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ヴィム・ヴェンダース監督作『誰のせいでもない』レビュー

ヴィム・ヴェンダース監督最新作『誰のせいでもない』のレビューです。『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』の巨匠がジェームズ・フランコとシャルロット・ゲンズブールを迎え3D映画として送り出した作品は驚くほどにシンプルで挑戦的な作品でした。

Every thing will be fine

『誰のせいでもない』

全米公開2015年12月4日/日本公開2016年11月12日/ドラマ/118分

監督:ヴィム・ヴェンダース

脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン

出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、レイチェル・マクアダムズ、ピーター・ストーメア、ほか

レビュー

『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』のヴィム・ヴァンダース監督最新作は驚くことに3D映画だった。ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』(2014)も3D映画だったが、ヴェンダースの3Dへのアプローチは根本的に違っている。ゴダールがカメラワークや映像技術に関して常に挑戦的だったのに対し、ヴェンダースはロードームービーの巨匠として登場人物の心象風景とその場所の風土を重ねることを得意とする「カメラの向こう側」に強い関心を示す作品が多い。『ベルリン・天使の詩』の虚実入り混じる映像や、『リスボン物語』の独特な青色など現実をデフォルメしたような映像美とは、テクノロジーに頼ったものではなかった。

だから当然昨今の撮影段階から風景を飛び出すものという前提に立つ3D映画には批判的だったし、CG嫌いも公言していた。それなのに新作は3Dだった。

まず断っておくと、本作をVOD形式で鑑賞したためその3D効果は体験できなかった。それでも重い3Dカメラを使ったためなのだろう、動きのないカメラワークやレール撮影の多さ、そして手持ちとなると極端にブレる映像など、その形跡ははっきりとわかる。本作はその点において評判が芳しくない。映像も「のそのそ」とした印象なら、物語もまた単調といえる。

本作はジェームズ・フランコ演じる小説家が主人公。カナダ・ケベック州の冬に車を走らせていた彼は突然雪道に飛び出してきた子供を撥ね殺してしまう。そして罪悪感に苛まれた男は自殺未遂をするも、何とか作家として生き続け、やがて被害者の母親や息子とも交流が生まれる10年ほどの日常を描いている。

物語は本当にシンプルだった。飾り気がない以前にひねりもない。今では誰も物語にしないような、それでもどこかに確実に存在する不幸を、2時間という尺をフルに使ってゆっくりと描いていく。合わせてノロノロしたカメラワークに、ジェームズ・フランコの無感情さと、シャルロット・ゲンズブールの孤独が描かれる。

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でも不思議なことに退屈なんてしなかった。

きっとテンポの速い映画を求めている観客には耐え切れないような遅さなのだろうが、そもそもヴェンダースの作品はノロいのが特徴だ。サム・シェパードが主演・脚本した『アメリカ、家族のいる風景』(2005)は例外的に「アメリカン」だっただけで、『パリ、テキサス』や『ベルリン・天使の詩』も疲れていれば眠れてしまうような映画とも言える。

肝となる3D演出に関して何も言えなくて恐縮だが、ただシンプルに日常の外形を描こうとする映画に3D演出を施す意味とは何のだろうか? という問いは鑑賞中、常に感じることになった。3D演出の意味とは映像を立体化することで観客をスクリーンに「取り込む」意図がある。『アバター』公開時おもわず鑑賞中に手を伸ばしたくなったのは、スクリーンの世界に自分がいるような感覚が演出されていたからだ。そのためにはなるべく立体的な世界を描く必要がある。目の前にある木々と、遠くにある山々。その対比を鮮明にすることで映像世界の遠近をコントロールするのが3D演出と言える。しかし本作には観客をスクリーンに「取り込む」ような立体的シーンはほとんどない。唯一、遊園地で発生する事故は立体的と言えるのかもしれないが、それも結局は主人公の陰鬱を表現した小さなプロットでしかない。

しかしヴェンダース監督が3Dで立体化したかった対象とは風景ではない心象だった。何気ない映像を立体化させることで、そこに含まれている人間の非平面的な感情の揺らぎを演出したかったのだ。それが成功していたか失敗していたのかを計ることはできないが、新しい3Dへのアプローチではあったことは間違いない。2Dでもその3D演出がはっきりとわかるラストは印象的だった。

物語では期せずして子供を殺してしまい苦しむ男と、誰も責めることのできない事故で我が子を失った母親、そして幼い弟の死を間近で経験した少年の微妙な心理の揺らぎが淡々と描かれる。また主人公が小説家であるという設定が、彼らに共通する悲劇にいくつかの違った「顔」を作り出すことになる。

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もがき苦しんだ作家はその経験を作品として昇華させる。そして弟の死を間近で経験した少年が成長し、やがて事故の加害者である小説家の書いた作品のファンになり再会する場面が終盤に描かれる。主人公が書いた小説で描かれる事故を彷彿とさせるシーンについて問いかける少年に対し、「作品には様々なきっかけがあり、はっきりとした結びつきついては誰にも説明できない」と主人公は答える。そう答えた主人公だったが、彼自身がその答えに納得していないようだった。彼にはおそらくはっきりとわかっていたのだ。あの事故の記憶から回復するためにはそれを物語として描く必要があったことを。

一方で我が子を失った母親は一人残された息子が成長するのをただ見守るだけで、その喪失から解放されていない。事故後、自殺未遂までし自分自身を追い詰めた主人公に許しを与えたその母親の現実とは、社会的には成功した主人公の自己理解と諦めに比べると、暗い川底に沈んだままのように停止したままだ。

同じ時間を共有しておきながら何かは動き続け、何かは立ち止まり続ける。まるで登場人物の心理を通した遠近法のようだ。

風景では登場しない立体感も、物語を通せば登場人物たちの対立する苦しみと解放、憎しみと許し、親愛と嫉妬といった感情のすれ違いによって立体的な心象風景が浮かび上がってくる。これは映画を通して観客に旅をさせてきたロードムービー同様に、観客が映画を観るという行為の領域に挑戦することでもある。

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少なくともラストシーンでは彼らの感情がスクリーンから浮かび上がってくるのを感じた。そのため「何もおきない」作品でありながら、奇妙な形で迎えたラストのあともずいぶんと長い間、物語への余韻が消えることはなかった。

もちろん3Dで観ていないという部分を加味しても、完璧だとか傑作だとか、ヴェンダースのフィルモグラフィー上でも上位に入るとか、そんな作品ではないことはわかる。しかしヴェンダースは新しい映画に挑戦したことも間違いない。しかもこれまで観た事のない挑戦だった。惜しむらくは3Dで観る機会に恵まれないことだろうが、2Dでも重要なラストシーンではしっかりとその挑戦の痕跡を観る事ができる。

実験映画でなくシンプルに映画の可能性に挑戦した作品だと言える。

『Every Thing Will Be Fine』:

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誰のせいでもない
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