カトリック教会が隠蔽し続けてきた性的虐待事件を白日に晒した新聞記者たちの戦いを描く『スポットライト 世紀のスクープ』のレビューです。傑作という表現を躊躇なく使える、文字通りの傑作。マーク・ラファロ、マイケル・キートンらの熱演にも注目。
『スポットライト 世紀のスクープ』
全米公開2015年11月6日/日本公開2016年4月/ドラマ/129分
監督:トム・マッカーシー
脚本:トム・マッカーシー、ジョシュ・シンガー
出演:マーク・ラファロ、マイケル・キートン、レイチェル・マクアダムス、リーブ・シュレイバーほか
作品解説
新聞記者たちがカトリック教会のスキャンダルを暴いた実話を、「扉をたたく人」のトム・マッカーシー監督が映画化した実録ドラマ。2002年、アメリカの新聞「ボストン・グローブ」が、「SPOTLIGHT」と名の付いた新聞一面に、神父による性的虐待と、カトリック教会がその事実を看過していたというスキャンダルを白日の下に晒す記事を掲載した。社会で大きな権力を握る人物たちを失脚へと追い込むことになる、記者生命をかけた戦いに挑む人々の姿を、緊迫感たっぷりに描き出した。アカデミー賞受賞作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」で復活を遂げたマイケル・キートンほか、マーク・ラファロ、レイチェル・マクアダムスら豪華キャストが共演。
レビュー
2013年、ベネディクト16世の生前退位に伴い、カソリック教会の新教皇にアルゼンチン出身のベルグリオ枢機卿が選出されフランシスコを名乗ることになった時、マスコミからは驚きの声が上がったという。すでに高齢であることを理由に有力候補とはみなされていなかったのだ。一方で枢機卿らによる選挙では全体の3分の2を大きく上回る90票以上を獲得する圧倒的な信望を得ていた。アッシジのフランチェスコを彷彿とさせる清貧さを新教皇に求めた結果だった。
2002年に全米カソリックの拠点であるボストンの新聞社が報じた、神父による性的虐待事件とカソリック教会による長年の隠蔽問題は瞬く間に世界中に伝染し、世界的なスキャンダルへと発展していく。その最中の2005年にカソリック教会の新教皇に即位したベネディクト16世は、性的虐待問題に関して強い口調で厳正な処分を約束するも、一方で激しくなる教会批判を「くだらないゴシップ」などと呼び史上稀に見る不人気な教皇となった。そして2013年、ローマ教皇としては約600年ぶりという生前退位という形で教皇の座を譲ることとなった。同時期に報じられたバチカンによるマネーロンダリング疑惑も重なったものの、2010年にはニューヨークタイムズに教皇が枢機卿時代に教区内で発生した性的虐待事件の処分を見送っていた疑惑が報じられるなど、神父による性的虐待とその隠蔽問題が異例の教皇交代劇の最も大きな要因となったことは間違いない。
そのきっかけを描いているのが本作『スポットライト 世紀のスクープ』だ。
ボストンで最大の発行部数を誇るボストン・グローブに新任した編集者が、3面記事で目にした神父による性的虐待の疑いについて、調査報道を手がける「スポットライト」担当班に追跡取材するようにもちかける。全米でもカソリック教徒の割合が多いボストンにあってグローブ紙の首脳陣は難色を示すも、「スポットライト」の5名の記者たちは取材を開始する。被害者らへの取材を通して徐々に疑いは事実である可能性が高まり、そして一人の神父が過去に複数の幼児虐待容疑で訴訟を起こされておきながら、教会は被害者に示談を持ちかけては、神父を処分することなく他の教区へと移動させ続けてきたことが明らかになる。しかしそれはまだ全体のほんの一部、ボストンでの疑いのほんの一部でしかなかった。強大な権力の妨害に遭遇しながらも、記者たちの真実を求める戦いがはじまる。
ボストンという都市の特異性は、マーティン・スコセッシ監督作『ディパーテッド』でもマフィアと警察という対立関係の中心にカソリック教会が隠されている形で描かれている。犯罪を犯そうが正義を貫こうが、その間には宗教が息づいているのがボストンなのだ。
この事件を報道しようとする記者たちもそんなボストンに暮らしている。そして子どもの頃はカソリック教徒として教会に通い、神父を尊敬していた。そんな誰もが信じる教会の有り難みを「こて」にして、一部の神父は自らの性欲を満たすために少年少女たちに虐待を加えていた。しかも被害者の多くは家庭環境に恵まれなかったり、性的な悩みを抱えていた社会的弱者の子供たちだった。彼らが被害を訴えても、教会の有り難みの前では無力に等しかった。こうして何十年に渡り、真実は闇へと葬り去られ、被害者は増え続け、ある者は自ら命を絶ち、生き残った被害者たちもカソリック教徒が多数の社会にあって孤立していくのだった。
危険や孤立を顧みず、真実を希求するジャーナリストたちの姿を描くという点では、ニクソン大統領を失職へと追いやったワシントン・ポストの二人の記者の戦いを描いた『大統領の陰謀』と似ているが、ニクソンが国民の敵であったことは明白だったのに対し、本作ではカソリック教会を完全なる悪としては描いていない。取材中に起きた9.11では多くの宗教指導者たちが傷ついた人々に寄り添いながら語りかけたし、カソリック教会も同様だった。本作ではそういった宗教が持つ善なる部分を否定してはいない。
だからこそ彼らは真実がこれ以上闇の中で蠢き続けることを許せないのだ。自分たちが信じていた宗教、自分たちの愛する人々が今でも信じ続ける宗教が、その疑いもないはずの善性によって弱者を傷つけているという事実が許せないのだ。そして彼ら記者たちを最も激しくこの問題へ突き動かしたのは、正義でもなく職務でもなく、後悔でもあった。ボストンという街でジャーナリストを名乗っておきながら、一方で想像を遥かに超える数の神父たちがこの街で性的虐待を繰り返していた。被害者の声は確かに存在したのに、教会という存在を疑うこともなく、耳を傾けようともしなかった。調べれば調べるほどに露わになる真実は教会同様に機能不全となっていたボストンのジャーナリズムの現状の説明にもなっている。
敵と味方、正義と悪、告発する側とされる側、これらの対立関係は、長年にわたる性的虐待の被害者の視点から見れば簡単に入れ替わるほどに境界線はおぼろだ。その事実を「スポットライト」の記者たちは誰よりも知っているから、本作のクライマックスはカソリック教会を告発するところには設定されていない。本来なら万雷の拍手で迎えたくなるようなシーンでも驚くほどに自制的に描かれている。
しかし物語のラスト、「スポットライト」の光を頼りに自力で歩き出す人々が現れたとき、彼らの奔走は報われる。これほどまでに理想的なジャーナリズムの力が実際に存在していたことに感動すら覚えるのだ。
そして一本の映画としても、警察にも明らかにされていない事件をジャーナリズムが暴くという調査報道の内部で描かれるドラマ性と、真実の向こうにまだ大きな真実が待っているという階層的なミステリー性という二つの物語要素が絶妙に絡まり、そこに実際の出来事を描いているという客観性も加わり、その迫力と緊張感は何かしらの重要な映画賞でも与えられないと納得できないほどのクオリティーだった。傑作という表現を躊躇なく使える作品だ。
最後の余談となるが、2003年、「スポットライト」チームはジャーナリズム界最大の栄誉、ピューリッツァー賞を受賞している。
『スポットライト 世紀のスクープ』:
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ということで『スポットライト 世紀のスクープ』のレビューでした。これはアカデミー賞最有力というキャッチコピーも偽りはなく、素晴らしい作品でした。しかしロビー活動も受賞には重要となるアカデミー賞では本作の配給が「オープン・ロード・フィルムズ」というインディペンデント系ということもあり苦戦が予想されます。個人的には作品賞候補となりそうな作品はほぼ見た結果、本作を推したいです。しかも撮影監督は日本のマサノブ・タカヤナギさん。これは応援したくなります。とにかく絶対オススメ映画です。オスカー祈願です。以上。
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