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映画『戦場のメロディ』レビュー

韓国の男性アイドルグループ「ZE:A」のイム・シワン主演で、朝鮮戦争で親を失った孤児たちによって結成された児童合唱団の歌声が人々の心を癒していく姿を、実話をもとに描いたヒューマンドラマ『戦場のメロディ』のレビューです。共演は『スノーピアサー』のコ・アソン。

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『戦場のメロディ』

日本公開2016年10月29日/ドラマ/124分

監督:イ・ハン

脚本:イ・ウンジュン

出演:イム・シワン、ユ・アソン、イ・ジュニュク、パク・スヨン

レビュー

別に大上段に構えて言うことでもないが、映画や小説といった物語における「感動」というのは人の手で生み出されるものである以上、そこには技術や方法論といったものが存在する。神話からはじまる物語の長い系譜のなかで、知らず知らずのうちに、「感動」というのは方法論として伝承されるようになり、やがては類型化されていく。そして活版印刷の普及によって、「感動」の類型化は一層に進み、映画作りにおいても技術的に「感動」を生み出すのはそう難しいことではなくなった。キャロル・ピアソンの『英雄の旅』を読み込めばギリシア神話からマーベルヒーローまでの英雄たちの類似性が理解できるだろうし、シド・フィールドの脚本術を勉強すればハリウッドで量産される「感動」の誕生を体系的に学ぶことができる。

しかしそこに書かれたものをただ愚直に実践しただけでは所詮は泣いて終わりの、量産型感動物語の枠からはみ出すことはない。ジョージ・ルーカスはキャロル・ピアソンの『英雄の旅』から影響を受けているが、『英雄の旅』があったから『スター・ウォーズ』が生まれたという単純な関係ではなく、彼自身の内部にあったイメージ以前の概念を具現化する助けになったに過ぎない(もちろん大変重要な契機ではあるが)。

感動的な物語を作るためには技術は既存の方法論を学ぶことは必要だ。しかしただそれだけではもはや「感動作」などとは呼ぶに値しないほどに、昨今の「感動」というのは類型化しており、見え透いた技術や方法論の多用というのは逆に観客を「感動」から遠ざけてしまうという矛盾を生んでいる。

つまり「感動」さえようとする物語になんかぜんぜん感動なんてできない、ということだ。

こういった書き出しからも分かるように朝鮮戦争を舞台として韓国映画『戦場のメロディ』は、観客を感動させるための類型的な技術や方法論に頼りきった結果、当初の目的である「感動」から最も遠い場所に着地するという結果になった。

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映画の序盤、『プライベート・ライアン』をマイルドにしたような朝鮮戦争の最前線の模様が描かれる『戦場のメロディ』は、朝鮮戦争中の韓国釜山で実際に孤児たちによって結成された「海軍児童合唱団」をモデルにして作られたという。

戦争の最前線で戦ったハン・サンヨル少尉(イム・シワン)は音楽学校出身という経歴もあって、戦友から推されるかたちで戦争孤児たちを集めた児童合唱団の責任者となる。そこには海外留学を経験しながらも孤児たちに寄り添う若い女性孤児院院長パク・ジュミ(ユ・アソン)がいて、心に深い傷を負った孤児たちと暮らしていた。

これまで戦争という非常事態のなか敵を殺すことが仕事だったサンヨル少尉は、その本当の犠牲者ともいうべき孤児たちと出会うことで、南北というう隔たりを超えた戦争の愚かさを痛感し、誰かを傷つけるのではなく、誰かを癒す活動をしようと児童合唱団の育成に力を入れる。

歌うことで徐々に本当の姿を取り戻していく子どもたちの姿は、やがては子どもたちだけの癒しではなく、戦争で傷を負ったすべての人々さえも癒し始める。

というストーリーからも分かるように本作は「韓国版サウンド・オブ・ミュージック」とも呼ばれるらしい。この表現を好意的に受け取れば「サウンド・オブ・ミュージックのような感動作」となるのだろうが、意地悪く受け取れば「サウンド・オブ・ミュージックから学んだ技術や方法論をそのまま児童合唱団に当てはめただけの作品」となる。そして実態は後者の方がより正確に作品の内容を示している。

一方で1965年に全米公開されて空前の大ヒットを記録した本家『サウンド・オブ・ミュージック』だが、その舞台であるオーストリアでは自主的に上映を回避する状態が続いており、その理由とは、物語が実際の戦争という史実に立脚しながらも、その戦争がもたらす複雑な人間模様や現実を「感動」を優先するあまりに完全に無視していると受け取られたからだ。自分たちの悲劇や苦難の歴史を、誰かの感動の出しにするために色々とこね繰り返されてはたまったものではない。その点においてのみ『戦場のメロディ』は確かに「韓国版サウンド・オブ・ミュージック」と言えるのかもしれない。

その細部についていちいち指摘していては日が暮れるほどに類型的な表現で埋め尽くされており、「粗暴ながらも根はいい不良」、「天使のような女性院長」、「妹思いの(可哀想な)お兄ちゃん」、「イケメンながらもトラウマを持つ主人公」、そして「ロリコンでヘタレの親日派ドラ息子」などなど、観ているこちらが恥ずかしくなるような簡単で見え透いた韓国的な感動方程式にひたすら頼った内容だった。

これでは戦争の悲惨さや孤児の窮状を出しにして感動を演出しているようにしか感じられず、「ほら、彼らはこんな辛くても頑張ってるんだから、観ているあなたも涙のひとつは流しなさいよ」と強要されるようで腹立たしい。その意味では同じく韓国映画の『ブラザーフッド』や、『永遠の0』、そして『パールハーバー』と同じ系譜の一作と言え、個人的には一番受け入れがたい種類の映画だった。

小手先だけの感動演出に埋め尽くされる2時間のなか、ほとんど唯一の清涼剤が、責任感が強く妹想いの少年を演じたオ・ドングくんの迫真の演技だった。しかし劇中での彼の行く末を見るに、感動させるために子供の一人や二人死んでも仕方ないという制作側の安易な思考が透けて見えるため、全く救いがないのだった。

『戦場のメロディ』:

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