故アントン・イェルチン主演の血みどろスリラー『グリーンルーム』のレビューです。売れないパンクバンドが金のために出演したライブはネオナチの基地だった。殺人事件を目撃したための閉じ込められたバンドメンバーたちは生き残りを賭けてイかれたスキンヘッズたちと血みどろの殺し合いに打って出る。
『グリーンルーム』
全米公開2015年/日本公開2016年2月11日/スリラー/95分
監督:ジェレミー・ソルニエ
脚本:ジェレミー・ソルニエ
出演:アントン・イェルチン、イモージェン・プーツ、アリア・ショウカット、ジョー・コール、パトリック・スチュワート
『グリーンルーム』レビュー
2016年6月に不慮の自動車事故で亡くなったアントン・イェルチンが売れないパンクバンドのベースを演じる『グリーンルーム』は、パンクスが戦わなければならないもの、決して譲ってはいけないものついて描いた作品だった。後半には血みどろの殺し合いが描かれ、思わず目を背けたくなるようなグロいシーンもあるのだが、芯となるテーマは頑丈だった。
そのテーマとは「行動が思想を決定する。逆は不可」ということだ。
パンクス vs ネオナチの果てない殺し合い
売れないパンクバンドのメンバー4人は場末の出演依頼があればオンボロバンに乗って出かけるが、出演料はガソリン代にもならなず、いつだって金欠状態。そんな時、極右ネオナチ集団が根城にするライブハウスでの演奏依頼が舞い込む。反体制、反差別を標榜するパンクスの彼らだったが、金のためのその仕事を請け負うことを決意。
それでもネオナチが喜ぶ音楽を演奏するなんて御免だった。
ベース担当のパット(アントン・イェルチン)はバンドメンバーに「反ネオナチ」の歌をゲリラ演奏することを持ちかける。案の定ブーイングが起こり、ビール瓶がステージに投げ入れられるも、彼らは自分たちの出番を全うした。
約束通りの金をもらって帰ろうとした時、パットは控え室で殺人事件の現場を目撃してしまい、事件に関与したネオナチ軍団から命を狙われることになる控え室(グリーンルーム)に籠城することになる。外部との連絡手段を失ったパンクバンドのメンバーたちは生き残るためにネオナチ集団との戦いを余儀なくされる。
パンクが戦うべきもの
ストーリーはホラー映画の王道とも言えるシンプルなものだが、本作の「肝」は主人公たちがパンクスであり、彼らを脅かすのがネオナチだという対比にある。聞くところではネオナチのパンクバンドも実際に存在するということだが、一般的にパンクスとネオナチ的民族主義とは相容れない。そもそもパンクは社会的低層集団から生まれた運動な訳で、そこでは人種などは問題にされないのだ。それよりも自分たちにとっての大切な何かを奪い取ろうとする体制や権力と戦うことがパンクスの基本姿勢なのだと思う。
本作でも前提として描かれるように、現在、パンク人気は下火になっている。それはパンクスにとっての打倒対象とも言える体制の主体がかつてほど明確ではなくなっているからかもしれない。金持ちが反体制であっても不思議ではなく、逆にパンクスが高い服を着ている場合も珍しくない。最近ではパンクの仕掛人マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドの息子が、8億円相当の関連コレクションを「こんなもんは体制の産物だ」として燃やして話題となったが、彼の行動はパンクスでもその出自は全然パンクじゃない。
もう何がパンクで、何がパンクじゃないのかよくわからないのだ。
それは本作の主人公たちにも言える。音楽を演奏するためにガソリンを盗みながら全米を旅する彼らはパンクだが、それでも金に目がくらみ思想的には相容れない連中のために演奏することを同意する。
その果てに彼らはイかれたネオナチ集団に狙われるようになり、最終的には壮絶な殺し合いを余儀なくされる。
アントン・イェルチン演じるパットは自分たちがパンクスだということに自覚的で、だからこそスキンヘッズだらけのライブハウスで「ナチ・パンク、くたばれ」と歌うのだが、実際にネオナチ集団との戦いに突入するとブルってばかりで使い物にならない。頭の中はパンクだが、そのパンク思想が彼の行動と直結しているわけではない。どちらかといえば穏やかで、頭でっかちなタイプなのだ。
本作の見所とは、そんな自称パンクスのパットが自分の想いとは裏腹に周りの状況から本当のパンクスになることを迫られていく過程にある。話し合いで決着できる相手ではなく、敵は無制限に自分たちの大切なものを収奪しようとする。多勢に無勢で、連中は武器を揃え、人間狩りの用意もしている。それでも戦わなければならない。泣いて時間が巻き戻ることを待っても何も変わらない。戦え。生きるために、戦え。
パンクには思想も行動規範もない。自分や自分にとって大切なものを奪おうとする相手とただ戦うだけだ。パンクという概念はそもそも虚構であり、革命と戦いを経験した行動主体こそがパンクスなのだ。
本作の終盤、手負いのパットたちは銃を持った相手に対して、身近な道具と頭を使って反撃に出る。それは破れた汚いジーンズを安全ピンやテープで止めることで新しい価値を見出したパンクス本来の姿勢と重なる。小綺麗なショップに並ぶ大量生産されたパンクファッションに身を包むのではなく、戦いの中で負った傷をガムテープで繫ぎ止めることこそがパットにとってのパンクなのだ。
5億円ほどの低予算で作られただけあって舞台のほとんどは薄暗いライブハウスだけに限定されるのだが、空間的にも心理的にも圧迫された密閉空間から同時に解き放たれる時の激しい疲労が伴う開放感は特筆に値する。
自分が理不尽な理由で窮地に陥った時、泣いても何も始まらない。ところん怒るべきだ。怒りをエネルギーにして、憎悪のドアを蹴破るべきだ。ジョン・ランドンだってそう言っている。
『グリーンルーム』:
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