パキスタンの伝統音楽家たちが世界最高峰のジャズバンドと共演するまでを追った『ソング・オブ・ラホール』のレビューです。イスラム原理主義の台頭によって仕事を失っていくパキスタン伝統音楽の演奏家たちが畑違いのジャズに挑戦し、ニューヨークでウィントン・マルサリスと共演することに!絶品の音楽ドキュメンタリー。
『ソング・オブ・ラホール』
日本公開2016年8月13日/ドキュメンタリー/82分
監督:シャルミーン・ウベード=チナーイ、アンディ・ショーケン
レビュー
バンスリ、シタール、タブラ、ドーラク、ガタム、シュルティ・ボックス、、、、これらはみんなインド/パキスタンの伝統楽器。シタールやタブラはビートルズの影響もあって日本でも知られているが、その他は何がなんなのかピンとこない。バンスリとは竹を使った横笛で、シュルティ・ボックスとはアコーディオンのようなドローン音を持つリード楽器。タモリ倶楽部で紹介されていた。そしてガタムとは壺。どっからどう見てもただの土壺なのだが、タブラのように指や手のひらで叩くことでリズム楽器に様変わりする。
三味線や尺八や和太鼓と同じように、これらのインド/パキスタンの伝統楽器にも熟練の技が求められる。それは切れ間なく世代から次の世代へと継承されてくもので、文化と呼んでも差支えはない。そして一度途切れた文化は本当の意味で二度と復活できないことと同じように、伝統音楽もまた一度途切れてしまえば修復は難しい。
音楽の都と呼ばれたパキスタンのラホールは、1977年の軍事クーデーター以降、その芸術性を徐々に手放さざるを得なくなっていた。音楽を退廃の象徴と捉える宗教保守が台頭したせいなのだが、それはクルアーンの教えとはほとんど無関係のもの。そして現在、タリバンの台頭もあって状況はさらに悪化している。
かつての熟練音楽家たちは仕事を失い、音楽を諦め他の仕事に就く者を多い。そして有名音楽家でさえもテロの対象となってしまう。もはや彼らの演奏を聴くリスナーはパキスタン国内にはいなかった。あとは伝統音楽がただ死んでいくのを待つだけのはずだった。
しかし残された一部の伝統音楽家たちはそれでも音楽を続けるために国外に活路を見出した。イスラム原理主義の暴走で世界から冷たい目で見られることが多いイスラム教徒の彼らは、それでも音楽の力を信じ、畑違いのジャズに挑戦する。
そして海の向こうのNY。かつてイスラム原理主義の暴走によって深く傷ついたその都市からパキスタンの即席ジャズオーケストラに「イェイ!」という返事が届いた。
音楽ドキュメンタリー『ソング・オブ・ラホール』には大きく二つの挑戦が描かれている。
ひとつは母国パキスタンで音楽を続けるために伝統音楽家たちが畑違いのジャズに挑戦すること。
そしてもうひとつはその試みがYouTubeを通して世界中に知られると、現代ジャズ最高峰のウィントン・マルサリスの耳にとまりNYに招待され、これまた世界最高峰のジャズバンド「ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラ」と共演することになるという挑戦。
この二つの挑戦が本作を前後半に分け、もちろん最大のクライマックスとは、イスラム原理主義のよって虐げられたパキスタンの伝統音楽が、NYのジャズと幸福な出会いを果たすことだ。ただの「イースト・ミーツ・ウェスト」という文化交流の枠からはみ出るほどに、音楽を演奏することと、それを楽しむことの多幸感に満たされる瞬間が本作には用意されている。
イスラム原理主義の脅威が芸術にも迫っていることはフランスのセザール賞最優秀作品賞にも輝いた『禁じられた歌声』でも描かれていたが、本作はその危機を描くことを主眼とするのではなく、仮にイスラム原理主義に音楽を否定されても、世界は音楽を求めて続けるという圧倒的事実をドキュメンタリーとして描いている。そして音楽を愛する人々は世界中に存在し、例え宗教的に禁止されたとしても、音楽に愛された人々はどれだけ弾圧されても音楽を続けるという事実。
本作に登場する音楽家たちはみんなそうだ。パキスタンの伝統音楽家たちも、「ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラ」の綺羅星のようなジャズミュージシャンたちも根っこは同じ。だから文化や手法は違っても最高のグルーヴを作り出した時、彼らはみんな「イェイ!」という満足そうに同じ表情を見せる。
その一部始終は最大の見所はクライマックスのジャズ・アット・リンカーン・センターでの演奏で見られる。ウィントン・マルサリスに誘われてNYに海外公演に来たパキスタンの伝統音楽家らによる即席ジャズオーケストラ「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」は、ウィントン・マルサリス率いる世界最高のジャズバンド「ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラ」と共演することになる。これまで 暗い音楽生活を送ってきた彼らは意気揚々と明るい未来を夢見てNYにやってくるが、リハーサルではウィントンら一流ジャズミュージシャンの要求にうまく答えられない。というか全く付いていけない。
それはそうだ。いくら彼らが熟練の伝統音楽家とはいえジャズは畑違いで、一緒に演奏するのは超一流のジャズミュージシャン。ウィントン・マルサリスだけでなく、その隣にはライアン・キザーがいて、ピアノはダン・ニマー、サックスには巨漢のシャーマン・アービー、ウォルター・ブランディング、テッド・ナッシュと揃い、トロンボーンには天才エリオット・メイソンが控えている。彼らは皆『セッション』で描かれたようなジャズ界の厳しい選抜をくぐり抜け、その頂点まで登りつめたメンバーなのだ。
しかしそれは「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」も同じだった。もちろん彼らは誰一人ジュリアードやバークリーを卒業したわけではないが、同じように親から引き継がれた厳しい練習をくぐり抜け、そしてイスラム原理主義の弾圧にも負けることなく音楽を続けてきたという自負がある。NYにはNYのグルーヴがあるが、パキスタンにはパキスタンのグルーヴがある。それは政治や宗教とは違って、決して対立することはない。その瞬間が『ソング・オブ・ラホール』のクライマックスにははっきりと切り取られている。
国境を越える音楽という観点ではヴィム・ヴェンダースの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を思い出し、諦めない音楽家の姿という観点では『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』と似ているかもしれない。でもラストで観ているこっちが思わず「イェイ」と頷きたくなるあたりは、最高の音楽に巡り合った時の感覚と近かった。
愛することを続ける人々だからこそ演奏できる幸福な音楽の姿は、宗教や政治を超えていつだってどこだって素晴らしいものなのだ。
『ソング・オブ・ラホール』:
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