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映画『栄光のランナー 1936ベルリン』レビュー

1936年ナチス政権下で開催されたベルリンオリンピックで、史上初となる4つの金メダルを手にした陸上選手ジェシー・オーエンスの半生を描く『栄光のランナー 1936ベルリン』のレビューです。黒人差別だけでなくナチスドイツが正当化したユダヤ人迫害に対しても、スポーツで戦った一人の男の物語。

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『栄光のランナー 1936ベルリン』

全米公開2016年2月29日/日本公開2016年8月11日/伝記ドラマ/134分

監督:スティーブン・ホプキンス

脚本:ジョー・シャープネル、アンナ・ウォーターハウス

出演:ステファン・ジェームズ、ジェイソン・サダイキス、ジェレミー・アイアンズ、ウィリアム・ハート

レビュー

4年に一度開催されることが習わしの夏季オリンピックも1936年のベルリン大会以降は1948年のロンドン大会まで開催されることはなかった。ベルリン大会から3年後、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことで第二次世界大戦が勃発したためだ。

ベルリン大会はまさに戦争前夜に行われた大会だった。ヒットラーの大会とも呼ばれ、ナチスドイツのプロパガンダとしての意味合いが強く、つまりナチスドイツの基本思想である「アーリア民族の優秀性」を世界中に喧伝し、ユダヤ人や有色人種、そして障害者たちへの差別を肯定するための大会でもあった。もちろん世界中は猛反発した。イギリス、スペイン、そしてアメリカがナチスのユダヤ人迫害に反対し、大会へのボイコットを行う動きが活発化していた。しかしそれではプロパガンダとしての五輪開催の意味が怪しくなってしまう。これに対しナチスドイツは一時的に人種差別を凍結し、ユダヤ人選手の大会への参加を認めるなどして、開催にこぎつけた。

ここまではヒトラーの思惑通りだった。ユダヤ人や有色人種を大会に招待し、スポーツという公正な場でアリーア人が彼らを圧倒すれば、ナチスドイツの基本思想の正当性が証明される。合理的なシステムのもとで訓練されたアーリア人こそが最も優秀な民族であり、その他はひれ伏すべき民族という思想を強化し絶対なものにするために開催されたのがベリリンオリンピックだった。

それでもナチスドイツの思想の誤りは歴史が証明した。アーリア人が民族として他より優秀なわけでも、ユダヤ人や有色人種が劣等民族というわけでもない。本作『栄光のランナー 1936ベルリン』で描かれるのは、その歴史の証明のひとつのエピソードだ。

主人公がジェシー・オーエンス。貧しい家庭に育ちながらもオハイオ大学に進学すると陸上選手として大活躍。ベルリンオリンピックの前年のはたった45分間に5つの世界記録と1つの世界タイ記録を樹立した。100m、200m、走り幅跳びなど、複数の陸上競技で瞬く間に全米代表となっていく。なお、彼は黒人だった。憲法上で黒人差別が撤廃されるの30年以上先の時代だ。しかも彼が所属するのは保守的な風土を持つオハイオ大学。ジェシーもまた当たり前のように白人から差別され、それに抗議することの無意味さが骨身に沁み付いている。

そんな彼がベルリン大会で旋風を起こす。ユダヤ人の迫害を正当化しようとする目的のベリリン大会で、人種に優劣などないということをたった数十秒で世界中に知らしめ、優生思想の誤りを身を以て示した。

本作は黒人差別と戦った黒人の物語ではなく、差別と戦ったひとりのアスリートの物語だった。

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出典:USA Today

 

日本のテレビでもオカルトの類でユダヤ人陰謀説が真しやかに伝えられたりするが、ユダヤ人はこういった予防線で守られた分かりにくい差別からナチスのような直接的で暴力的な差別まで、約3500年にわたって受けてきている。迫害に対抗するために一致団結するという当然の反応さえも、陰謀の一環に結びつけるバカは「出エジプト」の時代からインターネットの現代までしぶとく生き続けている。

そして近代の差別の歴史には必ずユダヤ人がいる。エリート層に中心とした近代ユダヤ人のアイデンティティーには反差別という意識が強く、公民権運動、女性差別、労働者の権利、といった社会的闘争にはユダヤ人は率先して参加してきた。

こういった背景を頭の片隅に置きつつ鑑賞していると、本作のテーマはより明確になるだろう。

物語は二部に分けられる。

無名の陸上選手だったジェシーが、オハイオ大学に進学し、白人の名コーチと出会うことで才能を開花し、オリンピックの舞台を目指すまでの前半部。ここではアメリカにおける黒人差別が描かれる。1930年代のアメリカ南部では黒人というだけで白い目で見られ、差別意識を直接向けられることになる。ジェシーはそのなかでひたすら耐え続ける。彼には戦うことの無意味さがわかっていた。戦ったところで勝ち目はない。白人に歯向かえばそれだけで刑務所に送られ、ともすれば殺されてしまう。きっと彼の周りにはそうなった人がいたはずだ。寡黙で感情を無くしたような父親はまさにそういう人だったのかもしれない。

しかし彼は類まれな陸上選手としての能力で徐々にその差別を乗り越えていく。途中で調子に乗ってしまうこともあるが、彼はスポーツという公正なルールのもとでチャンピオンとなる。その説得力に勝るものはない。

そしてベルリン大会に参加することになったジェシーは、黒人差別という「自分だけの差別」からユダヤ人迫害という「誰かの差別」とも戦うことになる。黒人の自分がベルリン大会で活躍することは、ナチスの優生思想の誤りの証左にもなる。

 

本作は主人公ジェシー・オーエンスを演じたステファン・ジェームズ以外にも脇役が光っている。普段はバカコメディに出演することが多いジェイソン・サダイキスがオハイオ大学の名コーチであるラリーを演じ、アメリカスポーツ会の重鎮でのちにIOC会長となるアベリー・ブランテージをジェレミー・アイアンズが演じている。他にもベルリン大会の模様を収めた記録映画『オリンピア』で監督を務めたレニ・リーフェンシュタールをカリス・ファン・ハウテンが演じている。

人物設定や、プロットの細部について歴史に必ずしも忠実ではない部分もあるが、その変更点が作品のテーマと結びついているので大きな問題とも思わなかった。それぞれがそれぞれの信念で差別と戦おうとする姿が描かれる。ジェレミー・アイアンズが演じるアベリー・ブランテージは実際は親ナチスだったとも言われているが、テーマを絞る意味でもそういった描写は省かれている。

しかし本作は差別との戦いを描いた映画というだけでもなかった。ジェシーはスポーツの政治利用とも戦っていた。ナチスが政治利用したベルリンオリンピックに、対立国は「反ナチス」という政治的思惑で参加していた一面もあった。オリンピックに黒人を活躍させることでナチスの鼻を明かす。これもまた反差別という建前があったとしてのスポーツの政治利用として決して褒められたものではない。そこにスポーツの公正さや美しさはない。

しかしジェシーは大観衆が集まったスタジアムでスタートラインに立つとすべてのノイズを無視することができた。これは黒人である彼が身につけてきた処世術であり、「ノイズ/Noise」と「ヴォイス/Voice」の違いを彼は経験的に分離することができた。だからジェシーは反ナチスという政治利用されることでの苦しみやプレッシャーからも逃れることができた。彼にとってただ誰より速く走り、誰よりも遠くへ飛ぶことが重要だったのだ。

走っている時、彼は自由だった。人種差別も政治利用も彼の速さにはついてこれなかったのだ。(了)

『栄光のランナー 1936ベルリン』:

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栄光のランナー 1936ベルリン
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