界の変化に付いていけなくなったことが隠せなくなったから、その伝統とは無縁だったミルピエが、軋轢を承知で、芸術監督に抜擢されたのだろう。

この流れは「革命」のそれと同じで、場所柄、フランス革命を強く想起させる。啓蒙思想の広がり。海の向こうでは自由と平等を掲げたアメリカが独立を実現。一方で当時のフランスはアンシャン・レジームと呼ばれる強固な旧支配体制が敷かれ、身分は徹底的に階級化されていた。そんななか宮廷の放蕩が財政を悪化させ、国中に革命の機運が高まっていく。

フランス革命前夜とは、ミルピエ以前のパリ・オペラ座と似ている。アンシャン・レジーム、つまり旧態依然としたオペラ座が軋む音を無視できなくなったのだろう。ミルピエが抜擢された理由とは、アメリカの自由な空気を存分に吸い込み、幼少はアフリカの旧植民地で過ごし、そして予算を引っ張ってこれる人材として、パリ・オペラ座が現代ゆえに抱えることになった様々な問題を一挙に解決出来る可能性を彼に求めたからに他ならない。

しかし、だからと言って全ての関係者が革命を望んでいる訳ではない。そしてミルピエも自分を革命家だとは認識していない。あくまで当たり前のことをしているだけで、それが啓蒙だとか煽動だとか、そんな意識はまるっきりなかったはずだ。

彼にのしかかるプレッシャーは想像を絶する。バレエについてチンプンカンプンでもそれくらいは想像できる。そしてそんな日々をカメラは常に追いかける。こういったドキュメンタリーでは被写体の多くは、プレッシャーに押しつぶされそうになる理由をカメラの存在に求める。カメラが邪魔だと言って睨みつける。手でレンズを隠す。ディレクターに毒づく。『情熱大陸』でもおなじみだ。しかしミルピエはそんな態度はまったく見せない。芸術監督と振付師という二足のわらじから、分刻みのスケジュールを強制されようが、緊張しているマネージャーの表情とは逆に、いつも和かで冗談まで言う。メンバーが怪我で練習から抜けても、公演の可否よりも彼女の体を心配し決して誰も批判することはない。うまくいかなくても声を荒げて恐怖によってメンバーをコントロールしようとはしない。何が上手くいっていないのか、自分が実際に踊ることで実例を示してみせる。

もし革命という目的が彼にあったのなら、こんないい男のままでいられるはずがない。旧体制との闘争だったのなら、公演を是が非でも成功させなければならず、時に自分の哲学や良心と対立するはずだ。彼が求めたこととは大きな変革ではなかった。公演の成功とは観客がただ喜ぶだけではなく、作り手の全員に等しい愛情と敬意を示すことで実現するという彼の哲学に従ったまでだ。きっと日本のアニメーターや残業だらけのサラリーマンが見たら、心底羨ましく思えるだろう。

とにかくスーパーいい男であり、スーパーいい上司なのだ。そりゃ、ナタリー・ポートマンも惚れる。

バレエについてはよくわからないし、本当にパリ・オペラ座がそれほどまでに旧態依然とした組織なのかも判断できない。それでも本作はひとりの男が自分の良心を信じて大きな壁に挑む挑戦の記録としては、誰の鑑賞にも耐えられるほどに濃密な日々を映している。

本作のエピローグとしてバンジャマン・ミルピエは2016年2月、パリ・オペラ座の芸術監督は辞任した。本作で登場するオペラ座批判とも取れる彼の発言も組織内部での反発を生んだ一因と言わる。メディアは彼の改革を好意的に報じていたようだが、映像には登場しなくとも組織内部では彼を快く思わない人々がたくさんいたのだろう。

しかしこれはミルピエにとっても、そしてオペラ座にとっても悪い結果ではなかったのかもしれない。性急すぎる革命があまりいい結果を生み出さないことは歴史が証明している。フランス革命だってはっきりいってヒドいものだった。

確かに「ミルピエの抜擢よるオペラ座の改革」は失敗したのかもしれないが、それは決してオペラ座が変わらないという意味でもない。そしていつかオペラ座が現代と違和感なく共存するレールに乗ったとき、ミルピエがもたらした功績は再評価されるだろう。ミルピエは将来のために去った。シェーンが「カムバーック!」と呼び止められても振り向かなかったのと同じように、いい男というのは引き際を心得ている。

バレエを知らなくても、いい男の条件を知りたい全ての人にオススメします。ただしそれを知ったからといっていい男になれるわけではないのが悲しいです。という訳でそそくさと締めます。おすすめです。

『ミルピエ パリ・オペラ座に挑んだ男』:

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ミルピエ パリ・オペラ座に挑んだ男
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