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映画ジャーナル<ビーグル・ザ・ムービー>

『グローリー/明日への行進』レビュー ★★★★★

1965年にマーティン・ルーサー・キング牧師に先導された、アラバマ州セルマからモンゴメリーまでの黒人の権利を求めた行進を題材としたドラマ。これまで権利問題で映画化が出来ないでいたマーティン・ルーサー・キング牧師の等身大の姿を、公民権運動でも重要な出来事のひとつであるセルマの行進を通して初めて描いた感動のドラマ。2015年6月19日に日本公開。

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『グローリー/明日への行進(SELMA)』

全米公開2014年12月25日/日本公開2015年6月19日/アメリカ映画/128分

監督:エイヴァ・デュヴァーネイ

脚本:ポール・ウェブ

出演:デヴィッド・オイェロウォ、トム・ウィルキンソン、カルメン・イジョゴ、ジョヴァンニ・リビシ他

主題歌:ジョン・レジェンド、コモン『GLORY』

あらすじ

1964年、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師は人種差別撤廃を求める運動を称えられ、ノーベル平和賞を授与される。一方で、時を前後してアメリカでは黒人による公民権運動への嫌がらせも激化、黒人主体の南部の教会が爆破され少女らが犠牲になり、またアラバマ州セルマに住む老女アニー・リー・クーパーは投票権を求めて役所に通いつめるも、無理難題を押し付けられ、黒人という理由で拒否され続ける。

合衆国憲法に明記される投票の権利を訴え、キング牧師は無抵抗による抗議運動の一環としてセルマでの行進を計画する。

アラバマ州知事ジョージ・ウォレスや保安官ジム・クラークによる暴力の他にも、FBIやジョンソン大統領からの妨害工作が行われる中、キング牧師とその支持者たちは、傷つきながらも、当然の権利獲得のために行進をはじめるのだった。

レビュー

過去から現在へと受け継がれる最良の伝記映画:

この手の公民権運動を背景にした映画では必ずその描写の正当性を巡って論争になる。例えば公民権運動家の失踪事件(史実)を扱った『ミシシッピー・バーニング』では、FBI捜査官が人種差別主義者を追い詰める内容となっているが実際には当時のFBIは公民権運動には否定的で、黒人を助けることはなかったとして映画には多くの非難が寄せられた。またスパイク・リーの『マルコムX』もいたずらに人種間の緊張感を高めるための演出が意図的になされていると非難された。そして本作もまた歴史描写、とりわけ当時のジョンソン大統領とキング牧師との関係性において歴史に忠実ではないと指摘される。

でもそれが一体何なんだろう、と本作を観て疑問に思った。もちろん歴史を都合よく修正することは非難に値するが、歴史に忠実であることが映画の使命であるという考えは理解できない。そもそも歴史に忠実な映画なんてものがあると本気で信じている人は、戦意高揚のために作られたプロパガンダ映画でも見ていればいい(今でもそういう映画がありますよね)。これは映画であり、物語であって、その評価とは描かれる「ポリティカル・コレクトネス」や歴史への忠実性で為されるわけではない。あくまで映画として評価に値するか、ということだ。その意味において本作『グローリー/明日への行進』は満点と評価したい。一人の、もう地球上にはいない歴史上の人物を、スクリーン上に現実感を伴って再現するという「伝記映画」の目的を完璧に達成している。

「伝記映画」であるが故に大体の結末は、このセルマの行進という出来事を知らなくても想像できるが、それでも後半の展開はスリリングでミステリで感動的である。また活動家としてのキング牧師と父親や夫としてのキング牧師の乖離もしっかりと描いており、ただ闇雲に彼を曇りなき歴史上のスーパースターとしてが扱わなかったことも、映画として正しかった。映画として良い作品を作るためには、時間を前後させたり、史実に脚色を加えるということは何も間違ってはいない。ジョンソン大統領をめぐる描き方も、映画としてラストを際立たせるために必要な脚色だし、それは彼自身の歴史的政治決断へと至る困難さの表れであり、いたずらに彼を貶める目的ではない。この映画で描かれなければならなかった点とは、人種差別そのものとそれに加担する人々が、いかに残忍で醜いものかという事実であり、それが映画として何よりも優先されるテーマなのだ。そして本作はそれをただ「白人と黒人」という安易な対立構造で煽っているわけでもない。

昨今の伝記映画が華やかなハリウッドの映画界において、実はマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を主題として扱った作品はこれが最初である。理由としてはキング牧師の物語において最重要プロットとなるだろう演説に関する内容の権利全てが遺族によって管理されており、やっとそれをまとめてオリバー・ストーンが映画化しようとしたら、その脚本が遺族から許可されずに結局は頓挫してしまった。つまりこの込み入った権利関係を解決しない限り、キング牧師の例えば『I Have a Dream』で有名なワシントン大行進をクライマックスに映画を作ろうとしても、一番重要な『I Have a Dream』が使えないのだ。

そのため本作にはキング牧師の有名な演説は使用されていない。彼が演説するシーンでも、権利問題に抵触しないように全てリライトされている。だからこそ敢えてワシントンやメンフィスでの演説ほどに有名ではない、モンゴメリーでのそれをクライマックスとするために「セルマの行進」が選ばれたのだろう。しかし主演のデヴィッド・オイェロウォの熱演と相まって、それがリライトされたものだとは全く感じさせない現実感と説得力があった。

本作はアカデミー賞ではほとんど無視される形で、唯一の受賞が主題歌賞だった。映画にも出演するコモンが受賞式で語った、「(セルマの)この橋は希望の上に建てられ、共感により強化され、そして世界中の愛によって架け上げられたのです」という言葉はまさに映画のテーマと重なる。そして今でもこの橋が人種差別への抵抗の象徴となっていることは、未だその戦いが続いていることを意味している。

ファーガソン、ニューヨーク、そしてボルティモアと黒人の怒りが暴力へと変わりつつあるアメリカにとって、本作はただの歴史的テキストとしてではなく、現代の処方箋としても非常に価値ある一作だ。映画のラスト、「行進を続けよう」という合唱のあとに、コモン&ジョン・レジェンドの『グローリー』が流れたところで、本作はほとんど完璧の域に達した。その瞬間に過去と現代が結ばれ、すべての価値は共有される。

映画として、本当に、完璧なエンディング。

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ということで『グローリー/明日への行進』のレビューでした。それにしても日本は「明日へ」という文句が大好きですね。『グローリー』といえば同じく黒人(デンゼル・ワシントン)を主役とした南北戦争映画もあるのでややこしいです。でも内容は本当に素晴らしく、星取りを始めてから最初の5点満点を付けさせてもらいました。別に「正しい映画」だからという訳ではなく、映画としての感動が突き抜けていました。でも公民権運動の予備知識がない方は1960年代半ばという時代を少しでも予習しておいたほうがいいと思います。ケネディ大統領、そしてキング牧師と対照的なマルコムXは暗殺され、ベトナム戦争への本格介入などなど公民権運動が様々な問題と連動していた時代です。また本作で描かれるアラバマ州知事ジョージ・ウォレスは民主党の政治家で人種隔離に固執した人物であるも、晩年に家族とも疎遠となるなか唯一手を差し伸べてくれたのが、自分が徹底して排除してきた黒人であったことから後に当時の政策を謝罪しています。やはり差別とはいつかは歴史によって正される運命にあるのでしょう。

日本公開は2015年6月19日。これは必見です。

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