シャーロット・ランプリング主演『さざなみ』のレビューです。結婚45周年を迎える夫婦の関係が一通の手紙によって揺らいでいく様を描き出した残酷な人間ドラマ。第65回ベルリン国際映画祭で主演男優賞と主演女優賞をそろって受賞した話題作。
『さざなみ/45 Years』
全英公開2015年8月29日/日本公開2016年4月9日/ドラマ
監督:アンドリュー・ヘイ
脚本:アンドリュー・ヘイ
出演:シャーロット・ランプリング、トム・コートネイ
レビュー
結婚45周年の記念パーティを週末に控えた月曜日からの6日間を描いた『さざなみ』は、月日というものの無情さを余すことなく伝えてくれるという意味で、残酷な映画だ。それは翌日に控えた文化祭のために全校生徒が細心の注意と多大な努力で体育館に埋め尽くしたドミノが、たった震度2の地震で台無しにされてしまうことと同じように、ひどく残酷なのだ。
イギリスの田舎で暮らすケイト(シャーロット・ランプリング)とジェフ(トム・コートネイ)夫婦は結婚45周年を盛大に祝うべく土曜日にパーティを開催することになっていた。しかしその週の月曜日にスイス政府よりジェフ宛に手紙が送られてくる。
それは50年前にジェフとともにアルプスをハイキング中にクレパスに落ちて死んでしまった当時の恋人の遺体が発見されたことを知らせるものだった。これまでの生活でほとんど思い出されることもなかったジェフの過去の恋人の遺体発見の知らせは、徐々に熟年夫婦の関係を侵食しはじめる。
月曜日から火曜日、火曜日から水曜日へと土曜日に少しずつ近づくにすれて、ジェフは物思いに耽るようになり、ケイトはそんなジェフの姿を通して50年前に死んだ見ず知らずの女性のことを想像せずにはいられなくなっていく。
そしてパーティの当日を迎える。
もうこの世に存在しない一人の女性の出現によって、45年という月日がもろく崩れ去っていく感情の機微をシャーロット・ランプリングが巧みに表現している。そして目の前で崩れ去っていく信頼の積み重ねを前にしてもジェフはその大事さに気がつかない。この二人の対照性は目を背けたくなるほどに残酷だ。
本作を「熟年夫婦の危機」という流行り文句だけで要約するには無理がある。ネグレクトや浮気、価値観の違いなどといった分かりやすく誰もが納得出来る危機は描かれない。それどころかこの裕福でリベラルな夫婦は今でもベッドを共にし、常に話し合い、そして誰よりも互いの性格を理解しているのだ。それがたった一通の手紙のせいで脆くも崩れ去っていく。45年という時間が、50年前に置き去りにしてきた過去によって無残にも破壊されてしまう。何とも不条理で残酷な物語なのだ。
しかしこんなことが本当にあり得るのだろうか?
こんなに呆気なく人間関係というのは崩れさていくものなのだろうか?
結論から言えば、そういったこともあり得るのだろう。少なくともこの映画を鑑賞中には作り物かという疑問符は一切点灯することなく、ミヒャエル・ハネケ監督作『愛、アムール』で描かれるような静かなリアリズムに貫かれた現実的な物語となっている。
その証拠に本作には匂いと気配が漂っている。50年前に死んだ恋人の出現からはじまる、崩壊の匂いと気配だ。たった90分程度の物語で描かれる6日間のなかで徐々に匂いを増していく腐臭のように、50年間放置されていた死が二人の関係を決定的に変えていってしまう。もちろんその前から予兆はあったのだろう。映画として描かれないだけで、それは45年間の間に人知れず屋根裏部屋で進行して行った腐敗であり、本作で描かれるのその腐臭の源の発見とその処理だと言える。そこに何かがあるという気配には言葉に出さずともふたりとも気がついていたはずなのだ。
50年前の恋人の知らせを受けたジェフは、ある晩突然に強い性衝動を覚え、妻ケイトをベッドに誘う。そして行為の最中にケイトはジェフに「目を閉じないで」と告げる。ジェフはその時はまだ気がついていないのかもしれないが、ケイトには彼の性衝動の原因にはっきりと気がついている。ジェフがその時抱いていたのはケイトではなかった。そしてジェフはあっという間に果てる。亡霊と交わるように相手の存在を透明なままとして尽き果て、そしてすぐに眠りにつく。
その後、眠りについたはずのジェフは屋根裏部屋で50年前の思い出を掘り起こす。それを知ったケイトは、屋根裏部屋に隠された腐臭はすでに家全体を覆っていることに気がつくが、すでにもう遅かった。
ジェフが正直に50年前の恋人のことを話したその前の晩、ケイトは彼女の髪の色を尋ね「そう、私みたいにダークブラウンだったのね、あ、、今は違うけど」と自分の老いがもたらす変化に自問自答した時ならまだジェフを取り戻せたのかもしれない。しかしたった1日後にはもうジェフの心は屋根裏部屋に囚われてしまった。腐臭のもとに望んで飛び込んでいった。映画全体を見通したのなら、その晩の出来事が重要さが理解できる。後戻りするか、突き進むのか、その分岐点だったのだ。
後日、ケイトは屋根裏部屋でジェフの思い出の品をはじめて盗み見る。現代の主婦が旦那の携帯電話を盗み見るように、ケイトはジェフが昔に撮影した写真のスライドを映写する。画面を分割して、左側にケイトの顔を写し、右側にスクリーンに映されたスライドの画像を並列するショットは、老いと若さ、もしくは過去と現実という単純な対比のみならず、死ぬことで得た清らかさと生きることで得た醜さと比較にもなっている。
本作はほぼ二人の演技だけで描かれているが、重点はケイト役のシャーロット・ランプリングの視点ということになる。そしてこの映画の成功の可否のほとんども彼女の演技によって決められ、結果、すばらしい作品となっていた。すばらしく残酷で恐ろしい物語なのだ。
主演のシャーロット・ランプリングは1974年の『未来惑星ザルドス』でエターナルと呼ばれる不老不死の種族の女性を演じていた。老いもなければ喜びも悲しもない無感情の世界で、やがては死を喜んで引き受ける仲間たちを尻目に彼女は現実と快楽の象徴ともいうべきショーン・コネリーとともに暮らすことを選び、感情を持ったまま老いを知り、そして死んでいく。それから40年後、シャーロット・ランプリングが『さざなみ』で演じた役柄とは、40年前に不老不死を捨てて感情を手にしたことを後悔するひとりの老女だったのかもしれない。
『さざなみ』:
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ということでシャーロット・ランプリング主演『さざなみ』のレビューでした。原題は単刀直入に「45 Years」ということでたった6日間で崩壊していく45年という軽さを前面に出しています。きっといつかぼくは本作のタイトルを『つぐない』と言い間違える日が来るでしょう。四文字で平仮名でイギリス映画とか紛らわしいのでやめてくださいよ。それでも本作のラストはすごいですよ。『ブルー・バレンタイン』のラブホシーン並みに突き刺さります。めちゃくちゃ怖いよ、ランプリングさん。『未来惑星ザルドス』との対比で思わず見入ってしまいました。人間は老いるんですよ。アカデミー賞に関する発言が問題視されている彼女ですがこの演技はすごいです。『愛の嵐』で見せたデカダンな色気も40年経つと現実的な怖さを纏うのですね。とにかくおすすめです。以上。
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