前川裕の小説「クリーピー」を黒沢清監督が実写映画化したサスペンススリラー『クリーピー 偽りの隣人』のレビューです。奇妙な隣人に翻弄されるうちに深い闇に引きずり込まれていく心理学者夫婦の恐怖を、映画オリジナル展開で描く。主人公の犯罪心理学者を西島秀俊、不気味な隣人を香川照之が演じるほか、竹内結子、東出昌大らが出演。
『クリーピー 偽りの隣人』
日本公開2016年6月18日/サスペンス/130分
監督:黒沢清
脚本:黒沢清、池田千尋
原作:前川裕
出演:西島秀俊、竹内結子、川口春奈、東出昌大、香川照之
レビュー
ウジ虫やミミズなどが音もなく這いつくばる不気味さを英語では「クルーピー・クローラー」などと呼んで表現する。そこからもわかるように「クリーピー/Creepy」とは「気味が悪い」という意味なのだが、正確なニュアンスとは、知らず知らずのうちにウジ虫が背中を這い上って生きている様を想像すればいいかもしれない。自分の手のは届かない背中の真ん中をゆっくりと音もなく這い回るウジ虫。
北九州監禁殺人事件の異様さをベースにしつつ、近年の日本犯罪史を賑わせる尼崎連続殺人事件、そして埼玉少女誘拐事件などのエッセンスを確実に取り組んだ黒沢清監督最新作『クリーピー 偽りの隣人』はまさに、ウジ虫が這い回るような気味悪さとともに、ウジ虫に取り憑かれた人々の混乱を黒沢的な冷淡さで高台から見下ろす醜悪さも兼ね備えた、90年代プログラムピクチャーが生んだ奇形児黒沢清の怪作だった。
しかも1999年の黒沢清監督作『ニンゲン合格』から現在のようにブレイクするまでに時間がかかった西島秀俊を主演に、狂気のホラークイーンと化した竹内結子、そして『蛇の道』から『トウキョウソナタ』まで黒沢作品ではおなじみの香川照之という「客が呼べる」キャストを配しておきながら、蓋を開けてみれば大衆とは無縁のはずの90年代黒沢清映画に回帰する底意地の悪さ。
物語は前川裕の原作小説『クリーピー』を原作としつつ、設定や結末などは映画オリジナルの(黒沢清的)エッセンスが付け加えられており、原作小説を読んでいても本作の魅力の嵩が目減りすることはない。
サイコパスによる殺人事件を専門的に扱っていた西島秀俊演じる高倉は、署内でおきた事件をきっかけに刑事を辞め、新しい家に引っ越し、そして大学で犯罪心理学を教えるようになる。
大学教授という仕事のなかで高倉は「趣味と研究」の一環として未解決のままとなっている一家三人行方不明事件の再検証を、警官時代の後輩でその事件の謎を追う野山(東出昌大)と一緒に開始する。
一方で高倉の引っ越し先の隣に暮らす西野家族の主人(香川照之)は一風変わっていた。ある時は非常に不愉快な態度をとったかと思えば、ある時には気さくで親切でもあり、つかみどころがない。高倉の妻(竹内結子)は近所付き合いに苦悩しているのか、徐々にふさぎ込むようになっていく。
やがて高倉は「趣味と研究」のはずだった一家三人行方不明事件の唯一の生き残りだった長女への接触のなかで、徐々に事件の真相へと近づいていく。そしてその場所は高倉が暮らす家に向かっていった。
黒沢清の映画を見ていて度々深く感心するのは、物語のテーマをそのまま体現するようなロケーションの絶妙さだ。『トウキョウソナタ』では線路沿いのどこにでもありそうで何かが違う一軒家を見つけ出し、本作では事件性も不確かな一家失踪事件の現場となった異様な集合住宅と、その事件と繋がっていく高倉の新居の内なる狂気までもが、そのロケーションによって完璧に表現されている。黒沢組のロケハン能力は途轍もない。
加えて本作では凶行の現場のセットも異様だ。少々やりすぎた感のあるセットも、香川照之の毎度の過剰な演技とお互いが殺し合っているため違和感がない。『悪魔のいけにえ』へのオマージュなのだろうが、その重そうな扉の向こう側には常識や倫理を全く受け付けない異世界が待っている。その見えない一線を越えれば、誰もが普通ではいられない。サイコパスのための空間であり、常識外という常識が通用する世界が再現されている。
現実という世界が内包する異世界。その二つの世界を行ったり来たり、もしくは行ったきりとなる物語。その不可思議な世界観を実現するために必要だったロケーション。そして普通に生活している者には気がつかない光と影の微妙なアンバランスを再現した照明のクオリティの高さ。物語そのものが持つ猟奇性に、映像的(もしくは黒沢清的)ニュアンスが加わることで本作はウジ虫が這い回るような気持ち悪さ(クリーピー)の表現に成功している。
この映画の奇妙さや気味悪さはなかなか言葉では伝えられない。「サイコパスを追う元刑事の犯罪心理学者」という大雑把なプロットでは伝わらない気味悪さの元凶とは、犯罪心理学者という存在の異様さが繰り返し強調されており、学問という趣味的な極みのなかにあって犯罪を趣味とする主人公の異様さも際立っているためだ。画面のなかに居心地のよいキャラクターがなかなか登場せず、やっと現れたと思うとあっという間に退場してしまう。観客が安心できるキャラクターから最初に消去されていき、最後には普通じゃない者しか残らない。この感じの悪さこそ黒沢清の真骨頂だろう。
『トウキョウソナタ』で結実した「人と人とは温かくなんて繋がれない。そして嫌悪感こそが繋がりの証拠」という圧倒的事実を、『CURE』を彷彿とさせる猟奇世界で描いた作品として本作は間違いなく「黒沢清」の作品である。どれだけカンヌ映画祭やベルリン映画祭で高評価を得たところで、黒沢清の育ちの悪さと底意地の悪さは隠しきれない。
おそらく本作を見た人の中には北九州監禁殺人事件における電気ショックの代わりとなる行為について疑問に感じることがあるだろう。しかし実際にはあれが何なのかという事実は物語上重要ではない。サイコパスの言動が犯罪心理学で立証できないことが強調されるように、人の心とは論理的に筋が通っているから懐柔されるわけではない。電気ショックだろうが、暴力だろうが、心理的虐待だろうが、麻薬だろうが、空間的圧迫だろうが、何だっていい。ウジ虫が死体の種類を選ばないことと同じように、手段や方法は重要ではなく、ただ人の心とは斯くも脆く、危ういものなのだ。
「蛇の道は蛇」、サイコパスの言動を理解するためにはサイコパスになってみるしかない。そして殊の外、サイコパスになるのは簡単なことなのかもしれない。
『クリーピー 偽りの隣人』:
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