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映画ジャーナル<ビーグル・ザ・ムービー>

映画レビュー|『マギー』-新境地であるも新しくないゾンビ映画

アーノルド・シュワルツェネッガー主演のゾンビ映画『マギー』のレビューです。筋肉でゾンビをなぎ倒していく作品かと思いきや、ウィルスに感染し、やがてはゾンビとなってしまう娘マギーを見守る父親シュワルツェネッガーの心模様を描きた異色作。愛する者がゾンビとなってしまったら、あなたはどうしますか?

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『マギー/Maggie』

全米公開2015年5月8日/日本公開2016年2月6日/アメリカ映画/95分

監督:ヘンリー・ホブソン

脚本:ジョン・スコット・3

出演:アーノルド・シュワルツェネッガー、アビゲイル・ブレスリン、ジョエリー・リチャードソン他

あらすじ

世界中に謎のウィルスが蔓延。結果、多くの人がゾンビと化して世界は荒廃していった。感染者は徐々に人間性を失い、やがては完全に意識を失い、人さえも食べようとしてしまう。そのため末期症状が現れた感染者は隔離施設に集められていた。

ウェイド(アーノルド・シュワルツェネッガー)は娘のマギー(アビゲイル・ブレスリン)を探していた。そして2週間もの捜索の末、彼女が病院に収容されていることを知る。ゾンビに腕を噛まれて感染していたマギーをウェイドは自宅に連れ帰る。

いつか、しかし確実に訪れる娘マギーのゾンビ化。治療法はもちろん、進行を止める手立てもない状況の中、マギーの病状は少しずつ悪化していく。

そして父ウェイドはただ彼女に寄り添うのだった。

レビュー

新境地であるが、新しさはないゾンビ映画:

アーノルド・シュワルツェネッガーがアクションを完全に封印し、ゾンビと化してしまう娘に寄り添う父親を演じた本作『マギー』は、彼の新境地であると同時に、これまで全てを筋肉で解決してきたシュワルツェネッガーだからこそ浮き立つ絶望的な無力感が描かれた作品となった。また2009年の『ゾンビランド』ではゾンビに噛まれたと偽証したアビゲイル・ブレスリンが、本作では実際にゾンビウィルスに感染した少女を演じていることからも、意図してメタ的な配役が行われている。

愛する者がやがては人間性を失うことを知った時、人はどう行動するのか。

本作はもちろんゾンビ映画であるが、人がゾンビになってしまうという事態を、ひとつのメタファーとして物語を進めようとする。この試みそのものは伝統的なゾンビ映画の方法論であるのだが、果たして本作にはゾンビで語ることの必然性はあったのだろうか。

乱暴に要約すれば本作でのゾンビウィルスとは、確率論的に必ず誰かの身に振りかかる理不尽な不治の病に他ならない。もちろんゾンビとなれば関係のない人々にも危険を及ぼす可能性が高くなるという違いはあるが、例えば狂犬病とは何も変わらない。ロメロが「ゾンビ」を通して描こうとした同時代的な社会の閉塞感や同調圧力とは違って、本作には「ゾンビ」でしか描けないような対象は登場しない。そこに描かれる父親の苦悩とは、これまでも様々な形で描かれてきており、特に難病モノ作品に登場するものとほとんど同じとなっている。

ゾンビの面を借りた難病モノ映画なのだ。

おそらくは近年世界中で乱発される「レトロでファニー」なゾンビ映画へのアンチテーゼとして、「リアルでデッドエンド」なゾンビを描こうとしたのだろうが、新しいのは出演者のフィルモグラフィー上での比較においてだけで、内容そのものに新鮮さは全くなかった。

95分という時間が嘘のように長く感じる展開や、キャラクター設定の甘さ、また映像に関しても曰くありげなアイテムをまるで物語の象徴のようにやたらと映してしてくるのも鬱陶しい。物語の象徴は観客が見つけ出すもので、スクリーンから押し付けられるものではない。全体としては退屈な映画である。最近の「エクスペンダブルズ」的なものを過剰に祭り上げる傾向を持ってしても、本作は退屈だった。

それでもやはり主演のアーノルド・シュワルツェネッガーの新境地であることは間違いない。「エクスペンダブルズ」で描かれたような過去の筋肉映画への自虐と皮肉から一歩踏み込んで、過去には全て筋肉で解決してきた彼が力ではどうにもでも出来ない事態と遭遇した時の全くの無力感は、他の俳優には演じきれない深みがあった。またアビゲイル・ブレスリンも「難病患者」の 苦悩を反抗期の少女と合わせてうまく演じていた。

しかしそれだけの作品ともいえ、設定やキャスティングの意図とは反して、ラストを含めて物語全体に真新しさを全く感じない。

「ゾンビ」の消耗も著しい。

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ということで『マギー』のレビューでした。ホラーのようなドラマ映画を目指したのでしょうが、結局はどちらにも行きつけなかった印象です。その象徴が幕の閉じ方で、ドラマ映画としてうまく着地しようとした結果、それはただの「逃げ」にしか思えませんでした。素材やキャスティングは期待できただけに、この内容は残念です。それでもシュワルツェネッガーの愛情に溢れ、朴訥で、融通の利かない父親ぶりは見る価値があるのかもしれません。

Summary
Review Date
Reviewed Item
マギー

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