1987年公開のポール・バーホーベン監督作のリブート作『ロボコップ』のレビューです。個人的には近年のリブート作品群のなかでは、トップクラスの満足度に仕上がっていました。日本公開は3月14日。
・ストーリー
2028年、巨大コングロマリット「オムニコープ」社はロボット技術を兵器化し、世界各地でのアメリカの軍事活動に関わっていた。高度にプログラミングされたロボットたちはイランでの治安活動においても、アメリカ兵の被害を最小限に留めることに寄与し高い評価を受ける一方、アメリカ国内での軍事利用に関しては感情を持たないロボットに殺傷権を与えることへの抵抗感から禁止されていた。
ロボットをアメリカ国内での警察活動に導入したいノヴァック(サム・L・ジャクソン)は自身が出演する番組を通してロボットの意義を訴えるも、世論の抵抗を強い。アメリカの世論をロボット導入へ傾けるためには、人間の感情を持ったロボットの開発が不可欠になっていた。
その頃、デトロイトでは犯罪組織が暗躍し、警官のマーフィー(ヨエル・キナマン)は銃の密売組織への捜査中に、武装した一団に襲われる。相棒のルイスは銃撃の末に負傷し、マーフィーもまた自分の車に仕掛けられた爆弾のために瀕死の重傷を負うことになる。
やがて意識を取り戻したマーフィーは、動かぬ自分の体の前に現れたノートン博士(ゲイリー・オールドマン)から信じがたい事実を知らされる。自分の体で残っているものは脳と肺と右手だけで残りは機械によってロボット化していたのだ。無惨な姿になっても生き続けていることに絶望するも、妻や息子の存在からロボット警官「ロボコップ」として生きることを決意する。
マーフィーはその圧倒的な任務遂行能力でデトロイトのヒーローに祭り上げられるも、やがて自分が抱える人間性とロボット性という矛盾が、事態を思わぬ方向へと向かわせていく。
・レビュー
1987年のポール・バーホーベン版『ロボコップ』がその暴力描写と近未来的世界観からカルト的な人気を誇っていることを考えれば、リブート版の本作はそもそも分が悪かった。しかも制作費が100億円を超える大作となりレーティングの関係でオリジナル作品のような暴力描写を手放さなければいけない状況では、そんな『ロボコップ』は誰も観たくないにせよ、ロボット人間と言う設定から『アイアンマン』の亜流作品となることが懸念されるのは仕方のない状況だった。
しかしでき上がった作品は『アイアンマン』ではなく『ロボコップ』だった。人間であり、ロボットであり、兵器でもある『ロボコップ』の存在的矛盾から本作は逃げなかった。
ロボットは人間に危害を与えてはならない:そもそもロボット兵器という存在は許されない。仮にロボットが、人間が武器を携帯しているからという理由で攻撃を行っていいとすれば、そのプログラミングにおける人間の定義では「特的の思想信条にとって守られた人間」に限られ、プログラム製作者の意向に反する人間は含まれないことになる。
ロボットは人間からの命令に従わなければならない:ロボットと人間の最も大きな隔たりとは、その行動規範が主体的であるか、受動的であるかに尽きる。ロボットは考えない。プログラミングに従うのみだ。しかし人間は考える。仮に命令に従うだけの人間が存在したとしても、その人の思考は命令から行動への伝達を妨げるに十分なバイアスになる。
ロボットは上記二項に反しない限りにおいて、自己を守らなければならない:兵器とは常に対立状況のなかに存在する。攻撃する側と、その攻撃によって守る側。攻撃対象もなく、守る対象もない状況では兵器は意味をなさない。
ロボット三原則からも明らかなように、ロボットは兵器とは決して交わらない。兵器とは常に人間に属する。ロボットと兵器とは互いに人間から派生した存在であるが、決して両立されないのだ。人間としての自我を保持したまま存在を維持しようとすれば、『ロボコップ』は自身が兵器化するかロボット化するかの二択を迫られる。本作ではそういった矛盾をしっかりと描いている。
機械と人間の対立といえば『2001年宇宙の旅』がまず思い浮かぶが、本作は2011年の『ミッション:8ミニッツ』に近い。どちらも他者のプログラミング下において自主性は行使できるのか、という現実的な問題と向き合っている。そういった批判性はオリジナルにも通じており、リブート作品としては非常に高く評価できる。
オリジナル作品がカルト映画となっているため風当たりも強くなることはよくわかるが、リブートやリメイクの意味がオリジナルでは描ききれなかった技術的問題を補完し、時代に合わなくなったテーマを強化することにある以上、本作はオリジナルファンも初見者も十分に満足できる映画になっていると思う。
繰り返しになるが、これは『アイアンマン』のような映画ではありません。スカッとしたくて観に行けば、軽いトラウマになるような映画です。映画の最後、サム・L・ジャクソンと一緒に「なんじゃ、こりゃ、Mother F#※%er!!」と叫ばないように心の準備が必要です。
生温い映画に飽き飽きしている方は是非ご覧になってください。オススメです。
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たしかに勧善懲悪のヒーロー物ではありませんでしたね。
マーフィーが、生首状態の自分を見て「何も残ってないじゃないか!」の叫びはショッキングでしたが、一番印象的なシーンでした。
みかみかさん、コメントありがとうございます。
このリブート版ロボコップは興行的には芳しくなかったようですが、個人的にはかなり好きな一作です。
自分の体が改造されて強くなった者の悲しみみたいなものを描いているところで、アイアンマンの気楽さと真逆をいっていたと思います。
ただちょっとあのマーフィーの自分の体を観るシーンはかなり過激でしたね。
こういった流行のヒーロー映画を逆手にとるような映画が作られることもハリウッドの強みだと思いました。