元ツールドフランス7連覇の汚れた英雄ランス・アームストロングの栄光と没落を描いた『疑惑のチャンピオン/The Program』のレビューです。癌の克服からの感動的な復活から一転してドーピング行為によって全てを失ったアームストロングの光と影をベン・フォスターが演じる。「キャプテン・アメリカ」になれなかった男の末路とは?
『疑惑のチャンピオン/The Program』
全英公開2015年10月14日/日本公開2016年7月2日/ドラマ/103分
監督:スティーヴン・フリアーズ
脚本:ジョン・ホッジ
出演:ベン・フォスター、クリス・オダウド、ダスティ・ホフマン、ジェシー・プレモンスほか
レビュー
ランス・アームストロングというアメリカ人アスリートは極めて特殊な存在だった。スポーツにおいてヨーロッパや他の地域とは違った発展を遂げてきたアメリカにあって、彼はヨーロッパを主戦場とする自転車レースでツール・ド・フランス7連覇という「驚異的」な成績を収めた。2002年にはスポーツ・イラストレイテッド誌の年間最優秀スポーツマンにも選ばれる。それだけでもすごいことだが、そういった偉業の全ては彼が生存率50%の癌を克服してからの出来事だという逸話が付け加えられることで彼は英雄となっていく。
しかし2012年に長年噂されてきたアームストロングとそのチームのドーピング問題が明らかになり、ツール・ド・フランス7連覇の記録は抹消され、「アメリカの英雄」から「世紀の詐欺師」へと転落していく。本作はその過程を描いた作品だ。それはひとりの男が誘惑に屈し、悪魔に魂を差し出す物語でもある。
ランス・アームストロングは最初から飛び抜けた選手ではなかった。ヨーロッパのレースに参加してもなかなか結果は出ない。そして彼は罪悪感や葛藤などほとんどないままドーピングに手を出す。のちに明らかになるように当時の自転車レース界でドーピングは横行しており、必要な薬はスイスに行けば処方箋なしでも買えた。まだ若く野心的だったアームストロングにとってドーピングとは、アメフトの高校生選手がステロイドを打つような感覚だったのだろう。アメリカの高校生選手にとって、少なくともアームストロングの世代では、ドーピングはチームの誰かはやっていることだった。しかしドーピングの作用は圧倒的だった。最初は苦しんだヨーロッパのレースでもドーピングの助けでアームストロングは良い成績を納めていく。
しかしアームストロングはキャリアの序盤で、癌を宣告される。そして奇跡的な復帰を遂げた後、彼はツール・ド・フランスで7連覇という偉業を達成するのだが、その背景にはもちろんドーピングがあった。イタリア人医師の指導によって、アームストロングはチームとともに組織ぐるみでドーピングを行っていく。
この一連の流れはどこか「キャプテン・アメリカ」を想起させる。虚弱体質だが愛国心に溢れるスティーヴ・ロジャーズは「超人血清」を体内に取り組むことでアメリカの英雄である「キャプテン・アメリカ」としてヨーロッパで目覚ましい戦果をあげる。同じように癌で一度は死にかけたランス・アームストロングはドーピングによってヨーロッパのレースで華々しい成績を残しアメリカの英雄となっていく。唯一の相違点とは、キャプテン・アメリカは自分のスーパーパワーの意味についてとことん悩むのに対して、ランス・アームストロングはドーピングで得たスーパーパワーを当然のものとして享受していたということだろう。
しかしこれはイカサマであり、詐欺だった。ランス・アームストロングをデビューから知る記者は彼の活躍に疑問を感じていた。癌からの復活とツール・ド・フランス7連覇とはあまりに劇画的過ぎた。キャプテン・アメリカはマンガと映画の話だ。長くヨーロッパの自転車レースを取材してきた彼にとってそれはランス・アームストロングは汚れた「キャプテン・アメリカ」に他ならなかった。
では一体どの段階でランス・アームストロングは悪魔に魂を売ったのだろうか。最初は軽い気持ちで始めたドーピングから、癌の宣告、そこからの復活とツール・ド・フランスでの大偉業。この栄光の階段を登るなかで彼は本当の悪になった。
本作ではその瞬間がわかりやすく描かれている。2001年に件の記者からアームストロングの薬物疑惑が報じられマスコミが騒ぎ立つ中、彼は記者会見に臨む。その直前に彼は鏡の前で何度も同じセリフを練習する。
「ドーピング検査で陽性だったことは一度たりともない。それが答えだ」
映画において鏡とは人格に潜む悪魔の語り場としてよく使われる。悩める主人公が自分が映る鏡を叩き割るのは、そこに映る自分のなかの悪魔を追い出すためだ。一方で鏡はその悪魔との契約や同化にも使用される。『タクシー・ドライバー』のトラヴィスは言わずもがな、『パルプ・フィクション』ではジョン・トラボルタが自分の中の悪魔を落ち着かせるために鏡に話しかけていた。
そして本作ではランス・アームストロングが鏡の前で自己弁護の練習をすることで、彼が自分のなかの悪魔に屈した瞬間をはっきりと描いている。癌を克服した経験からチャリティにも熱心だった彼の善性はここで完全に悪魔に乗っ取られる。
結果、彼は自分のなかの悪魔を飼いならすことができずに、自滅していくことになる。名誉を失っただけでなく、スポンサーを騙していたことを理由に1000万ドル(12億円!)という損害賠償が課せられ、その額は最終的に1億ドルに達するとも言われる。
アームストロングはキャプテン・アメリカではなかった。自分をキャプテン・アメリカだと思った詐欺師だった。そして本作で描かれるのは、残念ながら、そこまでだった。
本来ランス・アームストロングのように実在で、しかも存命中の人物を描く場合は、その光と影のバランスに神経を尖らすものなのだが、本作ではアームストロングの栄光と転落の過程を描くことに集中するあまり、彼自身の内面に深く切り込むような作りになっていない。デヴィッド・フィンチャー監督作『ソーシャル・ネットワーク』やダニー・ボイル監督作『スティーヴ・ジョブズ』(2015)のように、その人物の内面を描くためにエピソードを取捨選択するのではなく、ニュース価値の高いエピソードがまず最初にあり、その時系列にそって表面的なランス・アームストロングの葛藤が描かれる。
「ドーピングの誘惑に負けたランス・アームストロング」というWikipediaに載っているような事実の列挙に留まり、その奥に眠っているはずの、なぜ彼はドーピングという悪魔に乗っ取られたのか、という彼本人の深部には至っていない。
ランス・アームストロングが辿った光と影は描けていても、その実体についてはほとんどわからないままだった。
『疑惑のチャンピオン』:
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