『マイティ・ソー』のクリス・ヘムズワースとロン・ハワード監督がタッグを組んだ『白鯨との戦い』のレビューです。メルビルの『白鯨』に隠された捕鯨船エセックス号の悲劇を基に映像化された、自然という荒波を前にした人々の究極の決断を描く海洋ドラマ映画。執拗なまでに現れる白鯨の意味とは?
『白鯨との戦い/in the Heart of the Sea』
全米公開2015年12月11日/日本公開2016年1月16日/121分
監督:ロン・ハワード
脚本:チャールズ・レーヴィット
原作:ナサニエル・フィルブリック『復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇』
出演:クリス・ヘムズワース、ベンジャミン・ウォーカー、キリアン・マーフィー、トム・ホランド、ベン・ウィショーほか
作品解説
「ビューティフル・マインド」「ダ・ヴィンチ・コード」など名作、大作を数々手がける名匠ロン・ハワード監督が、19世紀に捕鯨船エセックス号を襲った実話を映画化。ハーマン・メルビルの名著「白鯨」に隠された事実を明かしたノンフィクション小説「復讐する海 捕鯨船エセックス号の悲劇」をもとに、太平洋沖で巨大な白鯨に襲われた捕鯨船の乗組員たちの死闘を3Dで臨場感たっぷりに描き出した。1819年、一等航海士オーウェンと21人の仲間たちは、捕鯨船エセックス号で太平洋を目指す。やがて彼らは驚くほど巨大な白いマッコウクジラと遭遇し、激闘の末に船を沈められてしまう。3艘のボートで広大な海に脱出した彼らは、わずかな食料と飲料水だけを頼りに漂流生活を余儀なくされる。
引用:http://eiga.com/movie/79815/
レビュー|白鯨とは戦わない物語
ハーマン・メリヴィルの『白鯨』は、読むことで白鯨と戦うことの困難さを追体験することができるという意味で、サマセット・モームが言うように歴史的に価値ある小説だと言える。『白鯨』はイシュマイルという小物の乗組員の口からモビー・ディック=白鯨との壮絶なる戦いが語られる。物語の語り手が小物だから、話をコンパクトにまとめようとか客観的に語ろうとか、そんな上品さはどこにも見当たらず、小物特有の虚栄心からどうでもいいような鯨の薀蓄が長々と垂れ流される。なかなか白鯨との戦いは始まらず、大海原と大自然の驚異のまえに、読者は鯨博士になりながらもイシュマイルという語り手との戦いに勝つことが求められる。大方の若い読者はここに負ける。白鯨との戦いを前に、敗れ去ってしまうのだ。この小説の前半部の退屈さは『指輪物語』でさえも可愛く思えるほどだ。
本作『白鯨との戦い』は、アメリカ文学の記念碑的作品であるメリヴィルの『白鯨』が生まれる背景となった、捕鯨船エセックス号の悲劇を描いている。本編は若き小説家メリヴィルがエセックス号の乗組員最後の生き残りとなったトーマスのもとを訪れることから始まる。そしてトーマスの回想という形で物語は語られていく。
19世紀初頭、鯨から取れる油は重要な資源であり、捕鯨はアメリカにおいても一大産業となっていた。そして経験の浅い船長のもと、エセックス号は出港する。そして彼らはそれに遭遇してしまう。白く巨大なマッコウクジラはエセックス号を容赦なく破壊し、わずかに生き残った乗組員たちの厳しい遭難生活がはじまる。そして繰り返し現れる白鯨。
本作はジャンルとしては海洋パニックからの遭難を描いた映画といえる。『ライフ・オブ・パイ』や『タイタニック』と同様に語り手の回想という形で現在と過去に時間が移動し、その度に物語は分断され現代的な解釈を観客に求めるようになっている。捕鯨シーンを敢えて残酷に描写してみたりするのはそのためだ。そして「困難に負けない」という遭難映画の定番のメッセージを発しつつも、白鯨を象徴として描くことで物語に深度を与えようとする思惑がある。
『白鯨』がアメリカ文学史上最も重要な作品と言われる理由は、白鯨=モビー・ディックが一体何なのかという問いの重さにある。白鯨という人知を超えた脅威の象徴性を高めることで、『白鯨』は時代を超えた強い意味を獲得した。見方によって白鯨は神にもなり、親にもなり、社会システムにも運命にも人類の未来にもなる。そしてサマセット・モームがアメリカ文学の最高峰として挙げたように、アメリカの建国意思そのものを描くような壮大な野心が『白鯨』にあるし、白鯨=モビー・ディックはそれらすべてを象徴している。
そして白鯨=モビー・ディックに多様な象徴性を与えているのは、エイハブ船長やスターバック、そして語り手のイシュメイルを始めとする個性豊かな乗組員と、ひたすら本筋と離れようとする物語外の話の存在だ。白鯨=モビー・ディックという中心を敢えて直接的に語ろうとせずに、周辺の鯨に関する専門知識や歴史、神話や聖書が引用されるのは、白鯨=モビー・ディックという存在はそうすることでしか表現できなかったからだ。
一方で本作『白鯨の戦い』は『白鯨』の映画化作品ではなく、そこに隠された真実を描く物語となっているため、残念ながら、意図したような白鯨の象徴性は皆無だった。というか、ただ鯨が暴れて捕鯨船が破壊され漂流して大変な目にあった、という話でしかなく期待されたような怪獣映画としての迫力も控えめで、後半はひたすら痩せこけた漂流生活に突入する。
一番の問題点は乗組員たちによる「白鯨とは何だ」という問いや葛藤が省略され過ぎていることだ。主要キャラクターとなるクリス・ヘムズワース演じる航海士や新米船長などの個性や生い立ちの描き方がどれも通俗的で薄っぺらく、彼ら自身が白鯨と深い部分で全く結びつかない。エセックス号の前に白鯨が現れたのは事実として偶然なのかもしれない。しかし偶然とは思えない何かがあったから、彼らは白鯨を追い、そして追われることで、自らを滅ぼしていったのだ。また『白鯨』にある善悪の逆転に関しても、捕鯨は残酷です、というグロテスクな描写により示唆されるだけで、復讐に取り憑かれた物の悲哀や残酷さがまったく描けていない。何度も執拗に現れる白鯨に無理を承知で槍を投げ込むことの意味がまったくわからないのだ。
こういう批判に対し、これは『白鯨』の映画化作品ではないという反論もできるのだろうが、本作はエセックス号の唯一の生き残りがメルヴィルに事件の顛末を語り、それが『白鯨』の基となったという設定なのだ。この事件を知ったメルヴィルを『白鯨』へと向かわせた「白鯨とは何なのか」という問いが描かれないようでは、その設定そのものが不必要となってしまう。白鯨の意味を描き切るためには、彼ら乗組員こそしっかりと描写されるべきだったのに、そこを省略してしまった以上、これは『白鯨』とは何の関係もない作品でしかない。そもそも白鯨と戦おうともせずに敗れ去ったも同然なのだ。
本作の終盤、白鯨との死力を尽くした戦いの終わり、一瞬だけ白鯨からの視線がスクリーンに映る。白鯨の目に映るボヤけた乗組員の姿同様に、本作が何を描きたかったのかボヤけたままだった。
『白鯨との戦い』:
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ということで『白鯨との戦い』のレビューでした。本作はアメリカで景気良く大コケしましたが、然もありなんという感想です。海洋パニックとしては『パーフェクト・ストーム』に近いかもしれませんが、ドラマ部分でも『タイタイニック』ほど厚く描かれないし、『ライフ・オブ・パイ』のような映像体験もありません。大きな鯨は登場しますが、それもかなり控えめです。ポスターから受ける「リアル怪獣映画」という印象は本編ではほとんど感じませんでした。『白鯨』を読みきった経験を持つ方ほど本作の邦題詐欺は気になることでしょう。ちなみに原題は「in the Heart of the Sea」で「Moby-Dick(白鯨)」も「The Whale(くじら)」も付いていません。まあ、大きなスクリーンで大きなくじらを見たいという方にはオススメです。以上。
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