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映画『A Monster Calls(怪物はささやく)』を原作小説から解説/最新情報

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孤独な少年と怪物の不思議な関係を描く『A Monster Calls(怪物はささやく)』を原作小説から徹底紹介!リーアム・ニーソン演じる樹木の怪物がひとりの少年の前に現れた意味とは?

冒頭だけを残し亡くなった作家シヴォーン・ダウドの原案を『混沌の叫び』シリーズのパトリック・ネスが引き継いで完成させたヤングアダルト向け小説を、『ジュラシック・ワールド』続編の監督にも抜擢された注目監督J・A・バヨナが完全映像化する『A Monster Calls(怪物はささやく)』を原作から徹底解説します。

孤独な少年の前に突如として現れた巨大な樹木の怪物。これは夢か、それとも現実なのか?

少年の危うくも純粋な心の動きを怪物を通して見事に描いた原作小説を、豪華キャストとスタッフで映画化する話題作。樹木の怪物を演じるのはリーアム・ニーソン。少年の母親役には『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』のフェリシティ・ジョーンズ。その母親で少年の祖母役を『エイリアン』のシガニー・ウィーバーが演じる。

原作小説はとにかく泣かせます。

原作小説『怪物はささやく』あらすじ

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13歳の少年コナーは深く傷ついていた。

両親が離婚してからずっとふたりで暮らしていた母親は病に冒され入退院を繰り返し、体力は徐々に落ちている。

学校ではいじめられていた。母親が病気なことを学校のみんなに知られ、コナーはクラスで浮いていた。

母親はこれまでの治療法では効果が薄く、新しい治療を試すのだけど衰弱は激しくなる。父親は再婚しアメリカに移り住んでいて、このままでは大嫌いな祖母と一緒に暮らすことになってしまう。

すべてに絶望したコナー、、、そしてある夜、時計の針が12時を回ったあたりで、怪物が現れた。家の前に生えるイチイの木の姿をした怪物で、それはコナーに話しかける。

わたしが三つの物語を語り終えたら、今度はおまえが四つめの物語をわたしに話すのだ。ーーーそのためにこのわたしを呼んだのだから

これは夢なのか、幻なのか、それとも本当に少年が怪物を呼んだのか?

夢と現実、嘘と真実、愛と憎しみ、労りと怒り、、、少年の抱えきれない様々な感情は爆発しようとしていた。

映画『A Monster Calls(怪物はささやく)』のスタッフ&キャスト

2016年10月21日全米公開の映画『A Monster Calls(怪物はささやく)』のスタッフとキャストをご紹介します。原作の意図を最大限引き出す魅力的な布陣となっています。

監督:J・A・バヨナ

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出典:El Pais

スペインのバルセロナ出身で、『パシフィック・リム』監督ギレルモ・デル・トロが製作総指揮を務めた『永遠のこどもたち』(2007)で高い評価を受け、2012年にはナオミ・ワッツがイワン・マクレガーと共演しアカデミー賞にノミネートされ『インポッシブル』でスマトラ島沖地震による津波に巻き込まれた一家の実話を映画化する。

そして近年はブラッド・ピットが主演した『ワールド・ウォーZ』続編を監督すると噂されるも、2018年公開の『ジュラシック・ワールド』続編のメガホンを取ることが決定。

期待の若手映画監督のひとり。

原作・脚本:パトリック・ネス

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出典:The Telegraph

ヤングアダルト向け小説を多く出がけ、これまでに『人という怪物』(2011)、『怪物はささやく』(2012)で英カーネギー賞を連続受賞し、2008年に発表した『混沌の叫び』シリーズの第1作『心のナイフ』で高い評価を受け、その後も『 問う者、答える者』『人という怪物』とシリーズを重ねている。

自著の映画化は『怪物はささやく』が初めてで、同時に脚本も担当する。

またBBC製作で『ドクター・フー』のスピンオフドラマ『Class』でに脚本を担当している。

そして代表シリーズ『混沌の叫び』の映画化も企画されており、監督には『Mr.&Mrs. スミス』のダグ・リーマンと交渉中で、脚本は『マルコヴィッチの穴』や『エターナル・サンシャイン』の奇才チャーリー・カウフマンが担当すると報道されている。

独特の世界観と少年少女の危うい心理描写を得意とする人気作家。

コナー・オマリー:ルイス・マクドゥーガル

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出典:Dailyrecord

誰にも言えない秘密を抱えながら、大きな絶望と向き合う主人公コナー少年を演じるのはルイス・マクドゥーガル。

『PAN 〜ネバーランド、夢のはじまり〜』ではピーターの友人ニブス役を演じ、『A Monster Calls(怪物はささやく)』以外にも2017年には『エンドレス・ラブ〜17歳の止められない純愛』のシャナ・フェステ監督作。ヴェラ・ファーミガ主演の『Boundaries』への出演も決定している。

怪物:リーアム・ニーソン

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出典:Independent

「少年に呼ばれて」出現したイチイの木の怪物を演じるのはリーアム・ニーソン。『ダークマン』で早すぎる孤独なスーパーヒーローを演じ、『シンドラーのリスト』や『マイケル・コリンズ』では高い評価を受け、その後はクワイ=ガン・ジンになったかと思うと突如アクションスターとして開眼した悲しい目をした巨躯の持ち主が、本作では樹木の怪物を演じる。

一本の木として太古の時代から人間の営みを見つめ続けてきた怪物が少年の前に現れた意味とは?

コナーの母:フェリシティ・ジョーンズ

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出典:Ed B on Sports

病床に臥すコナーの母親を演じるのは『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』にも主演するフェリシティ・ジョーンズ。離婚して以来コナーと二人きりで暮らしてきた母親が思い病気を患うことでコナーの心には大きな溝が生まれてしまう。一人では起き上がれないほどに弱りながらも希望を捨てない母親を演じる。

コナーの祖母:シガニー・ウィーバー

コナーが苦手とする祖母を演じるのは『エイリアン』シリーズのシガニー・ウィーバー。コナーが母親が重病を患う苦しさを感じている一方で、自分の娘が病に倒れる苦しさを感じている。コナーには優しい 母との対比によってその傲慢な態度が嫌らしく思え、母と離れて祖母と暮らすことを何とか回避しようとする。

少年の視点から描かれる原作ではこの祖母の存在が非常に意味深く描かれている。

映画『A Monster Calls(怪物はささやく)』の予告編

原作小説のポイントと映画の見所を解説!

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怪物。本物の、正真正銘の、怪物だ。現実の、ちゃんと目が覚めている世界に、怪物が現れた。夢のなかではなく、目の前に。部屋の窓のすぐ向こうに。

『怪物はささやく』 パトリック・ネス著、イヴォーン・ダウド原案、池田真紀子訳 p18

母さんのこと、学校のこと、将来のこと、そして恐ろしい悪夢のこと、、、そんなことを考えながらの真夜中、コナー少年の前に突然、怪物が現れる。夢のようでもあり、しかし現実としての痕跡も残す、樹木の怪物。巨大で横柄で圧倒的な怪物を目の前にしてもコナー少年は恐れおののいたりしない。そんな怪物よりも恐ろしい現実を抱えている。

しかし怪物は夜な夜な現れる。その目的は?

ある晩、怪物はコナー少年を締め上げ、脅した。それは不思議な脅しだった。

これから三つの物語をお前に聞かせてやる。その後、お前は四つ目の物語を話せ。真実の物語を。

怪物はコナー少年を知っている。ただ知っているのではなく、コナーが何かを隠していることを知っている。もしかすると何を隠しているのか知っているのかもしれない。しかしそれを語るのはコナー自身でないといけない、という。

こうして少年と怪物の不思議な交流が描かれる。怪物が物語を語り、そして最後には少年も自分自身の物語を語らなければならない。

物語はこの世の何より凶暴な生き物だ。怪物の声がとどろく。物語は追いかけ、噛みつき、狩りをする。

『怪物はささやく』 パトリック・ネス著、イヴォーン・ダウド原案、池田真紀子訳 p46

『怪物はささやく』は、当たり前だが、物語だ。正確には、物語ることの意味を主題とした物語だ。

その魅力とは多感な少年の波乱を通して、物語ることの効果と物語られることの意義の両方を、経験と力の集積としての「怪物」に象徴させていることだ。物語とは深層心理と同じとも言える。三島由紀夫がどれだけ経験主義的な作品を罵倒しようとも、彼自身のコンプレックスが滲み出る小説もまた、ある意味においては経験的な物語なのと同じように、あらゆる物語には作者の心理が表面から深層まで深く関与している。だから物語に一度取り付かれると、それはどこまで追ってくる。現実と夢、善と悪、味方と敵、、、あらゆる境界や倫理の崖を飛び越えて、物語は付きまとってくる。物語とは自分の心のなかから飛び出してきた御し難き何かなのだ。本作ではそれは「怪物」と呼んでいる。

『怪物はささやく』に登場する樹木のような怪物のことを思うと、ほとんど反射的にある怪獣が思い出される。戦後の日本人の深層心理から飛び出し圧倒的な恐怖と共感を同時に受けながら東京を灰燼に帰したアノ怪獣だ。アレは日本人総体としての怪物であり物語だった。だから日本が戦後に価値を見出せなくなると同時にスクリーンから追い出された。でもこの国が日本であり続ける以上、アノ怪獣から逃げることなんてできない。どんな時代にも必ず現れる。

そして少年も怪物から逃られない。それは彼自身が生んだ怪物だから。

孤独な少年に取り付いた怪物。原作小説にはモノクロの荒々しいドローイングが効果的に盛り込まれている。物語の舞台は目を背けたくなるような厳しい現実と、怪物が現れる虚実入り乱れる特殊な世界のみ。しかし本作はそんな厳しい現実から異界に逃げ込むことで少年が成長する物語ではなく、また現実の厳しさを前に異界が崩れ去る『パンズ・ラビリンス』のような物語でもない。ブリキのきこりも、ハプティダンプティも、牧神パンも出てこない。少年と怪物だけだ。

本作は物語を眺める物語ではない。物語に癒され、発見される作品だ。

物語は医学ではないし、精神療法の一分野でもない。物語を語ることで傷や痛みが直接癒されることはない。それでも自分で作ってしまった傷から生まれた物語に関しては、それを吐き出すことで癒せるかもしれない。

本作はヤングアダルト小説と紹介されるが、実際にはヤングでもないアダルトが読むことで一層の意味が生まれる作品だと思う。かつて自分が作り出した怪物など今はもう消えてしまったと思っている大人たちにこそ読まれるべきだと思う。

本作を読み始めた時に覚える「ダークホラー・ファンタジー」という印象は終盤になるとあっけなく覆される。本作が自分が忘れようとして忘れたつもりになっていた過去の記憶を強く刺激するのだ。コナー少年が怪物の物語を聞くことで、自分の傷から生まれた物語(=怪物)と向き合わざるを得ないことと同じように、長い間忘れようとして忘れたつもりになっていた、自分自身の怪物をもう一度思い出させてくれる。

あまり書きすぎるとネタバレに抵触しそうなのだけど、叙情的でありながら物理的な痛みや悲しみまでも描いた秀作だった。その気になれば一気に読んでしまえるくらいなので、2時間程度の映画に収めるにはちょうどいい。

少年の前に現れた怪物の意味とは何なのか?

なぜ怪物は物語にこだわるのか?

その答えは物語の最後にしっかりと明かされる。小説ですらうっかりするとヤられそうになったのだから、映画になれば(もちろん内容次第だが)ガッツリと持っていかれるかもしれない。

原作に数多くの絵が付けられていることからもイメージとの相性はきっといいはず。期待の監督がメガホンを取り、原作者が脚本を担当し、実力のある俳優たちが出演するのだから期待したい。

映画『A Monster Calls(怪物はささやく)』は2017年1月6日全米公開。原作小説も合わせてオススメです。

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