ナタリー・ポートマンが主演・製作を務める『ジェーン』のレビューです。『ウォーリアー』のギャビン・オコナー監督がメガホンを取り、 正義の復讐を描く「現代的」な本格西部劇。共演はユアン・マクレガー、ジョエル・エドガートン。
『ジェーン』
全米公開2016年1月29日/日本公開2016年10月22日/ドラマ/98分
監督:ギャビン・オコナー
脚本:ブライアン・ダフィールド、アンソニー・タンバキス、ジョエル・エドガートン
出演:ナタリー・ポートマン、ユアン・マクレガー、ジョエル・エドガートン、ノア・エメリッヒ
レビュー
ギャヴィン・オコナー監督の『ウォーリアー』(,11)を機内で鑑賞してしまったときは、本当に後悔した。ジョエル・エドガートンとトム・ハーディという当時はそこまで有名でなかった俳優たちが演じる兄弟の陰陽が、総合格闘技のリングのなかで溶解していくストーリーは、尋常ではないほどの興奮をもたらした。あの機内の慎ましい画面と、慎ましい機内の雰囲気に合わせた飛行機用編集さえも気にならなくなるほどに素晴らしい作品で、それ故に、初見を劇場で経験しなかったことが悔やまれた。
その後、ギャヴィン・オコナー監督はテレビドラマの『ジ・アメリカンズ』の製作に加わったため映画監督としてはなかなか新作が更新されていなかったのだが、2016年からその動きが活発になった。
まずギャヴィン・オコナー監督がナタリー・ポートマンを主演と製作に、そして『ウォーリアー』でもタッグを組んだジョエル・エドガートンを俳優としてだけでなく脚本家としても迎い入れて作れらたのが本作『ジェーン』で、その次の作品にはベン・アフレックが会計士兼暗殺者を演じる『ザ・コンサルタント』が控えている。
つまり今注目の監督がギャヴィン・オコナーで、この『ジェーン』もまたいやがうえにも期待が高まる。
物語の舞台は西部開拓時代の荒野。慎ましい生活を送るジェーン(ナタリー・ポートマン)だったが、ある日夫のビル・ハモンドが瀕死の状態で家にたどり着く。ビルは冷酷なギャングのリーダー、ジョン(ユアン・マクレガー)に襲われ、命からがら逃げ帰ってきており、やがてジョンの手はジェーンとその娘が暮らす生活を脅かすことが明白だった。
夫を置いて娘と逃げなければジョンはビルを殺すだけでなく、ジェーンやその娘まで手にかけることは間違いなかった。
しかしジョンとの間に忘れることのできない深い因縁があったジェーンは、夫を捨てて逃げるのではなく、自らが銃を持って反撃する道を選ぶ。そのためにジェーンは一人の男を訪ねた。男の名はダン(ジョエル・エドガートン)。彼もまたジェーンとは切っても切ることのできない因縁で結ばれていたのだった。
プリクエル世代にとっては、ナタリー・ポートマンとユアン・マクレガーの共演というだけで『スターウォーズ』が連想されるが、本作には『エピソード2』から出演したジョエル・エドガートンも加わるわけで、楽しみは尽きない。実際にはオビ=ワンを演じたユアン・マクレガーが極悪人を演じ、彼と相対するのがオビ=ワンとは因縁深いオーウェン・ラーズを演じたジョエル・エドガートン。もちろん戦う王女さまアミダラを演じたナタリー・ポートマンも銃を持つわけで、『スターウォーズ』では消化不良だった戦いが西部劇として再現されるのかと期待もされた。
でも、期待しただけ虚しくなった。
その構成から『ウォーリアー』監督の新作と言われれば頷くこともあるのだが、結論から言えば、作品の出来栄えを比較すれば天と地ほどの差があり、本作『ジェーン』は「地」の方、つまり非常に退屈な作品に仕上がっていた。『ウォーリアー』ではしっかりと構築されていた緊張感が、本作ではぶつ切りとなって持続されることはなく、物語の展開上はシーンとシーンが繋がっているものの、そのシーン間の緊張感が全く繋がっていない。
本作では過去と現在の時制が交互で語られ、現在のパートで語られることのない秘密や謎が、過去のパートで明かされるという構造になっている。その点では『ウォーリアー』も同じで、『ザ・コンサルタント』の予告編でも同じような設定が見られるため、ギャヴィン・オコナー監督にとっては勝手知ったる方法なのだろう。
主人公ジェーンの夫がなぜギャングに襲われたのか? なぜジェーンは夫を見捨てないのか? なぜジェーンはギャングと戦うのか? ジェーンの過去とは? なぜジェーンは荒野にひっそりと暮らすダンに助けを求めたのか? そしてなぜダンはその依頼を受け入れたのか?
こういった疑問の数々が過去の回想パートで明らかにされるのだが、鑑賞中に「ギャヴィン、ちょっと待て!」と半畳を入れたくなること数回あった。
本作は「現代的」本格西部劇である。西部開拓時代を舞台とする場合、それはほとんど男の物語だった。しかし西部には男しかいなかったわけではなく、もちろん女もいた。そして彼女たちは常に男たちからの危険にさらされていた。2014年にトミー・リー・ジョーンズが監督した『ホームズマン(原題)/The Homesman』(日本未紹介)もそんな男たちが支配した西部に生きた女性たちの姿を、猛烈な自省を込めて描いた秀作だったが、本作ではそういった女性の視点からの開拓時代の不自由さを描きつつも、原題を直訳すれば「ジェーンは銃をとった」となるように、女性が男たちに立ち向かう物語として描かれている。
つまり男に軽んじられてきた女が遂に堪忍袋の緒を引きちぎって復讐する物語だ。事実、過去への復讐が本作のクライマックスになっている。
しかしそれらの回想シーンはやがて、ジェーンの復讐のモチベーションとしての役割を超えて、ほとんど作品の主題的部分と変わっていく。結果、100分弱というコンパクトな尺でクローズアップされるのは、登場人物たちの過去の因縁が主となり、様々な不幸やすったもんだがひたすら描かれる。西部開拓時代を生きた女たちの苦しみや悲しみを通して、ジェーンさえも知らなかった真実が描かれるのだが、彼らの過去とその因縁とは作品のクライマックスに向かうための助走であり、意味付けでしかないはずだ。たとえ「現代的」な視点を盛り込もうが、本格西部劇である以上、ゴールは間違っていけない。
もちろん西部劇で女性の自立を描くことが間違っているわけではないが、一般的には西部開拓時代には女性の自立は存在していなかったわけで、前述した『ホームズマン(原題)/The Homesman』のリアリティに比べると、非常にお粗末に仕上がっている。
さすがにラストの暗闇のなかでの銃撃戦は見応えがあったが、「本格西部劇」だったのはクライマックスだけで、そのほかの回想シーンは「現代的」な物語であり続け、その両者を無理やりにくっつけようとした結果、「現代的本格西部劇」という表現同様に、矛盾と無理が重なった作品となっている。物語の締め方も、夢でも見ているのだろうかと思うほどに甘ったるい。
この程度の貧弱な作品を見るくらいなら、手にするのにちょっとは苦労してもトミー・リー・ジョーンズが監督し、ヒラリー・スワンクが主演した『ホームズマン(原題)/The Homesman』をおすすめする。こちらは文字通り身を切る痛みに満ちた「現代を反映した西部劇」となっている。そして本作『ジェーン』に登場する痛みと比較すれば、本作の中途半端ぶりがよくわかるだろう。
『ジェーン』:
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