映画『帰ってきたヒトラー』レビュー

ヒトラーが現代によみがえり、モノマネ芸人として大スターになるというドイツのベストセラー小説の映画化『帰ってきたヒトラー』のレビューです。1945年からタイムスリップして復活したヒトラーの眼に映るドイツ社会を通して描かれる社会派コメディ。

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『帰ってきたヒトラー』

日本公開2016年6月17日/コメディ/116分

監督:デヴィット・ヴェント

脚本:デヴィット・ヴェント

出演:オリヴァー・マスッチ、ファビアン・ブッシュ、カッチャ・リーマン、クリストフ・マリア・ヘルブスト、ほか

レビュー

2016年1月1日、戦後70年が経過したことで一冊の本がドイツで発禁を解かれ、出版が可能な状態になった。これまで長きにわたってそこに描かれる人種主義と反ユダヤ思想が問題視され、ドイツ国内では禁書となっていたのだが、戦後(=著者の死後)70年が経過したことで書作権も消滅したため、法的には解禁となったのだ。その本のタイトルは『わが闘争』で著者は、言わずもがな、アドルフ・ヒトラー。

1923年のナチス党員によるクーデター「ミュンヘン一揆」が失敗したことで獄中に入ったヒトラーは、その歪んだ思想を『わが闘争』として執筆し、1925年に出版。当初は毎年数千部程度の売れ行きでしかなかった。しかし1930年代に入りヴェルサイユ条約の「屈辱」から脱しつつあったドイツに世界恐慌の余波が襲いかかり、国内経済が破綻したことでくすぶっていた社会不安がナチスの台頭を招くと、その象徴として『わが闘争』は爆発的に売れ始め、戦後に発禁されるまでに約1000万部も出版された。冗談みたいな話だが結婚した夫婦に贈呈するための特別装丁の『わが闘争』があったり、銀細工が施された豪華版まであった。

ヒトラーの装飾された少年期の思い出や大衆心理の動向やプロパガンダの効果など、新婚夫婦に何の意味があるというのか? 現代の感覚からすればコメディですらある状況が、過去には真面目に行われていたのだ。

そして「もし現代にヒトラーが出現したら?」という過程をフィクションという枠内で「現実的」に扱った作品が『帰ってきたヒトラー』で、70年という時代のギャップに戸惑いながらも自分自身のモノマネ芸人として人気を博していくヒトラーの姿を「コメディ」として描いている。そしてその「コメディ」とは新婚夫婦に『わが闘争』を贈呈する滑稽さと全く同種のものに仕上がっていた。

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1945年、「ドイツ人は私の運動に値しない」と語り自害したヒトラーが、なぜかベルリンの空き地で目を覚ます。総統を前に敬礼すらしない不敬な人々に戸惑いながらも、ヒトラーは立ち寄ったキヨスクで、自分が2014年にタイムスリップしたことを知る。キオスクの新聞で情報を得るヒトラーだったが、そこにテレビ局を解雇されたばかりでネタを探していたザヴァツキが現れる。もちろんサヴァツキはヒトラーを本物とは考えず、手の込んだモノマネと面白がり、彼を連れてドイツ国内を旅しながら、民衆の反応をビデオに収める。

やがてその模様がネット上で話題になると、ヒトラーは人気番組に出演することになる。もちまえの演説力とカリスマ性で聴衆のハートをつかんだヒトラーは、他の人気番組にも出演し続け、そこでドイツ復活の必要性を説いて回る。最初は面白半分で聞いていた民衆だったが、そのなかから徐々にヒトラーの語る思想に共感する者たちも現れる、、、、

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ヒトラーが戦争犯罪人であることは明らかだ。しかしそれは「ヒトラーとは何者なのか?」という疑問に対する答えとしては不十分だ。戦争犯罪人はヒトラー以外にも世界中に存在したし、今でも存在する。ヒトラーとは悪魔である、と言い捨ててしまうこともできるだろうが菜食主義者でありタバコなど健康を害するものを極端に嫌うなど、ある面においてはひどく理性的だったヒトラーは堕落の象徴とも重ならない。

本作ではヒトラー本人(という設定)を圧倒的な悪としては描いていない。それどころかヒトラーの言い分に説得力までもたせている。腐敗政治、民衆を無視する経済、劣化するマスコミなどの公共財、それらに対する現代の民衆の鬱屈とした不安や諦めを、ヒトラーは怒りをもって看破する。「それは偉大なるドイツに背く社会の堕落である」と。そして反ユダヤ思想を巧妙に隠蔽しながら、民衆が共有する善悪ぎりぎりの隙間に入り込むようにして、ヒトラーは強いドイツの復活の必要性を説く。その言葉の瞬間的な強さは圧倒的だ。

物語の途中まで続く呑気なトーンのなかにあっては、このヒトラーの言い分に説得力を感じてしまうことになる。なるほどヒトラーも現代に生まれれば違った生き方があったのかもしれない。ヒトラーは重大な戦争犯罪をおかしたが、その思想の一部には耳を傾けるに値する部分もある、という具合だ。

しかし物語の終盤にトーンは様変わりする。それは歴史と現実とのギャップに常に横たわる実感の欠如がもたらす居心地の悪さだ。

物語を通して発せられる「ヒトラーとは何者か? 」という絶え間ない疑問に対する反射的な感想と、理性的な答えの間には大きな隔たりが生まれることになる。それが本作の肝だ。ヒトラーを肯定してはいけないという理性に対抗するように、反射的にヒトラーの言葉に整合性を認めてしまう感情内の矛盾こそが本作のテーマであり、本作を観終わった後の居心地の悪さの正体でもある。

この分裂気味の感情とはそのまま『わが闘争』の再出版をめぐる騒動にも当てはまる。その再出版の是非に関しては国論を真っ二つすることになった「危険すぎる」という反対意見と、ドイツ国民は十分に「理性的にである」という肯定意見は、決して混じらないものではない。そしてその矛盾をはらんだ不確かさこそが時として人間性と同義となり、そのなかにこそヒトラーの存在理由も見出される。ヒトラーという歴史を共有する以上は、ヒトラーが消え去ることはない。

終盤にヒトラーがタイムスリップした意味や影響が明らかになる流れは見事だった。映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』のパロディや序盤に描かれる呑気な珍道中との落差も素晴らしい。

それでもサシャ・バロン・コーエンの『ボラット』や『ブルーノ』と同じようなドキュメンタリー風の突撃風景は色々と生ぬるい。突撃するならもっと深くまで踏み込むべきだったし、ドキュメンタリー風映像の描き方も雑すぎる。失業中のテレビマンとヒトラーとの二人旅のはずが、映像では第三者がカメラを回しているし、にも関わらず映像そのものはドキュメンタリー風になっている。しかも意味不明なノイズまで演出している。おかげで二時間弱の上映時間が長く感じてしまう。テンポよく編集して90分ほどにまとめた方がよかったように思える。

誰もが納得する答えで終わる映画ではないが、その居心地の悪さこそが「ヒトラーとは何者なのか?」という疑問に対する最も率直な答えなのかもしれない。

『帰ってきたヒトラー』:

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帰ってきたヒトラー
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