『キャプテン・アメリカ』のクリス・エヴァンスが初監督した『Before We Go』のレビューです。最悪の状況で出会った二人の男女がお互いに率直に語り合ううちに縮まっていく一晩の出来事を描いたロマンティック・コメディ。共演はアリス・イヴ。
『Before We Go』
全米公開2015年9月4日/日本公開未定/ロマンティック・コメディ
監督:クリス・エヴァンス
脚本:ロナルド・ベース、ジェン・スモルカ、クリス・シャファー、ポール・ヴィクネアー
出演:クリス・エヴァンス、アリス・イヴ、マーク・カッセン
レビュー
確か蓮實重彦御大だったの思うのだが、普通の作品が普通に観られることが難しくなった現代の映画状況においては、普通の映画という表現もまた褒め言葉になるという風な文章を書いていたことを覚えている。その時は「なるほどね」くらいにしか思わなかったのだが、最近のアメコミ映画でさえも政治的で、青春映画でさえも終末的であることが珍しくない風潮に直に接すると、「普通であることが普通に素晴らしい」というセックスレス夫婦の自己肯定のような言葉にも「然もありなん」と納得してしまう。
そんな訳で無性に「普通」の映画が観たくなり、今なお「普通」が大手を振っているだろう恋愛映画のひとつでも観てみようと思った。しかも有名俳優が出演していて、その有名俳優が初めてメガホンを取っているというのだから、これは「普通」な映画に違いない。
『キャプテン・アメリカ』でおなじみのクリス・エヴァンスが主演と初監督を務める本作『ビフォア・ウィ・ゴー/Before We Go』は、タイトルがリチャード・リンクレイター監督の傑作『ビフォア・サンライズ』に似ているとか、内容も偶然出会った男女が一晩を朝まで一緒に過ごすということでそっくりじゃないかとか、そういう文句は映画を観てからにすればいい。
物語は深夜の駅構内ではじまる。
ジャズトランペッターのニック(クリス・エヴァンス)は訳あって思案中。これからどこへ行くべきか迷っていた。その前を一人の女性が駆け足で通り過ぎていく。そしてニックの目の前で携帯電話を落としながら、最終列車に飛び乗ろうと改札へと消えていく。しかしどうやら乗り過ごしたようだった。ニックが壊れた携帯を拾って返してやるも、彼女は途方に暮れたように呆然としていた。
彼女の名前はブルック(アリス・イブ)。彼女も訳あって今晩中に家に帰らなければならなかった。しかし財布を盗まれタクシーで家まで帰ることもできなかった。そんな彼女を見兼ねてニックはタクシー代を肩代わりしてあげようとするも、カードが使えない。
夜の冬空の下、それぞれにとって最悪の状況で出会った男女は、夜が明けるのまでを一緒に過ごしながら徐々に本音を語り合うようになる。
御大が言うように「普通」という表現は褒め言葉なのだろうが、本作は「普通」というにはおこがましい「毒にも薬にもならない」映画でしかなかった。
というかタイトルも中身も、ほとんどそのまま『ビフォア・サンライズ』だった。若いアメリカ人旅行者とフランス人女学生がヨーロッパの電車内で出会った偶然からウィーンの街で翌朝までを過ごすというこの超有名作品が経年劣化しただけの作品だった。本作に登場するプロットでも、公衆電話の受話器をとって過去の自分に電話をかける遊びや、終盤に登場する占い師、そして視線が合うようで合わない密室空間など「デジャヴュ」と言うには生ぬるく、「パクリ」と言うには無邪気すぎるほどに、本当にこの監督は何十年の氷漬けになっていて恋愛映画の傑作『ビフォア・サンライズ』を観た過去を忘れてしまったのではないのかと心配にもなってくる。
この映画、一言で言えば、「クリス・エヴァンス、頭でも打ったのか」に尽きる。
また物語の象徴としてフランス語の『dépaysement/デペイズモン』という言葉が繰り返し登場するのだが、なんか色々と間違っているんじゃないかとハラハラした。本作では『dépaysement/デペイズモン』という言葉を「途方にくれる」という意味で使っているのだろうが、そもそもこの言葉はシュールレアリズムにおける一つの手法で、モナリザに口ひげが生えていたり、魚の下半身が人間だったり、現実的にはあり得ない組み合わせのことを意味し、「途方にくれる」のはそれを目にした反応なのだ。
『ビフォア・サンライズ』に似ている『ビフォア・ウィ・ゴー』というタイトルなんだからもちろん内容では全然違う作品だと思ったら大間違いで中身も一緒でしたという『dépaysement/デペイズモン』なら哲学的としか言いようがないし、それこそ蓮見御大が指摘するようにな「普通」がない現在の映画状況のねじれを体現しているとも受け取れるのだが、もちろんそんな意図は絶対ないだろうと断言できる。
「最悪だったはずの夜が最高になるとき、、、」という一文だけを頼りに深い考えもなく一本の映画を撮ろうとしたら、自ずと過去の名作にすり寄って行ってしまっただけだ。
確かに主演のクリス・エヴァンスとアリス・イブは魅力的な組み合わせだった。ジャズトランペッターという設定が鼻に付くかもしれないが、後半に二人が苦し紛れに「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」をセッションするシーンなんかは全然悪くない。でもそんな悪くない細部も、それ以上に本編を埋め尽くす既視感と不感症気味の演出に台無しにされてしまっている。おかげで二人が徐々に明かしていく秘密や過去に全く感情移入できない。
「普通」の恋愛映画が観たいと思うのなら他を当たった方がいい。これは「普通」でも「等身大」でもない「毒にも薬にもならない」映画で、そんな映画は観るだけ時間の無駄だ。それが何度目かであったとしても、もう一度『ビフォア・サンライズ』を観た方がずっと心地よい時間が過ごせるはずだ。
『Before We Go』:
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