小栗旬主演『ミュージアム』レビュー

巴亮介の人気サイコスリラー漫画を『るろうに剣心』の大友啓史監督が小栗旬を主演に迎えて映画化した『ミュージアム』のレビューです。デヴィッド・フィンチャーの『セブン』そのままの前半から、後半は小栗旬の絶叫コンテストと化す混沌の132分。もういい加減にしてください。

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『ミュージアム』

日本公開2016年11月12日/サイコ・スリラー/132分

監督:大友啓史

脚本:大友啓史、高橋泉、藤井清美

出演:小栗旬、尾野真千子、松重豊、野村周平ほか

レビュー

決まって雨の日に起こる凄惨な猟奇殺人事件。犯行現場に残される殺害動機のヒント。そして犯人を追い詰めていく警官が逆に犯人の計画に取り込まれていく、、、、という重要なプロットだけでも分かるように、デヴィッド・フィンチャー監督作『セブン』を真正面から模倣してみせるその大胆不敵な態度こそが本作最大のホラー要素なのではと思えてくる『ミュージアム』は、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』で邦画の可能性を感じさせえてくれた2016年にあって、その期待感を土俵際で豪快に投げ飛ばしてくれるような作品となった。

結論から言えば、全くダメな映画だった。

もちろん本作よりダメな邦画はいくらでもある。それこそ柳下毅一郎氏がライフワークとしてストーキングするその手の映画群には『ミュージアム』よりも観ていられない作品が多数存在するだろう。しかし人気漫画を原作とし、『ろろうに剣心』以降注目監督となった大友啓史がメガホンを取り、出演陣は主要キャラクターから脇役まで人気実力ともに高い評価を受ける俳優を揃え、犯人役にはケヴィン・スペイシーとまではいかなくてもサプライズな大物が用意され、主題歌は人気バンドが担当し、天下のワーナー・ブラザーズが関わる「邦画大作」としては、全くダメな映画だった。

漫画は映画原作に非ず!!

ストーリー解説は『ゼブン』を観たことのある方には必要ないのかもしれないが最低限の礼儀としてご紹介する。

主人公沢村久志(小栗旬)は警官としての仕事にのめり込むあまり家族を疎かにしてしまい、妻と一人息子は家を出て行方知らずとなっていた。そんななか雨の日だけに起こる謎の猟奇殺人事件が連続して発生する。目撃証言から犯人はカエルのマスクを被っていたことがわかる。事件当初は犯人につながる証拠が全くないないなか、事件が繰り返されることで被害者たちの共通点が見つかる。それは別の容疑者が自殺することで終わった幼女殺害事件での裁判員裁判に関わった人たちで、そのなかには沢村の妻(尾野真千子)も含まれていたことから、沢村久志は通称「カエル男」の逮捕に異常なまでのこだわりを持つようになる。

そして「カエル男」の本当の動機が明らかになるとき、沢村久志の絶叫が響き渡る。

あらすじではうまく『セブン』要素が薄まって見えても、重要な設定でことごとく傑作サイコ・スリラーの設定を拝借している。きっと「原作がそうだから仕方ない」と反論するのだろう。

しかし、映画と漫画は当たり前だけど全然違うもので、漫画原作が『セブン』そっくりなんだからその映画化も『セブン』そっくりになって仕方ないという抗弁は、危険運転で逮捕されたドライバーが「だって西部警察では手放し運転とか当たり前だったもん」と言い訳するのと同じで、全く説得力がない。

そもそもなぜ漫画『ミュージアム』を映画化しなければならなかったのか。

この映画を鑑賞した後、いてもたってもいられなくなり急いで原作漫画を読んだのだが、やはり映画『セブン』から多大な影響を受けていることは明白だった。そのこと自体は何も悪いことではない。日本漫画の歴史とはアメリカのアニメや映画からの影響下で独自に発展したものである以上、『セブン』的要素は漫画作品に取り込むことは、例えばハリウッド活劇からヒントを得て作られた膨大な数の冒険漫画よりも実例が少ないという意味で「オリジナリティ」があると言えなくもない。

しかも一話一話で徐々に真相が明かされていくという漫画的クリフハンガーは、『セブン』のようなサイコスリラーと非常に相性もいい。単行本になることで伏線の在り処も分かりやすくなり、サスペンスは確実に盛り上がっていく。物語としてのオリジナリティは皆無だとしても、漫画という構造をうまく利用した作品であることが間違いない。

しかしあくまで「映画から影響を受けた漫画」というスタート地点は変わらない。しかもダイレクトかつ一点でその影響を引き受けた漫画作品だ。それを映画化すれば、もはや「インスパイア」とか「オマージュ」とかのレベルではなく、「模倣」になってしまうことは明白だろう。

『メタルギアソリッド』はゲームだからこそ隻眼のソリッド・スネークの活躍が可能だったわけで、それをそのまま無断で映画化すれば例え小島秀夫監督と信頼関係にあるジョン・カーペンターだってきっと訴えるだろう。

昨今の「ヒット漫画はなんでも映画化」という風潮とは、漫画を映画の草刈り場としてしか考えていない映画関係者の傲慢の現れでしかなく、この『ミュージアム』もまさにその典型だった。漫画もゲームも決して映画のマイナーリーグではない。もちろん逆も否である。

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それでも前半は冒険しているのだが、、、、

本作が結果として『セブン』の模倣作品となったにせよ、前半の残虐描写はギリギリ頑張っている。特にヴィジュアル面では犬に噛み殺された姿や、嘘ついたから針千本飲まされる姿などの造形はいい。

しかし残念ながら評価に値するのは、そういったヴィジュアルが登場する前半に限られ、後半になれば物語の安易さが映像として拡大され目立つようになり、加えて一本調子でひねりもなく、それでも説明だけは胃もたれするくらいに過多な演出がことごとく物語の緊張感を阻害する。

まず犯人の「カエル男」が実際に姿を現わすことで映画的リアテリィは崩壊しはじめる。例え雨が降りフードを目深にかぶっているとはいえ、ハロウィーンでもない日常に全身カエルスーツを着た男がいれば誰かは写メに取るだろうし、警察にだって通報するだろう。それがノコノコと街中に現れるというだけでもう「映画」としては成立しない。しかもカエルスーツを全身に着て、手までカエル仕様になっている状態で拳銃を構えたりする。モコモコした指を引き金に乗せるとか、アホなのか。そんなものは脅しにならない。

そして最近はずいぶんと是正されたと思われていた登場人物によるありがた迷惑な説明過多セリフも本作では健在だった。とにかくみんなよく喋る。主人公が絶望すればその理由をしっかりとセリフで教えてくれ、犯人もまた殺人の動機や興奮について、前夜からしっかりと練習していたように淀みなく長セリフを暗唱してくれる。

主人公の絶望を言葉で語らせずに演出と映像だけで完結させた『セブン』の魅力とは真逆のことをしている。これも漫画の吹き出しと映画の脚本を同じものとしか考えていない浅はかさの賜物なのだろうか。

それでもこういった問題点はクライマックス近くに用意されている絶叫コンテストと比べるとまだマシなのかもしれない。作品としての本当の地獄と絶望とは、犯人の動機が明らかになり、主人公がその計画に飲み込まれることになってから実現する。

これは確実に演出側の問題だった。小栗旬は決して演技ができない俳優ではないと思う。然るべき背景とストーリーがあれば絶望だって演じられるはずだ。しかし本作には主人公の絶望を演技とセリフ以外に補填しようとする意思はどこにも見当たらず、小栗旬の演技にだけに頼った結果、彼に絶叫を強いることになる。

「ワーーーーーーー、アーーーーーーー、ハルカアーーーーーーーー」

、、、、、大変なのはわかったから、ちょっと落ち着け。

人間の絶望度とはどれだけ絶叫したかで測られるとでも思っているのだろうか。

いつから絶望演出とは絶叫コンテストの場となってしまったのか。しかも小栗旬も絶叫しながら「なんで俺はこんなに絶叫しているんだろう」という疑問を薄々感じてしまったのか、その没入度では舞台で鍛え抜いた藤原竜也には敵わない。

「なぜ」が分かれば何も怖くない

映画『セブン』然り、ある種のホラー映画が物語として高く評価される所以とは、決してその残虐描写にだけあるのではない。残虐なシーンだけを見たいのなら現実の報道写真や戦争写真をネットで探せば、所詮人が作ったホラー映画などでは太刀打ちできないほどにリアルでグロい画像や映像がいくらでも転がっている。

しかし映画にはそれ以上のものがある。それは「なぜ」という問いだけでは理解できない恐怖を描くことができるからだ。本作『ミュージアム』が映画としての根本的に力不足な理由とは、犯人の「なぜ」しか描けていないためだ。カエル男はなぜ猟奇殺人を繰り返すのか、ただそれだけしか描いていない。

一方で本家の『セブン』では犯人の「なぜ」は全く描かれない。その「なぜ」が欠落したところに現実的な恐怖のリアリティがあり、その「なぜ」がどこまで行っても理解できないところに絶望が生まれる。そして犯人が誰にでも理解できる「なぜ」を持たないことで、我々観客は、もしかすると自分もまた犯人になり得るのではないのか、という暗黙の共犯性を示唆されるようで背筋が凍る思いをする。

ワイドショーや報道番組で執拗なまにで犯人の「なぜ」を追求し推測する理由とは、その「なぜ」を知ることで事件の恐怖から逃れようとするためだ。事件が凄惨を極めるほどに事件の動機となる「なぜ」への追求は厳しくなり、それをわかった気になることで恐怖が薄らぎ事件を自分たちの生活から遠ざけることができると信じている。

しかしそれはただの欺瞞だ。裁判で明らかにできるのは事件の客観的状況までで、人の心の中まですべて明らかにできるはずはない。その無限ともいうべき深淵の恐怖のなかにこそ理解できない「なぜ」が隠されており、自らもまたその深淵を抱えることで犯人や被害者と同質化する恐怖こそが絶望を追体験させる。

本作『ミュージアム』が確かに残酷描写では頑張っている。ただしその魅力は犯人の「なぜ」が明らかになることで全く無価値になってしまう。だからどれだけ曰くありげな終わり方としたところで、本作は空っぽだ。

映画『セブン』ではブラッド・ピット演じる「普通」の主人公が、凄惨な事件を通して「異常」な犯人と精神的につながっていく恐怖が描かれる。一方で本作では家族を平気でネグレクトする「異常」な刑事が、同じく「異常」な犯人につながっていくだけだ。そして犯人の「なぜ」が明らかになることで物語の焦点は主人公刑事が「普通」を取り戻せるのか、という一点に集まっていく。

この流れは残虐描写満載で一見すると倫理を無視し暴走するようなホラー映画より、ずっと露悪的で醜悪だ。一人の刑事を「普通」にするためだけに何人もの罪無き人を残虐に殺し、その残酷さだけで観客を惹き付けようとする本作の底意地の汚さとは、無垢なる自由を描こうとするために残虐描写を必要とするホラー映画とは全く異質な動機に由来する。

つまりは他人の振り見て我が振り直せという低俗なワイドショー並みの野次馬根性だけの作品だった。ただただ無意味な残酷ショーを見せるために132分を必要とするとはただただ呆れるばかりだ。

『ミュージアム』:

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ミュージアム
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