本年度アカデミー賞最多ノミネートの超話題作『ラ・ラ・ランド』のレビューです。『セッション』のデミアン・チャゼル監督がライアン・ゴズリングとエマ・ストーンを主演に迎えて贈る、珠玉のロマンティック・ミュージカル。「夢だけが現実を超えられる」
『ラ・ラ・ランド』
日本公開2017年2月24日/ミュージカル/128分
監督:デミアン・チャゼル
脚本:デミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド、J・K・シモンズ
『ラ・ラ・ランド』レビュー
デミアン・チャゼル監督が『セッション』そして『ラ・ラ・ランド』と相次いで「JAZZ」を描く理由とは、ジャズファンである彼自身が「遠くない未来に、ジャズはなくなっているのでは?」という焦燥感に背中を押されてのことだとインタビューで明かしている。この感慨自体は何も珍しいものではなく、一部ではとっくの昔にJAZZは死んだものとされ「いったい誰がJAZZを殺したのか?」という議論さえもすでに飽きるほど掘りつくされた感がある。ある人はJAZZを殺した犯人はビートルズだといい、別の人はマイルス・デイヴィスの電子化やオーネット・コールマンの自由さを首謀者とする向きもある。しかしいずれも決定的な証拠に欠け、JAZZ殺しの犯人は未だ不明だ。
そもそも「JAZZは死んだ」という前提さえも曖昧で、JAZZの遺体は発見に至っておらず、場末のバーや観光客向けの高級ラウンジなどでは今でもその残り香を嗅ぐできるが、それさえもJAZZがゾンビ化しただけだと捉える風潮も根強い。何にせよJAZZが古ぼけた音楽ジャンルとして享受されている現実は間違いない。
『セッション』では世界最先端の都市NYを舞台に「JAZZが死んだとする理由」と「JAZZは死んでいない理由」という双方の意見を夢と狂気の世界を通して描いて見せたデミアン・チャゼル監督は、この『ラ・ラ・ランド』で「JAZZはまだ救える」という確固たる信念を、ミュージカル・ロマンスという映画界ではJAZZと同様の立場に立たされつつある斜陽ジャンルを通して、華やかに描き切った。
この映画の肝とは、若き監督の滅びゆく文化への切実な叫びが、ロマンス映画やミュージカル、そして「自分の夢はもう叶わない」と諦観する全ての人々の落胆に成り替わり、「いや、まだ終わっていない」とその背中を強く押してくれるところにある。このたった一本の映画を通してデミアン・チャゼル監督が証明した真理というのは、現在のエンターテイメントに息づく落胆を見事に看破するものとなった。
色彩鮮やかな二人舞台
ストーリーはシンプルだった。
売り出し中の若手女優ミアと、時代遅れのジャズピアニストのセバスチャン。二人の出会いは最悪だったが、夢見るようなキャリアが作れずカフェの店員をしているミアと、ジャズを愛するが故にピアニストの仕事を失ったセバスチャンは、お互いの境遇に似たものを感じたのか、惹かれあっていく。
夢と現実のギャップに悩まされながらも、ミアとセバスチャンは互いを運命的な相手と理解すつつ、それぞれの夢に向けて歩き出していく。
という字面にすればありふれたストーリーでしかないのだが、音楽や会話、そして色彩やカメラワークといった映画的要素の全てが、一本線で引かれたシンプルなストーリーラインに厚みと説得力を持たせていく。
特に映像のグレーディングに関してはそれだけで長文を描きたくなるほどに見事だった。あらゆるシーンに細心の注意が払われ、インテリアから服の色、照明の色温度からコーヒーのシミまで全てが「カラースキーム」と呼ばれる綿密な色彩計画に沿って演出されている。
デジタル処理が当たり前になったポストプロダクション作業では、シーンごとの配色や色の関連性を決定し、インテリアやファッションなど色彩が必要とされるアイテムを選定していく。その際に作られるのが「カラースキーム」という色彩計画表で、映像を見ている人が無意識に不快感を覚えたり、作品のテーマと違う感情を想起させないようにするために配色をコントロールするためのもの。
例えばこの一枚の画像からでも『ラ・ラ・ランド』のテーマの一つが考察できる。
バウハウスのマイスターだった芸術家ヨハネス・イッテンは赤、青、黄、緑の4色を等間隔に配することで、その色彩は一つのキャンバスで調和すること(テトラ―ド配色)を発見したが、本作にはそういった古典的な色彩表が数多く引用された結果、映画としては見たこともないような新しいものが出来上がった。
映画におけるグレーディングの流行り廃りはデジタル時代に顕著に現れ、例えば『トランスフォーマー2』の後には人肌を強調するための「青緑(Teal)補正」があらゆる映像分野で大流行した。しかし「青緑補正」はあまりにもデジタル臭が強すぎて、映像の「作り物感」を際立たせることにもなり、この最先端はあっという間に古臭くなった。一方で「シネスコ」の幅広で粒子の粗い『ラ・ラ・ランド』の映像は、デジタルでは無意識に拒否されがちな原色を強調する古典的な色彩表との相性が抜群だった。
古い価値もアプローチの方法によっては全く新しい価値を生み出すことができる。その色彩一つからでも『ラ・ラ・ランド』のテーマがストーリーだけでなく画面上にも重層的に盛り込まれているのかわかる。
JAZZを殺した犯人は「諦め」だ!
本作はジャンルとしてはロマンティック・ミュージカルということになるだろう。
華やかなラブストーリーをミュージカル仕立てで描くという手法は「かつて」のハリウッドで愛された形式であって近年はほとんど製作されていない。ミュージカル映画の傑作といえば50年から60年代に集中し、近年で話題を呼んだミュージカル映画といえばリメイクかブロードウェーの映画化であり、どこまで行っても古い印象は拭えない。きっとミュージカル映画ファンはその古さの中に価値を見出しているのだろうが、それは現在のJAZZを巡ってデミアン・チャゼル監督は抱いた焦燥感と同じ状況なのかもしれない。
古いものをただ古いものとして嗜好する限り、それはいつか必ず、死ぬ。
JAZZもミュージカルもラブストーリーも、同じだ。
ジャンルが死ぬ時とは、そのジャンルが持つ新しい可能性を信じられなくなった時、つまり諦めだ。これはJAZZやミュージカルだけの話ではなく、あなた自身の夢にも同じことが言える。あなたの夢が老いさらばえ、ただ死を待つだけの存在となった時、それはあなた自身がその夢を諦めて殺したに過ぎない。
夢を持ち続ければ、きっと時間さえも超えられる。そして夢だけが現実を超えられる。
そんな青臭い人生訓を、1985年生まれの若造監督は映画史に残る名シーンの数々と極上の音楽を通して、臆面もなく訴える。古株のジャズファンやミュージカルファンには耳が痛いところだろうが、本作の完成度こそがそのテーマの正しさを証明する結果となっている。
『ラ・ラ・ランド』:
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