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映画『ラビング 愛という名前のふたり』レビュー:この世界の片隅にあった物語

Loving

異人種間の結婚が違法とされていた1950年代の米バージニア州を舞台に、肌の色を超えて愛し合ったラビング夫婦の実話の映画化。愛を切り裂く差別的法律と戦った夫婦それぞれの葛藤を描く。監督は『MUD マッド』『ミッドナイト・スペシャル』のジェフ・ニコルズ。

『ラビング 愛という名前のふたり』

日本公開2017年3月3日/ドラマ/122分

監督:ジェフ・ニコルズ

脚本:ジェフ・ニコルズ

出演:ジョエル・エドガートン、ルース・ネッガ、マートン・ソーカス、ニック・クロール、マイケル・シャノン

レビュー:この世界の片隅にあった物語

1958年、バージニア州。

リチャード・ラビングは、恋人ミルドレッドが妊娠したことを知り結婚を決意するが、彼女は黒人だった。当時、バージニア州では異人種間の結婚は法律で禁止されていた。そこで2人は異人種間結婚が許されるワシントンD.C.で結婚し、夫婦である証明書を発行してもらった後、一緒に地元で暮らしはじめる。

しかしある晩、二人は保安官に逮捕され、離婚か故郷を捨てるかの選択を迫られてしまう。

本当にバカみたいな話だが、アメリカでは最高裁判決で憲法違反と判断される1967年まで、白人が黒人と結婚することを禁止する異人種間結婚禁止法が、南部の多くの州で存在していた。マシュー・マコノヒー主演の『ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男』でもその事情に言及されるが、法の審査を通っていない異人種間結婚で生まれた子供は私生児扱いとなり、そもそも自分の体に黒人の血が流れていることを知らなかったとしても、当時の州法では罰が与えられていた。

そして『ラビング 愛という名前のふたり』で描かれるのは、当たり前の愛情さえも法律で否定されてしまう社会のなかで、その当たり前の愛を守ろうとする男と、その愛のために戦うことを望む女の物語だった。

1950年代のアメリカが舞台で人種差別の愚かさを訴える映画は多く作られているが、本作はすこし異質だった。ジェフ・ニコルズ監督は、いわゆる「カタルシス」というものを、本作では意識的に排除している。

近年公開された同じ系統の作品たち、例えば『それでも夜は明ける』や『42 世界を変えた男』や『グローリー/ 明日への行進』では人種差別という理不尽な時代的状況を描きこむことで、観客の怒りや反発を醸成し、最終的にはその過ちを現代が糾弾することで物語としてのカタルシスを演出する。その際に重要となるのが当時の「状況」の描き方だ。

当時の黒人たちがどれほどひどい扱いを受けてきたのか。その詳細を明らかにすることで、観客たちは当時の合法的差別主義者たちに怒りを覚え、その感情を通して悲劇の主人公に感情移入する。『グローリー/ 明日への行進』の最後で映画の観客が熱く感動してしまうのは、1965年にセルマからモンゴメリーまで行進した人々と同じ「怒り」を共有したからだ。

そのためには当時の酷い状況を克明に描く必要がある。

状況ではなく心情で描く時代の過ち

しかし『ラビング 愛という名前のふたり』には観客の「怒り」を取り込もうとする意思が全くない。人種を超えてただ愛し合ったために故郷を追われた二人がどれほど不条理な差別を味わったのかという具体的状況は最低限しか描かれない。黒人女性と結婚した主人公男性への嫌がらせや中傷も劇中ほとんど登場しない。

一方、本作では迫害を受ける二人がそれでも深く愛し続けるお互いの「心情」に注目している。

白人警官に逆らえば刑務所にぶち込まれる状況への怒りではなく、厳しい現実の中でも互いの手を離さなかった二人の心情に対する共感によって成立している。

物語は白人男性を愛したために故郷を追われた女性が、その州法の不条理さを訴えた手紙をロバート・ケネディ司法長官宛に出すことで動き出す。その一通の手紙が様々な思惑を巻き込んで、やがては連邦最高裁で協議されることになるのだが、この一連の描写でも「鬱積した(させられた)感情が最終的に開放される」というカタルシスは描かれない。正義の勝利を声高に伝えるファンファーレも響かなければ、感情を盛り上げるような音楽もほとんど使われない。そのため「感動ドラマ」としては明らかにパンチが弱い。泣く準備としてハンカチを用意しても使いどころに困るだろうが、そもそも他人が味わった苦悩を追体験することでその悲劇を肩代わりしたつもりになることを拒否する映画なのだから仕方ない。

ジェフ・ニコルズ監督は日本未紹介の『Shotgun Stories』から『テイク・シェルター』、マシュー・マコノヒー主演『MUD -マッド-』、『ミッドナイト・スペシャル』と微妙に方向性が異なる映画を送り出している一方で、視点はいつも物語の日常に向けられており、その中でもっとも神秘的な「愛」が、常識を飛び越えていく姿を描いている。

『MUD -マッド-』では人殺しの、それでも純粋な愛を主題とし、『ミッドナイト・スペシャル』では超能力を持った「息子」への無償の愛が描かれたのと同じように本作もまた、政治的、もしくは時代的な解釈を経由した正しさとは無縁の作品なのだ。

そのため本編には政治的な映画に付いて回る騒々しさがない。正しさを巡る戦いや、その勝ち負けの詳細には一切こだわらず、作品の主題は二人が困難な時間をどのように寄り添ったのか、という点にのみフォーカスしている。

異人種間結婚の問題を描いた作品ではスタンリー・クレイマー監督の『招かざる客』(67)が有名だが、両者を見比べれば本作の非政治性がよくわかる。「ポリコレ」という概念が重荷になること少なくない現在において『招かざる客』はぜひ見て欲しい作品だが、現代の意識に頼らず、より普遍的で共有可能な心情の機微を丁寧に描こうとする本作の姿勢は静かな挑戦と評価できる。

対照的な夫婦の姿とその愛を演じたジョエル・エドガートンとルース・ネッガだけでなく、ジェフ・ニコルズ作品ということでマイケル・シャノンも素晴らしい。

近年どこを見ても「ポリコレ」を実践するために演出が過剰になり、当たり前のように映画向けに事実が脚色される中、本作の時代再現には賞賛の声が向けらている。徹底的に事実を調べ、そこにのみ立脚して困難な日常の中でも捨てられなかった豊かな感情を拾い上げる。

その意味で本作は良作というだけでなくアプローチの点でも『この世界の片隅に』と重なる部分が多かった。

『ラビング 愛という名前のふたり』:

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ラビング 愛という名前のふたり
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